第6話 不可解な噂

 秋が深まり、作業も普段の生活も至極快適になってきた。谷にかかっていたストーンオークの大木を伐り倒してダンシードの森の危機を遠ざけたから、少しはのんびりさせてもらいたいところだ。だが、相変わらずろくでもない依頼が次々に舞い込んでくる。

 軽いやつはバンスが直にこなせるようになったので、忙しさという点ではかなり楽になったんだ。その分、俺が引き受けなければならない依頼が極端な難物ばかりになっちまった。


 今俺の目の前にいる客の依頼も、猛烈に厄介だった。


「うーん……」

「どうでしょう? 何とかならないでしょうか」


 客はがっちりした体格の男だ。三十を少し越したくらいだが年齢以上の落ち着きと気品があり、身だしなみも立ち居振る舞いも極めて洗練されている。そりゃそうだろう。ウエルクラフト周辺の貴族の中ではもっとも広大な領有地を持つメイフィールド公爵ウイリアムだからな。

 そもそもが城住み人種だ。俺の小汚い工房になぞ絶対に来たがらないはずなんだが、公は俺ら職工に差別意識を持っていない。仕事の出来が水準を上抜けていれば正当に評価してくれるから、工房にとっては最上最良の客ということになる。


 俺は、依頼者の身分に関しては一切頓着しない。国王だろうが乞食だろうが、俺の封止に満足し、応分の報酬を払ってくれればそれでいい。顧客の態度や言辞に余計な形容詞がついていてもあまり気にしないんだ。できないと断っているのに何度もゴリ押ししてくるろくでなしより、はるかにましだからな。

 だが、顧客としての公には非の打ち所がない。封止の意味と価値をしっかり理解した上で俺の業績を認め、尊敬し、報酬という形で裏付けてくれる。おまけに、きちんとした説明付きで俺の封止を関係者に勧めてくれる。公を介しての依頼はとても上等なので、ほとんど断ったことがないんだ。正直、客を公の関係者だけに絞り込みたいくらいだ。

 ただ……公も含めて貴族はプライドが高い。金と権力を駆使できる人種は、ほとんどの難問を封止に頼ることなく自力でこなしてしまう。依頼の件数が限られてしまうから、必ずしも稼ぎには寄与しない。量より質と言えないのが零細工房の辛いところなんだよな。


 そして公が今回持ち込んだ依頼は、俺の引き受け条件をよく知っているはずの公にしては珍しく、とても微妙な内容だった。それだけ公が追い込まれているということなんだろう。


「噂を封止してくれ……ということですか」

「ええ。もし流れている噂に真実が混じっているのなら、私は猛省しなくてはなりません。しかし私には全く身に覚えがない。いわれのない侮辱を垂れ流されるのは我慢なりません」

「よくわかります。うーん……」


 公の憤慨はもっともだし、俺も心情的には封止を引き受けたいんだが、封止を引き受けられない二つの条件にそろって引っかかってしまう。

 噂だけを集めて分離し、封止するという技術が俺にはない。そして、ある時点の噂を全て封止できても、新たな噂が流されれば封止の意味がなくなってしまう。くだらんやつの依頼なら「できない」と一蹴するんだが、世話になっている公の直訴だ。できる限り力になりたい。どうするかな。


「公。申し訳ありませんが、一、二日お時間をいただけませんか? その間に俺にできることを考えてみます」


 俺が即座に断らなかったのを見て、公が相好を崩した。


「ありがたい! 良い返事をお待ちしています」


◇ ◇ ◇


 作業場にバンスとサニーを呼んで、公の依頼を吟味する。サニーを呼んだのは、工房と街の間を頻繁に行き来しているから流れている公の噂に一番詳しいだろうと思ったからだ。

 バンスがせないというように首を傾げた。


「親方。珍しいっすね。いつもなら即座に断っているじゃないすか。それこそ、相手が誰であっても」

「まあな。封止だけを考えれば、セラの依頼よりもっと非常識だよ」

「そう思うんすけど」

「だが、非常識なのは噂の方もなんだ。本来ありえない噂なんだよ。俺だけじゃなく、誰が考えても」

「む……」


 考え込んだバンスから目を離し、今度はサニーに確認する。


「なあ、サニーは知ってたか?」

「もちろん! 噂そのものも、それがものすごくヘンだってこともね」

「やっぱりな」


 セラと全く違った性格になったとはいえ、妖精の頃の気質が全部消えたわけじゃない。妖精は総じておしゃべりだと聞いている。サニーも御多分に漏れずおしゃべりや噂話は大好きなんだ。買い出し先の店や取引先の女たちと賑やかにぴーちくぱーちくやらかし、どこぞで猫の子供が生まれたとかなんとかさんのところで派手な夫婦喧嘩があったとか、街に行くたび小ネタを山のように拾ってくる。そんなおしゃべりサニーが公の噂を知らないはずがない。


 サニーが俺の顔の前でひょいひょいと指を振った。


「あんな噂、誰も信じてないよ。くそまじめで超絶奥様ラブの公爵様でしょ?」

「ああ。外で女を囲うなんてことはこの世の終わりが来てもないな。だからこそ、あの穏やかで実直な公が我を忘れて怒ってるんだ」


 考え込んでいたバンスがゆっくり顔を上げた。


「親方。噂の出所と流す目的がわかれば、何か手が打てるかもしれないということっすか」

「いい読みだ、バンス。そうなんだよ」


 噂というのは事実から出る場合と、誰かの目論見によって流される場合がある。事実から噂になるのは阻止できない。突き詰めれば事実に当たってしまうからだ。だが、誰かの意図によって「流された」ものは動かせる。しかしなあ……。


「なぜ誰も信じない噂をあえて流すんだ? 俺にはそこがどうしてもわからないんだ」

「信じない? そうかなあ」


 サニーが俺の頭をちょんと小突く。


「信じちゃう人が一人だけいるよ。気づかない?」

「は?」


 バンスと顔を見合わせてしまった。


「あんたがたも、ほんとに女心がわかってないよね。よくそれで封止なんて商売やってられると思うわ」


 ぷうっとサニーが膨れる。俺たち朴念仁は顔を赤らめて俯くしかない。うう、バンスよりはましだと思っていたが、俺もまだまだか。偉そうにふんぞり返ったサニーが、わかりやすいヒントを出してくれた。


「ねえ、公以外に噂を聞いて怒るのは誰?」

「あっ!」


 その瞬間、ぱっと全景が見えた。


「そうか。そういうことだったのか」


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