第4話 分離に挑む

 封止にとりかかる前に、バンスと入念な打ち合わせを繰り返す。これまでバンスはずっと助手だった。俺が封止を行う手順を補佐しながら封止のなんたるかを覚える……そういう立ち位置だったんだが、今回の封止では違う。封止役は俺ではなくバンスだ。

 役回りを変えたのはバンスを独り立ちさせるためではない。人と妖精とに分けて妖精を封止するにあたり、どうしても妖精に引きずられてしまう人の方を俺がしっかり引き留めなければならないからだ。分離が不完全に終わると人のセラも妖精のセラも揃って消滅してしまい、巻き込まれた俺たちまで破滅しかねない。腕のいい封止工が二人いないと行えない封止なんだよ。


 金床の上に必要な道具をずらりと並べ、過不足がないかを何度も確かめる。時間の制約がいつも以上に厳しいわけではないが、気が急いて慌てると失敗に直結しやすい。十分に備えているほど落ち着いて封止に臨めるんだ。

 準備が完了したところで改めてセラの表情を確かめ、覚悟を求める。


「セラさん。これから封止を開始しますが、タイミングが成否を分けます。ここぞという時におじけて腰が引けると、分離がうまく行かずに失敗する恐れがありますので、不退転の覚悟で封止に臨んでくださいね」

「はい。わかりました」


 しっかり頷いたセラの視線が揺れていないことを確認し、今度はバンスにぎっちり気合いを入れた。


「バンス! 俺には構うな。俺はセラさんの人体制御に全力を注ぐ。おまえの補助はできないからな。頼むぞっ!」

「わかりましたっ!」


 セラの話によれば、妖精は離れたところにいる他の妖精と意思疎通するためにエフェンティという小さな分身を作ることができるらしい。元々弱い妖精のさらに分身になるので、長くは保たない。森にいれば精気を補充して維持できるが、ここでは無理だ。ぎりぎりまで本体と繋いでおいて切り離した直後に封止しないと、あっという間に消滅してしまう。

 だが、時間との戦いはいつものことだ。ガラスの扱いだってそうなんだよ。わずかな遅速の差で成否が決まる一発勝負。封止がガラス器作成と違うのはただ一つ、作り直せないということだけだ。それは封止に携わる者なら常に覚悟している。この期に及んでバンスがひるむことはないだろう。


 黄銅の針金で編まれた小さな籠を右手に持ち、窯の前でバンスが構えた。煤で汚れた左手には小さな書物。呪術書だ。その特定のページが開かれ、記されている文字をバンスが小声で復唱している。俺は右手でセラさんの左手を握り、もう一方の手でバンスと同じ呪術書を開いて構えた。


「始めましょう」

「お願いいたします」

「エフェンティ、作成!」


 最初の工程を読み上げる。セラの背中に流れていた髪の一部が浮き上がってくるくると結ばれ、白い蝶に象られた。蝶はふわりと胸の高さまで翔び、今度は小さなセラの形に凝った。


「バンス、ぬかるなよ!」

「任せてください!」

「分離!」


 セラが右手を掲げ、顔の前ですっと横に引いた。分身が髪から離れると同時にバンスがそれをさっと籠に収める。まだ安心はできない。細い細い髪一本でまだセラと繋がっているからだ。

 淡々とエフェンティをこしらえていたセラの顔が歪んだ。最後の最後に恐怖心が湧いてしまったんだろう。ここで一緒に消失したらどうしよう、と。俺は手ではなく身体をしっかり抱き止め、同時に分離のまじないを唱えた。


「全てを分ち、全てを離せ。セパレ!」


 自らの恐怖を断ち切るように、セラも同じ呪文を唱えた。バンスが大声で復唱する。


「全てを分ち、全てを離せ。セパレ!」


 ぴんっ! 小さいがはっきりと髪が切り絶たれる音がして背の羽が消え、セラが気を失った。


「よし! 封止っ!」

「応っ! 全てを隔て、全てを閉ざし、全てを封じよ! シーラス!」

「全てを隔て、全てを閉ざし、全てを封じよ! シーラス!」


 エフェンティが籠に残っていることを確かめ、間を置かずガラス球への封入に移る。短時間しか保たない籠への封止効果は、ガラス球の中に収めることによって割れない限り持続するようになるんだ。

