オークリッジ工房封止録
水円 岳
第一章 夏の封止 セラとサニー
第1話 酷暑の工房で
「くそったれ! 暑すぎだっ!」
真っ赤に焼けている窯の中を睨みつけて、これでもかと悪態を
それでなくてもガラスを扱う作業は炎熱地獄。時間勝負だから、どんなにくそ暑くても途中で一休みってわけにはいかない。
だらだら大汗を流しながら窯の中で真っ赤になってる種ガラスを吹き棒にちょん付けし、息を吹き込みながら整形する。林檎くらいのサイズの球形にまとめて表面を整え、冷却台に置いたところでやっと一段落。革手袋を脱ぎ捨て、木椀の水を一気飲みして一息ついた。
「ふう……今日はだめだな。こんなに暑いと集中力が保たん」
粗末なスツールに腰を下ろして冷却中のガラス球を見つめていたら、副長のバンスが作業場に首を突っ込んで大声を張り上げた。
「親方! 依頼人が来てますけど、どうします?」
短く刈り上げた赤毛の先が汗で光っているから、あいつも作業中だったんだろう。うちに来た時にはまだ十五の小僧だったが、五年の間に顔のそばかすが消えてぐんと背が伸び、手足にしっかり筋肉がついて実にいい男になった。村娘たちから次々に秋波が送られてくるらしいが、色恋ごとにはさっぱりのあいつは誰の想いにも気づいていない。まあ……それがバンスだ。
バンスは熱心で仕事勘がよく、段取りを覚えるのも早い。めきめき腕を上げ、ガラス工としての技能はほぼ俺と肩を並べるところまで来ている。職人としての自覚も責任感もあるので副長に任じ、依頼の舵取りをあいつに任せている。そして……俺と同じ特殊技能を使えるのも、四人いるうちの職人の中ではバンスだけだ。
もう少しでバンスに工房の看板を譲れそうなんだが、あいつにはまだ若干不足している要素がある。厄介な日が来ちまうまであと一年あるかないかだ。できるだけ早く片を付けたいところだがな。
タオルで顔の汗をひとしきり拭い、首を回して大声で答える。
「オルセー卿だったら断ってくれ。できないものはいくら金を積まれてもできないってな」
「いや……」
否定したきり黙ってしまったバンスを見て、やれやれと思いながら重い腰を上げた。あいつにさばけないってことは相当面倒な客なんだろう。くそ暑いのにこんなど田舎までわざわざお運びたあ御苦労なこった。
依頼はひっきりなしに来るものの、どれも厄介な
もう一度顔の汗を拭ってから窯を確かめる。炭から立ち上る炎が衰え、色が赤黒くなりつつある。どうせ聞き取りの間は作業できないんだ。今日はもう火を落とすことにしよう。
窯の
「んー、こらあだめだ」
冷却台の上で赤みを失った中空のガラス球は、冷めるまでの間にほんのわずかタレたらしい。部屋の小窓から差し込む陽光が球表面の歪みで散乱し、不定形の淡い虹を作っている。かざして見る分にはきれいなんだが、製品としてはまるっきり出来損ない。俺の辛抱がちょい足らなかったな。
ボロ布でつかんで破砕用のカゴに放り投げる。かしゃん! 球が突然形を失って悲鳴を上げ、それきり沈黙した。こんな風にぽんと壊して作り直せりゃあいいんだが、人の心ってのはそんなに単純にできていない。因果なものだ。
作業場から熱と炭の爆ぜ音が遠ざかり、怒鳴らなくても声が通るようになった。額の汗を拭いながら、立ったまま俺の作業明けを待っていたバンスに確かめる。
「依頼人はもう面会室にいるんだろ?」
「そうっす」
「すぐ行く」
「わかりました」
俺の返事を今か今かと待っていたバンスが、ほっとしたように走っていった。
窯の炎が遮られると途端に薄暗くなる作業場。窯横にある棚の上には大小様々のガラス球がずらりと並んでいる。その最奥には一抱えほどある大きなガラス球があり、室内の光が絶えてもうっすらと青く光る。そいつは俺の業だ。とっととぶち割ってしまいたいが、そうもいかない。
「さて」
