2」積痾のはじまり

   【Count:2】

   【Day:1/446/4/5】


「……七年後。」

 ベッドから上体を起こしたソフィアがまずそれを呟き、自らの発言に疑問を抱く。

(私、えっと……。)

 昨日までの記憶はある。昨日は昼に起きて授業に出て、クラスの誰よりも得意と自負している水魔法を見せつけて帰ってきた。特に何もない一日。

「違う。」


 ――思い出した、あの地獄を。

 ――逆向きの大樹に全てを壊された、あの光景を。

 ――私は、戻された。あの時計頭の男に。


「……違う。」


 ――選んだのは私だ。"生きていたい"と願ったのは私だ。これは、私のせい。

 ――七年後に、この国が滅ぶ。

 ――だから何だ。私に何ができる。凡人より少しだけ水魔法に秀でているだけの、ただの少女に。


「いや、できる事はある。」

 誰かがやってくれる。そう、楽観視した。

「ソフィア、今日は早いな。何か用事でもあるのか?」

 父であるヴィルが、ソフィアの部屋に入ってきた。

「……父さん。」




    ー    ー    ー



 

 結論を述べる。ソフィアは誰にも、それは父親のヴィルにさえも相手にしてもらえなかった。当然だが、誰も未来で起こる出来事を信用してくれなかったのだ。


 ――私がなんとかするしかない。


 勝手に導かれた結論だが、自分一人で何ができるというのだ。できるはずがない。何もできない。何もしない。……そう、怠惰なソフィア何もしなかった。数日もしないうちに、彼女は元の何気ない日常に戻り、逆樹の事は考えないようにした。第一、時間が戻ったからといってアレが同じタイミングで来るとは限らないのだ。


 七年が経過した。当然のように、必然に、日常は一瞬で壊された。逆樹はソフィアを狙い光線を放ち、……そして、ソフィアは七年前のベッドの上で再び目覚めた。

「痛……い……。」

 痛みは引いているはずだが、光線で皮膚や骨が焼け落ちる感覚をはっきりと覚えている。

「ん……っ……、っ、はぁ、はぁ……。」

 必死に胸を押さえ、記憶から激痛を取り除く。

「悪……魔……、」

 ジオ=ズール。十七席と名乗った彼の力により、ソフィアは死ぬ事も、未来へ進む事もできなくなっていた。




   【Count:3】

   【Day:1/453/7/30】


 逆樹が現れる前日の夜、ソフィアは少しの荷物だけを持って家を出た。

 逃走。それが、臆病なソフィアが選んだ愚かな結論だった。

(何処へいこう……。)

 四大国のうち、シキは逆樹の出現方向であり少し危ないし、火の魔神にもあまり良いイメージが無い。ナムフは海を挟んだ向こう側であり、渡航に難がある。それに今は旧王政が崩れて間もないらしく、あまり行きたいとは思わない。

(どうしても四大国が無理ならイグイシスの孤児院にでも……。)

 そう考えて、やめた。やはりイウティ国が一番良い。


 イウティへはセル王立学校の学生証を提示する事で滞りなく入国できた。

(眠い、どこか宿を……。)

「君、大丈夫? だいぶ疲れてるみたいだけど……。」

 早速途方に暮れようとしていたところで、後ろから声を掛けられた。

 普通、と形容するしかない女性。しかし彼女の腰には黄土色の水晶の剣があった。

「四魔神……?」

 ソフィアの父も、同じ類のものを持っている。

「あなた、セルの学生さんだよね。はじめまして。私はフィリスなの。今は土の四魔神なの。」


 これが、世界最強とも呼べる彼女、フィリス=シャトレとの出会いだった。




    ー    ー    ー




 二日後、セルで逆樹が暴れたという報告がイウティ国にいるソフィアの耳に入った。

「あなたの言った通りだったの。本当に未来から来たんだね。」

「うん……。」

 逆樹は丸一日が経過した頃に勝手に消えたらしい。やがて被害報告書が纏められ、セルの国民のうち九割が亡くなったとソフィアに伝えられた。その中には彼女の父親であるヴィルも含まれていた。


