第3話 セラの懇願

 一度作業場に戻り、道具を片付けてから面会室に戻る。室内に充満していた甘ったるい香水の匂いが、いつの間にか爽やかな木香きがに置き換わっていた。


「どなたですか」


 気配の主に確かめると、俺とバンスしかいない面会室にか細い声が響いた。


「申し訳ありません。このままで……お話できますでしょうか」

「それはできません」


 はっきり断らせてもらう。相手が誰であっても受諾条件は同じだ。依頼人の身元がわからない限り依頼は引き受けられない。


「悪く思わないでください。俺たちは至極真っ当な商売をやっています。封止という特殊な技能を使う以上、悪用されることはどうしても避けたい。身分を隠しての依頼、代理人による依頼は一切お承けしていません」


 か細い声は絶えたが、気配は消えていない。そして、匂いが森の香気に入れ替わっている。なるほど。じゃあ先回りしようか。


「貴女は森の妖精ではありませんか? ストーンオークだらけの森に妖精が棲まっているとはとても思えないんですが、どちらから来られました?」


 俺に正体を見抜かれて観念したんだろう。淡緑色の妖精がふっと姿を表した。背丈は俺たちとさほど変わらないが、痩せていて手足が長い。裸体が透けて見えるほど薄い紗のドレスをまとっている。長い白髪が背中にさらりと流れ、緑色の肌とのコントラストが美しい。整った細面ほそおもてに引き目、通った鼻梁、小さな口。表情は穏やかで、わずかに微笑んでいる。ぱっと見には肌の色以外に俺たちとの違いはないが、背中には細長い半透明の羽が二対生えている。

 妖精なんざおとぎ話の想像物だと思っていたけどな。まあ、ストーンオークの森自体が曰く付きだ。何が存在していてもおかしくないんだろう。


 妖精は、優雅に屈みながら名を名乗った。


「初めてお目にかかります。わたしはダンシードの風の妖精シルフで、セラと申します」

「俺は当工房の職長エーリス、こっちが副長のバンスです。他にも職人はいますが、封止は俺とバンスにしかできません。よろしく」


 セラは俺たちが全く取り乱さないことに戸惑っていたが、改めて拝礼した。


「エーリス様に、どうしてもお力添えをいただきたいのです」


 本来超然とした存在であるはずのシルフが、切羽詰まった表情で依頼を切り出した。


「どうか、どうか森を封じていただきたいのです」

「も、森ぃ?」


 あまりのスケールのでかさに驚いて、バンスが大仰にのけぞった。


「それは……」

「無理でしょうか」


 俺たちは封止を扱うが、封止の対象はあくまでもガラス球の中に閉じ込められるサイズのものに限られる。犬猫の大きさですら難しいのに、森というのはいくらなんでも……。


「すみません、セラさん。貴女が森の封止を望まれる理由を聞かせていただけますか?」

「はい」


 俺たちに姿を見せた時点で、全てを明かす覚悟を決めたのだろう。セラが淡々と説明を始めた。


◇ ◇ ◇


「なるほどな」

「納得ですね」


 セラのような森の妖精は、その森が消滅しない限り永続できる。消滅しない限り……ね。しかし今、ガラス産業の隆盛によって炭の需要が増え、ストーンオーク以外の木が次々に伐り払われている。多種多様な木々で成り立っていた豊かな森が、ストーンオーク一色になりつつあるんだ。繊細な妖精が、昼でも真っ暗なストーンオークだらけの森に棲めるはずがない。つまりダンシードは、ストーンオークがはびこる前の形を保っている数少ない森だったわけだ。

 ダンシードの周囲はかなり前からストーンオークばかりになっているので、杣夫があえて足を踏み入れることはない。その上ダンシードは谷底にある湿地で、乾燥を好むストーンオークが育ちにくい。セラは人からもストーンオークからも切り離された小さな森を聖域として、かろうじて生き延びてきた。


 だが、ストーンオークはどんどん巨大化する。湿地の周辺からじわじわと枝葉を伸ばし、徐々に聖域を塞ぎつつあるらしい。このままでは、十年もしないうちにストーンオークに覆われて真っ暗になり、谷の木々が枯れて聖域が消滅してしまう。