 バンスが、恐ろしく真剣な表情で窯から引き出された種ガラスを吹き伸ばして球を象る。頂部にこてで素早く穴を開け、火挟みで籠を収めた。封止が有効な間は籠内外の空間が切り離されていて、中のものが高熱の影響を受けることはない。空いていた頂部の穴を閉じ、丁寧に整形を施せば封止は完了だ。

 俺は成功を微塵も疑っていなかったが、ガラス球が冷えて透度を取り戻すまでは安心できない。気を失ったセラを抱きかかえたまま、放冷台の上の球を見つめ続けた。


 熱せられたガラスが徐々に冷めて赤みを失えば、球の中が見通せるようになる。球への封止が成功すれば籠が消え、失敗すれば籠だけが残る。果たして、籠はきれいに消え去っていた。球が淡い緑色をしているのはガラスの色ではなく、中に封じられた妖精の輝きだろう。


「よし! 成功だ」

「ふう。やっぱり緊張しますね」

「いや。おまえは本当に腕を上げた。技術だけなら俺よりもう上かもしれん」

「技術以外の部分はまだまだ、なんすよねえ」


 バンスが不満げに腕を組む。自分に何が足りないかはきちんと自覚しているようだ。これからは、技術的なことよりも心構えの錬成を進めないとならない。俺が師匠面できる時間はそんなに残っていないからな。

 おっと、そろそろ起こそう。気絶していたセラの頬をぺちぺち叩きながら話しかける。


「セラさん、セラさん」

「う……」

「セラさん。成功しましたよ。ちゃんと分離できました」


 がばっと起き上がったセラは、ガラス球の中で膝を抱えて眠っている小さなエフェンティを見つめて一筋涙を流した。


「よ……かった」

「そうですね。あとは森の方を整備していけばいい。ストーンオークの成長が旺盛だと言っても、大木に育つまでには百年以上かかります。ダンシードの聖域にかかっている木の伐り払いが済めば、すぐに本体の封止を解けるでしょう。俺たちを手伝ってくださいね。それが封止のお代です」

「もちろんです。それと……」

「なんでしょう?」


 セラが、封止されたエフェンティをすっと指差した。


「人であるわたしは、妖精ではないのでセラと名乗れないんです。わたしに名前を付けていただけませんか?」


 なるほど。確かに同じ名前だと何かと面倒かもしれない。たまたま開いてあった呪術書のページにぴったりの単語があったから、提案してみよう。


「ピアという名はいかがでしょう。同等。同じという意味です」

「いいえ。それは困ります」


 あらら。きっぱり拒絶されてしまった。


「わたしはセラとは違う生き方を選びました。同じ生き方はできないし、したくありません」


 うーん、エフェンティとの統合を望んでない風だがそれでいいのか? まあ、セラ自身が決めたことだ。異なる存在になるかもしれませんよと覚悟を求めたのは俺だしな。それに、俺は他人にあれこれ指図できるようなご立派な生き方はしていないし。がりがりと頭を掻きながら別の名を提案する。


「じゃあ、サニーというのはいかがですか。陽光のことです」

「いいですね! 本来光の精霊アスカが持つ名前で、私たちシルフは名乗れないんです。とても気に入りました。これから、わたしをサニーと呼んでください」


 サニーはほんのり頬を染めながらドレスの裾を持ち、優雅に上体を屈めた。小汚い工房にはもったいない掃き溜めの鶴だが、サニーが新しい生き方を悔やまないならそれでいいさ。


「さて。じゃあ、あなたの部屋を整えることにしましょう」

「よろしくお願いいたします」


 野郎ばかりのところに女一人という怯えや警戒心一切なしで、俺の後ろをサニーがすたすたついてくる。元妖精だけにあちこちねじが外れていそうだが、まあなんとかなるだろう。


◇ ◇ ◇


 真夏の暑い一日。初めて試みた封止によって、オークリッジ工房の職員が一人増えた。サニーが俺に特上の幸運をもたらしてくれることになるなんて……その時には思ってもみなかったけどね。


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