 酷い惨状だった。ほぼ全ての建物が倒壊し、そこら中に血痕が付着している。


「しっかりするの。あなたのせいじゃないの。」

 フィリスは慰めてくれているが、ソフィアは自分一人逃げ出したこの惨状に嫌気が差した。

「復旧はミディ協会に任せるの。もちろん私も手伝うの。」

 フィリスは剣の力を最大限に行使し、倒壊した建物の修繕に徹していた。


 ――私、何もできていない。


 その日の夜、ソフィアは王宮最上階にあるフィリスの部屋に泊まっていた。

「そう悲嘆しないの。力を持ってしても及ばない事なんて、幾らでもあるの。」

 フィリスの部屋には弟子がいるらしいが、今日は外に出ているらしい。ベッドは余っていた。

「……おやすみなさい。」




    ー    ー    ー




「ん……。」

「おや、起きたようだね。気分はどうかな? ソフィアくん。」

 目が覚めると、ソフィアはここが昨日まで寝ていたフィリスの部屋ではないことを理解する。鉄製の壁に、目の前には鉄格子。

「牢獄?」

「ここはセル王宮地下深くにある特別な監獄だよ。かつて伝説の大罪人セレンがイウティ国に引き渡される前に投獄されていた場所でもある。ここに入る人間はなかなかいないけどね。」

 目の前には、見た目はソフィアと同じくらいの歳の男が一人。

「貴方は?」

「僕を知らないのかい? ああ、会うのは初めてかもね。ヴィルは君を僕に会わせたがらなかったし。僕はレオ=クラウス。セルの国王さ。そして君の叔父でもある。」

 随分と若く見えるが、れっきとした三十の男だ。

「……出して。」

「それはできないなぁ。君には国の士気の為に死んでもらう手筈になってるんだ。」

 ――死ぬ?

「よくわかっていない顔をしてるね。逆樹が出現した瞬間にちょうどセルを抜け出した、王家の血を持つほど強力な魔術師。うんうん、犯人に仕立て上げるのにこれ以上の適任は居ないよ。」

「なに? ……どういう事。」

「察しが悪いなあ。第一神災、砂の都。第二神災、逆樹。この二つの神災を君が起こしたものとして処理する事で、国民を安心させるんだ。生贄と言ってもいい。」

「それで、私を攫ってきたの。」

「そうだよ? まあ君を攫うのは流石に依頼したけどね。彼女は僕の依頼を完璧にこなしてくれた。あー、公開処刑は明日だから、そこのところ、よろしく。」

「待って……!」

 立ち去ろうとするレオを止めようとしたが、彼はソフィアの静止を聞かずに監獄を後にした。

「……死ぬ。私が。」

 今まで三度死んだが、死に慣れている訳ではない。

 鉄格子に手をかける。

「……? 魔法が、使えない。」

 鉄格子を壊そうとしたが、いざ魔法を行使しようとすると頭の中が掻き乱されるように集中力が切れる。普通の思考はできるが、何故だか魔法のイメージのみができない。この空間全体に、魔法の使用を阻害する魔法がかけられていた。

 脱出は不可能だと悟ったが、数秒後、そうでない事に気がつく。

「知ってるはず。過去に戻る方法……。」

 レオに殺されても過去には戻されるだろうが、そんな死に方は絶対にしたくない。

「――ある。知識が。」

 服のボタンを一つ引き千切り、地面に傷を付けていく。植え付けられた知識を元に、時計盤に似た術式が完成した。

 頭に浮かんだフレーズを、そのまま口に出す。

「十七席第十二継承者、ソフィア=クラウスの名に於いて、権能"転写"の一片を行使する――。」

 瞬間、ソフィアの意識は消えた。




   【Count:4】


「……成功した。」

 過去へ戻るのに死ぬ必要は無くなった、と前向きに捉える事にする。

「レオからも、逃げないと。」

 ソフィアは人が変わったように魔法学校で真面目に授業を受け始めた。知識を身につけ、基本的な魔法を人並みには扱えるようになった。四週目だというのに、ようやく人並みにしか魔法を扱えない自分に嫌悪した。ソフィアには、魔法の才能が無かった。