 そうなる前に、わずかに残ったダンシードの森をストーンオークの影響を受けないように封止してもらえないかという依頼だった。


 俺らの工房からそれほど離れていない場所に、そんな聖地があるなんて思っても見なかったな。いや、それはともかく……。

 延々と広がるストーンオークの森全体を封止しろという話ではないものの、森の封止は手に余る。俺たちは魔法使いではなく、単なる職人だからなあ。


「親方、どうします? あの失礼な女みたいに魔法使いの力を借りた方が……」

「そらあ無理だ」

「え?」


 俺が即座に否定したことに驚いたのか、バンスが慌てて振り返った。


「なあ、バンス。なぜ、今はセラさんのような存在が誰からも忘れられていると思う? セラさんが俺らに姿を見せないまま依頼しようとしたと思う?」

「む……」


 セラを見ながらしばらく考えていたバンスが、しっかり正解を導き出した。


「迫害されるから、すか」

「そうだ。妖精たちは俺たちに何もしないんじゃない。何もできないんだよ。とても弱い存在なのさ」

「わかっていただけて嬉しいです」


 セラが儚げに微笑んだ。


「人間の前に姿を現せばすぐに狩られてしまうから、隠れてひっそり暮らすしかないんだ」

「ええと。魔法使いに頼めないのはなぜっすか?」

「魔法使いが、術式に妖精の要素を好んで使うからだよ。妖精は、魔法を増強する材料としてしか扱われない」

「げ……イモリの黒焼きとかと同じすか」

「たとえはアレだが、イメージとしてはそうだな」

「うう」


 さて、どうしたものか。森を直に封止するのは絶対に不可能だ。それなら、封止できるものから逆に策を組み立てる必要がある。


「セラさん。貴女は、森を残す以外に自身の消滅を防ぐ手段を何かお持ちですか?」

「……」


 しばらく顔を伏せて黙っていたセラが、悲しげに明かした。


「ないわけではありません。私たちは人の形を取ることができます。人間として暮らせば生き残ることは可能です」

「でも、妖精ではなくなってしまうということですね」

「はい」


 うーん……それじゃ確かに意味がない。ダンシードの森と妖精としてのセラを残す方法を探らなくてはならない。待てよ……妖精だよな。じゃあ。


「もう一つお聞きしたい。貴女を人と妖精とに分かつことは可能ですか?」

「試みたことはありませんが、できるかもしれません」

「その場合、妖精の方をうんと小さくしてもかまいませんか?」

「森が遺せるのであれば。妖精は森の精気を集めて身体からだを作れますので」


 なるほど。それならやりようがある。ただし、封止の際に俺らとセラのどちらにも大きなリスクが伴う。覚悟がいるな。


「これから俺のプランをお示ししますが、初めて試みる封止になります。もし俺の狙い通りに事が運ばなくても、恨みっこなしでお願いしますね。それがお引き受けする条件になります」


 セラは、即座に俺の条件を飲んだ。


「私はこのままなら間違いなく消滅します。存続できる方法があるのならば、その可能性に賭けます」

「承知しました。では、これからプランの内容をお話ししますね」

「お願いいたします」


 さて。バンスがどこまで理解しているのかを確かめておこう。


「バンス。俺が今確かめたことをもとに、どういうプランを立てたか推測してくれ」

「ええーっ? 俺がっすか」

「ばっけやろ! おまえが先々ここの看板を背負うんだぞ? 自分が職長になったつもりで真剣に考えろ!」

「はいー」


 俺とバンスの会話を聞いて、セラがくすっと笑った。未来にわずかにでも光明が見えたことで、ほっとしたんだろう。


◇ ◇ ◇


 残念だが、バンスには俺の意図したことが全然読みきれなかったようだ。あいつが推測したのは全部外れ。まあ……まだ場数を踏んでないから仕方ないか。じゃあ、プランを説明しよう。


「まず、森を封止するのは絶対に無理だ。おまえの推測にそいつが入ってた時点でもう先に進めないんだよ」

「そっすよねえ」

「つまりダンシードの森をストーンオークから守る作業は、どうしても人力でやらないとだめだということさ」

「そんなの、できるんすか?」

「難しくはないよ。ダンシードの森に接している部分だけオークを伐り倒していけばいい」

「でも、奥地なんすよね」

「そう。問題はそこに集約されるんだ」


 バンスが顎の下に拳を置いて、じっと考え始めた。今度は正解が出るかな?


「そうか。だから、セラさんを人と妖精に分けるという話になるんすね」

「わかったか?」

「はい。人間の方のセラさんにここの手伝いと炭の運び出しを担ってもらい、それを報酬に換える。で、小さくなった妖精のセラさんを封止して、再生に備える。そういうことっすよね?」

「はっはっは! よく読み切ったな」


 ダンシードの森を消滅させないための手立ては封止なしでも取れる。問題はその労力に見合った報酬を得られるかかどうかだが、妖精であるセラさんが報酬を支払えるはずがない。俺たちの生活は常にかつかつだから、どんなに懇願されても無料奉仕はできないんだ。


「なるほどなあ。封止できるものの限界を考えておけば、逆にいろいろな方策を探れるってことなんすね」

「そうだ。セラさんにとってはちょっと変則になる。妖精が人間と小さな妖精とに分離されてしまうことになるからな。それとね、セラさん」

「はい」

「俺らは分離は手伝えても統合はできません。分離後に、それぞれ別個の存在として生きなければならないかもしれない。その覚悟も要ります」


 セラの顔を覗き込み、最終意思を確かめた。


「大丈夫ですか?」


 さっと頷いた。迷いはないようだ。


「もちろん覚悟しています。封止されたわたしはどうなるのでしょう?」

「眠ることになります。生き物は劣化しやすいので、不動の呪文を併用しても永続を保証できないんです。でも、妖精は森が失われない限り変化しませんよね」

「はい」

「森をストーンオークから遠ざけることができた時点で封止を解き、精気を取り込めばいい。眠っている時間はそれほど長くならないでしょう」

「納得しました。とても楽しみです」


 憂いを含まない微笑みを見て安堵する。さあ、善は急げだ。窯の火を落としてしまったが、もう一度火を入れよう。封止自体は難しくない。難しいのはセラの方だろう。人体と妖精との分離がうまく行くかどうかに成否がかかっている。


「セラさん、作業場にいらしてください。すぐ封止にとりかかります」

「わかりました」


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