ロ.

「……あの」

「……何だ」

「さっきの言葉、もっかい言ってもらってもいいっすか?」

「本日の俺達の任務はの制圧だ。以上」

「いやいやいやいや!? やっぱ何回聞いても冗談キツイっすよ嘉穂かほ課長っ!!」


 背後にはカウンターの固い板の感触。さらにその向こうからは銃弾が連射される爆音と狂った高笑い。


 そんな騒がしい背景に負けず、内田うちだは馬鹿みたいにデカい声を張り上げていた。


「俺達、景観の保護と修繕が業務な公務員っすよっ!? どう考えたってあんなのとなんて戦えませんって!! お誂え向きに戦隊ヒーローと悪の秘密結社の幹部がここにいるんっすから本領発揮してもらいましょうよっ!!」

「残念だがな、内田。こういう時に役に立つようなやつらなら、そもそも毎度のごとく俺に制圧されて泣きを見てなんかいないはずだ」

「どうしよう、メッチャ正論っ!!」


 内田と嘉穂がコミカルなやり取りをしている間も、カウンターの向こうからは破砕音と人々の悲鳴が聞こえ続けている。


 恐らく警察や機動隊に通報は行っているはずだが、現場が『市役所』という市民が多数訪れる場所であることに加えてテロリストの一団が入ってすぐのホールを占拠しているせいですぐに突入ということはできないはずだ。建物前面が総ガラス張りである羅野辺らのべ市役所庁舎は、美しく開放的である分、こういうことになると遮蔽物がなくて突入しようにも身を隠す場所がない。


「クッソ……! ここのホール、『羅野辺の水晶宮』って言われてた有名建築だったんだぞ……!! 俺も気に入ってたのに……っ!!」

「嘉穂課長って『景観保護課のカホゴさん』って呼ばれてる割に、そういう発言普段あんまりしないっすよね」

「語り始めたらキリがねぇし、現場の鉄火場でンな呑気なことくっちゃべってらんねぇからな」


 さらに言うならば、己が新人の頃、当時の上司や先輩達に景観愛を語りすぎてシバかれた経験があり、そのトラウマで現場では口を閉ざすようになった、というのもあるのだが、それをあえて今内田に教えてやる義理はない。


 嘉穂はこういう時のために持ち歩いている手鏡をジャケットの内側から取り出すと、角度と位置を調整してホールの様子を観察する。


 武装集団は高笑いをカマしながらひたすら銃を乱射しているようだった。その銃口は概ね上に向けられている。ひとまず目の前にいる人間を虐殺、という嗜好はしていないらしい。そのことにひとまず嘉穂は胸を撫で下ろす。


 ──ここのホールのガラスは飛散対策処理をされている。破片が飛び散って二次被害を生む可能性はまだ少ない。建材もを想定して選定されているはずだ。柱の影に隠れていりゃあ何とかはなる。


 跳弾防止・貫通防止という点を鑑みてこの庁舎は建てられているという話だ。二人が身を隠したカウンターも、パッと見るとどこにでもありそうなありふれた代物だが、実際の所はグレネードランチャーで襲撃されても耐えられる機構を有しているらしい。


 前任から課を引き継ぐ時、嘉穂は『このカウンターに隠れときゃあ直撃は受けねぇ! まぁ実際にグレネードランチャーなんか撃たれたら、直撃しなくても衝撃で死ぬかもしんねぇけどな!』という実に豪快な言葉を賜ったものだ。


「……内田ぁ、俺達の使命は何だぁ?」


 そんな前任の姿を脳裏に思い起こした嘉穂は、低く舌打ちをしながら手鏡を懐に戻した。そんな言葉が出たのは、手鏡に映し出される光景の中に頭を抱えて震えているキラリンレッドとタクラミンの姿を見てしまったからだろう。


「え? お、俺達の使命は、この町の景観を守ることです。景観を守ることで、市民の生活と、心を守ることです」


 そんな嘉穂の言葉に、内田は戸惑いながらも迷いなく答えた。『景観を守ることを通して市民の生活を守ること』が模範解答である中、『心を守る』と続けたのは実に内田らしいなと、嘉穂は思わず唇の端に笑みを浮かべる。


