第2話 薔薇の真意

 小走りに作業場を出て、汗まみれのまま面会室に向かう。辺りに甘ったるい香水の匂いが漂っているから、依頼人は貴族の関係者だろう。


 作業場よりましとは言え粗末な工房の中はまんべんなく暑苦しいから、待たされていた若い女は見るからに不機嫌そうだった。一人で来ているように見えるが、森の近くに馬車を停めて従者を待たせているんだろう。従者を伴っていないのは、依頼の内容を俺ら以外に聞かれたくないからだろうな。

 服装を見る限り、予想通り貴族の子女だ。小柄だが容姿は整っている。亜麻色の長い髪を結わえずあちこちに流していて、洗練されているというより奔放な印象だ。夏らしい薄手の白ドレスの裾を汚い床に付けるのが心底嫌そうだ。だが、俺は依頼人宅への呼び出しには一切応じない。どんなに脅されようが金を積まれようがね。その条件くらいは知っているということなんだろう。


「お待たせしました。俺が当工房の職長エーリスです。本日はどのようなご用件でお見えになったんですか?」

「わたしのことは聞かないの?」

「おっしゃりたければどうぞ。国王だろうが農夫だろうが依頼は依頼です。承けられるかどうかは考えますが、身分で可否を変えることはありませんので」

「ふん!」


 女は、高貴な者ハイネスとして敬ってもらえなかったことが不服らしい。卑賤な職人の分際で偉そうに……そういう差別意識を剥き出しにしている。まあ、いいけどね。そこそこの美女だが、性格はあまり褒められたものじゃなさそうだ。


「で、何を封止されたいのでしょう」

「これよ」


 女が、手にしていた一輪の真っ赤な薔薇を俺に向かってぐいっと突き出した。


「薔薇、ですか?」

「そうなの。できるでしょ」

「うーん」


 いや、ガラス球の中に封じるのは赤子の手をひねるより簡単だよ。だがこの女の依頼は承けられそうにない。封止する意味なんかどこにもないからだ。理由をしっかり説明しておこう。


「封じるのは簡単ですが、長くは保ちませんよ?」

「え?」


 鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてやがる。やっぱりか。この手のとんちんかんな依頼が本当に多いんだよ。

 この女、気位は高そうだが賢そうには見えない。『表』の説明だけで済むかな。


「封止っていうのは、本来熱がかかると変質してしまうものを封入前の状態を保ったままガラス球に閉じ込める技術です。生花、果物、虫や小鳥など、技術的にはなんでも可能です」

「じゃあ、これもできるよね」

「できますよ。ですが……」


 バンスに目配せして、見本を一つ持ってきてもらう。こういうわからんちんを説得するには、現物を見せるのが一番手っ取り早い。


「これはおとつい封止した花です」


 萎れた青い花が、球の底にぺたりと張り付いている。花弁は先から茶色に変わりつつある。


「物の封止はできますが、中の時まで止めることはできません。生花ですからほどなく萎れて枯れますね」

「意味ないじゃない!」

「ですから、保存目的での封止はお勧めしないことにしています。ドライフラワーや押し花にする方が長く楽しめますからね」

「がっかりだわ」

「申し訳ありません。できないものはできないので」


 こんなど田舎にわざわざ来るんじゃなかった。とんだ無駄足を踏んだわ! 散々毒づいた女は、それでも持ち込んだ赤い薔薇を放り出さずに工房を出た。


「そのままずっと残したいのであれば、魔法使いウィザードを探された方がいいと思いますよ」

「ふん! 余計なお世話よ!」


 最後まで高慢ちきな態度を崩さないまま、女が従者を引き連れて帰っていった。遠ざかっていく一行を呆れ顔で見送っていたバンスが、何度も首をひねる。


「どうした、バンス?」

「あの女、本当にうちの仕事を知ってて来たんですかね」

「いやあ、違うと思うぞ。噂を聞きつけただけだろ。あいつはまだ幼いからな」

「あれ? 親方、あの女を知ってたんすか?」

「セレム男爵の長女メネイ。まだ十二、三てとこだな」

「うわ……えらく大人っぽく見えましたけど」

「衣装や化粧で化けられるからね。俺らに子供だからとなめられたくなかったんだろ」

「ひええっ」


 驚いてやがる。バンスもなあ。職人としての腕は極上なんだが、女を見抜く目力はからきしだからなあ。


「男爵家の娘だろ。親にとってはいい駒だよ。あと二、三年もすれば、上位の貴族に嫁として売られるだろう」

「ええっ?」


 バンスが絶句して立ち尽くした。俺は……田舎道を少しずつ遠ざかって行く馬車とその車輪が巻き上げる土埃を物憂げに見遣る。


「貧乏男爵の子女なんざ、掃いて捨てるくらいいるのさ。上位の貴族にしてみれば、飛び抜けた美貌や才能、財力の持ち主でない限り、嫁をあの子にする必要はどこにもない。つまりあの薔薇は、世間知らずの子供をたぶらかそうとする撒き餌に過ぎないんだ」

「親方、どうしてそれが?」

「一輪きり。しかも棘を抜いてない。あの子の指は傷だらけだった」


 バンス。ちゃんと依頼人を隅々まで観察しろよ。おまえの眼力がちゃんと磨かれないと、俺は安心して工房の看板を譲れないんだ。


「俺に言わせてもらえば、贈られた薔薇は好意の表れじゃなく蔑視なんだよ。ガキのあんたにはこれで十分だろっていう蔑視」

「そうか……それを好意だと勘違いして封止しちゃうのはかわいそうっすね」

「百害あって一利なしさ」


 薔薇のことは納得したらしいが、バンスはまだ首を傾げている。


「ねえ、親方。なんでそのあと魔法使いに誘導したんすか?」

「俺で懲りれば、次はもうちょい慎重になるからだよ」

「あ、そういうことか」

「自称魔法使いのうさんくさい連中がいっぱいいるんだ。そういうのにとっ捕まると、とことん食い物にされちまう」

「うう、それは……」

「だろ? まともな魔法使いなら俺が読んだくらいの背景はすぐに見抜くよ。魔法なんざ使わなくてもきちんと説教してくれるってことだ」

「すげえなあ……」


 おいおい、感心してないでちゃんと対応を覚えてくれよ。まったく。


「まあ、しっかり修行してくれ。何度も言うが、封止ってのは技術そのものより依頼者の心情をきちんと見抜く方が大事なんだよ」

「よーくわかりました」

「よし。じゃあ、もう一件の方に行こうか。そっちの方がずっと厄介なんだろ」


 ふっと苦笑したバンスが肩をすくめて見せた。


「さすがっす。親方はなんでもお見通しっすね」

「そうでなきゃ、食ってけないからな」

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