絞れるくらい汗を吸い込んだタオルでわしわしと顔を拭い、腰を叩きながら作業場を離れた。一度小屋の外に出て、眩い真夏の陽光を薄目で見上げながら小さく溜息をつく。工房を構えてからあと少しで十年か。零細とはいえ工房の看板を掲げることができた俺は運がよかったんだろう。ただ……そう遠くない先に、俺がどうしても回避できない運命の瞬間が来てしまう。
「それまでにバンスが一人前に育つかどうか、微妙なんだよな」
◇ ◇ ◇
俺が営んでいるオークリッジ工房は、ウエルクラフト地方にいっぱいある工房の一つだ。この辺りには
街の近くで腕利きがやってる工房、商売のうまい工房は、
工房の裏手にはこの辺りを統治する諸侯所有の広大な森林が広がっているが、杣夫は焼いた炭を全部街に持って行っちまう。俺たちは自力で木を伐って炭を焼かなきゃならないから、手間ばかりかかってちっとも儲けが出ない。
そんな有様なので、職人に給料払うのも一苦労だ。自分一人の食い扶持確保も難しいんじゃ、女房子供を養う余裕なんざこれっぽっちもない。当然のこと、俺も含めて工房で働いている五人全員独り者だ。甲斐性のない親方で申し訳ない。
これだけ条件が悪ければあっという間に廃業まっしぐらのはずだが、うちはまがりなりにも十年近く続いている。それにはちゃんとわけがある。
うちはガラス工房じゃない。ガラス器も製造、販売しているものの、そっちは副業。本業は封止なんだ。封止にガラスを使うからガラス工房だと思われがちだが、仕事の中身はまるで違う。だから工房の看板にも『ガラス』の文字を入れていない。
封止というのはその名の通りで、何かを封じ止めることだ。魔物の封鎖や災厄の封印と言った大ごとや荒ごとは、魔法使いやら坊さんやら本職がいっぱいいるから俺らには回ってこない。もちろん俺らも、そんなやばいことに首を突っ込む気はない。その代わり、封じる理由がよくわからない奇妙な依頼がいっぱい持ち込まれる。
俺が掲げている看板の右下に小さく穿ってある五芒星は、封止を営んでいる者の符牒だ。秘密裏に商売しているわけじゃないんだが、職の認知度は低い。まあ、知る人ぞ知るってやつだな。そして、ウエルクラフト広しといえども封止をこなせる工房はうちだけだ。
俺のように封止を手がける職人は封止工と呼ばれる。封止工の数はとても少ないから、宣伝なしでも封止の噂は勝手に広まる。で、ど田舎の零細工房に見合わないほどたくさんの依頼が持ち込まれるんだ。それらの依頼を片っ端からこなせば城が建てられるほど金持ちになれるはずなんだが、そう甘くはない。神様や魔法使いのように
封止できない理由は主に二つ。技術的に難しいか、封止する意味がないか、だ。そして、依頼を断るのは後者のケースが圧倒的に多い。承けられる依頼が少ないから、商売としてはちょぼレベルにしかならない。どうにも割に合わないんだが、そういう商売を選んだのは俺だ。仕方がない。
ちなみに、工房の名であるオークリッジってのは、地名でも俺の名前でもない。
俺が伐って炭にしている樫の木はストーンオーク……石の樫と呼ばれている。大昔この辺りを支配していたオルクという魔族が神々との戦いに敗れて石にされ、それがストーンオークに転じたという伝説があり、その言い伝えに違わず恐ろしく硬い。ストーンオークの炭は緻密で火保ちがよく高温が得られるので、ガラス加工に使う炭としては最高級なんだが、斧も鋸も跳ね返すほど硬いので杣夫が嫌がって伐り残してしまう。
伐りやすい木から製炭に使われるから、工房の周辺には伐り残されたストーンオークしかないんだ。いつの間にか勢力を増してじわじわ里に押し寄せるオークどもを、うちの工房が伐って食い止めている……そんなイメージだな。
プロの杣夫でも手こずるストーンオークをどうやって伐り倒すんだってか? それは企業秘密だ。まあ、誰も真似ができない方法だから、わざわざ秘密にする意味もないんだけどね。
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