 その笑みを、嘉穂は懐から取り出したタバコを口にくわえることで誤魔化した。


「そうだ。俺達の使命は、それだ」


 庁舎の中は完全禁煙なのだが、その庁舎の中は今、硝煙の臭いに満たされている。今ならタバコの一本くらい、吸っていたところでバレやしないだろう。


「そんな俺達の前で、無認可で町の一部がボコスカに破壊されてて、市民が被害を被っている」


 ジャケットのポケットからジッポを取り出し、キンッと上蓋を弾いて開ける。ユラリと揺れた炎の先でタバコを炙って火をつけた嘉穂は、一度大きく紫煙を吸い込んで肺に落とし込んでから内田を見遣った。


「な? あいつらを止めんのは、俺達の仕事だろ?」

「いい感じに纏めようとしてますけど、無理なもんは無理ですからっ!!」


 ──チッ、内田の癖に流されやがらなかった。


「……でも、そっすね」


 思わず分かりやすく舌打ちをしてしまった嘉穂は、ここからどう内田を説得するかを計算し直す。


『逃げを許してやる』などという慈悲は最初から存在していない。景観保護課はそこまで甘い部署ではないのである。


 ……などと考えていたのだが、嘉穂が口を開くよりも内田がポツリと呟く方が早かった。『ん?』と改めて内田に視線を据え直せば、内田は作業着のポケットをゴソゴソと漁っている。


「俺達、この町を守る公務員ヒーローっすもんね」


 そんな内田は、ポケットから抜き出した手を嘉穂に向かって差し出した。その手の上には携帯灰皿が乗せられている。


「どうぞ。灰落としたのバレたら、雛乃先輩に叱られるっすよ」

「お前、吸ってたのか?」

「みんなには秘密ってことで」


 ニシシッと笑った内田は、さらに反対の手で自分の口元にタバコを差し込んだ。昨今、タバコに対する印象は悪化の一途を辿っているというのに、そうやって笑った内田には一見チグハグなタバコがやたらよく似合う。


 それはきっと、往年の特撮物でクールな二枚目キャラがタバコを吹かしているのを見た時に感じる『カッコ良さ』に通じる『何か』なのだろう。


「……あとで一服付き合えや」


 内田の手から携帯灰皿を受け取った嘉穂は、逆の手でジッポを差し出し、キンッと蓋を弾いて火をつけてやった。そんな嘉穂の仕草に目を輝かせながら、内田は遠慮なく嘉穂の手元に顔ごとタバコの先を近付ける。


「ミッチリ今後の対策について話し合うぞ」

「えぇ〜! 一服してる時に仕事の話なんてゴメンっすよ」


 存外綺麗な所作で紫煙を吐き出してみせた内田は、そう言いながらもテキパキと後ろ腰に下げられたタブレットと胸ポケットに仕舞われていたスマホの電池残量のチェックを始める。携帯灰皿を内田との間の床に置いた嘉穂は、カウンターの足元に隠すように設置されていた拡声器を手に取りながら胸に吸い込んでいた紫煙を盛大に吐き出した。


 そんな二人を自分のデスクの足元に隠れていた雛乃が顔をしかめて睨み付ける。そういえば雛乃はタバコの煙が嫌いだったかと思いながらも、嘉穂は束の間の一服を止めようとはしない。


 ──戦地に赴く前の一服は、ヒーローの嗜みってもんなんだよな。


「さぁて、ほんじゃあやりますかね」


 キッチリ吸える分だけしっかり吸い切ったタバコを携帯灰皿に突っ込んでキッチリ火元を始末した嘉穂は、口元に拡声器を添えるとカチリとスイッチを押した。


「お呼び出しを致します。テロリスト一団の方、テロリスト一団の方、景観保護課の窓口までお越しください。お伝えしたいことがございます」


 角度はナナメ上。キーンッとハウリング音を纏わせながら、嘉穂は丁寧な言葉使いにそぐわないドスの利いた声を上げる。


「今すぐそのクソくだらねぇ銃器をお捨てになって、景観保護課にボコされやがれください」


 突然響いた嘉穂の声にさすがに反応せずにはいられなかったのか、テロリスト集団の無差別発砲が初めて止まる。


「行くよっ!!」

「はいっ!!」


 その静寂の中に、雛乃と内田が勢いよく飛び出していった。

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