 七年後、ソフィアはセル国を出る。行き先は決まっていた。イウティ国の更に先、行ったら帰れないとされている未開の地、通称"無の砂漠"へと向かう。

 どこにいても、逆樹の被害から二日後にソフィアはレオが放った刺客に捕まり処刑されるだろう。……だからこそ、誰も来ない場所まで行こうとしたのだ。

 充分な食糧はある。水はいくらでも生み出せる。最悪、何かあればあの呪文を唱えれば良い。

「ちょっと待つの。」

 西の端の街から出ようとしたとき、ソフィアは何者かに声をかけられた。振り向くとそこには、フィリスがいた。この時間では初対面な為、向こうはこちらの名前を知らない。

「セルの学生さん、あなたが今から何をしようとしてるのか、ちゃんとわかってるの?」

「止めないで。」

「あなたではあの砂漠は越えられないの。」

「フィリスさん。その発言はまずかったんじゃないかな。」

「……!?」

 フィリス自身も、自分の言葉の先にある事を理解してしまった。

「ありがとう。……ちゃんと、砂漠の向こうにも世界が広がってるんだ。」

 ここは世界地図の端だ。砂漠が永遠と続き、何もない可能性だってあった。

「……あなた、鋭いの。でも一人で行くのは危険なの。」

「じゃあフィリスさんがついてきてくれる?」

「それはできないの。明日、砂漠送りが決まった囚人の輸送があるの。それに乗っていくの。」




 翌日、ソフィアは砂漠送りが決まっている五人を乗せた馬車と合流した。

「お前か。砂漠に行きたいっていう馬鹿は。」

 馬車を率いていたのは、小さな金髪の子供だった。

「フィリスから話は聞いてる。乗れ。」

 ソフィアが馬車に乗ると、そこに先に乗っていた囚人の五人は眠っていた。

「砂漠送りにするときはいつもこうしてるんだ。暴れないようにな。こいつらは二時間後に起きる。それじゃ、後は知らないからな。」

 少女が馬から降りて指を軽く振ると、馬は勝手に歩き出した。後ろを見ると、既に少女は居なくなっていた。



 馬車は一切角度を変えずに、足跡がちょうど直線になるように砂漠を横断している。

「……退屈。」

 二時間は経っていない。囚人たちが起きるのはまだ先だろう。

 それにしても可笑しい光景だ。二度と国に戻れないとは思えないほどぐっすりと安眠している。


 ソフィアは馬車が段々と速度を落としている事に気がついた。馬は炎天下の中休みなしに動き続けているのだ。当然だろう。

「はいはい。ちょっと待ってね。」

 ソフィアは馬車の前方に移ると、馬に右手を当てた。

「あげる。」

 ソフィアの手から水が噴き出し、馬にかかる。馬は少しは動揺したものの、歓喜しているようだった。再び元の速度になった。

「……魔法がかかってる。」

 馬には単純な指令がされていた。単純な洗脳で、ただ直進をしろというだけのものだ。

「……ん。あ?」

 男の一人が目を覚ました。

「女?」

「あー、起きちゃった。」

 男たちが起き始めた。二時間が経過したのだ。

「おいお前、何もんだ。」

「秘密。今はただの密航者。隠れてないけど。」

「テメェ……。」

 男がソフィアに殴りかかろうとしたとき、ソフィアは両手を上に挙げた。

「今は大人しくしてるほうがいいんじゃない? 疲れるでしょ。」

「……クソッ。」

 ソフィアは食糧を屋根の上に隠しているが、ここにいる囚人たちは何もないと思っている。

「水なら出せるけど、いる?」



「貴方たちって、何をしたの? 相当な事をしてないとここには来ないと思うんだけど。」

 つい気になって、ソフィアは五人に尋ねた。いかに罪人と言えども、無限の給水所となったソフィアに手を出す人間はいない。

「無差別殺人だよ。全員な。」

「ふぅん。」

「なんだよ、珍しくないのか?」

「いや、珍しいけど……、人が死ぬ話には慣れちゃったのかな。」

「そうか。」

 会話は弾まなかった。

「知ってるか? イウティでは、計画を練った犯行ができないんだ。」

「それって?」

 男のうちの一人が、ソフィアにとって少し興味のある話を始めた。

「土の四魔神のフィリスだよ。計画的な犯行、殺人だけじゃねえ、盗みも他の犯罪行為も全部、計画を立てた時点でフィリスに止められる。だから計画を立てない殺ししかできねえんだ。俺たちはそんなヤツの目を掻い潜って人を殺せた選ばれた人間なんだよ。」

 人を殺す事に関して誇りを持つ人たちだ。ソフィアとは考え方がまるで違うし、全く共感できなかった。違う種族なのだと、そう思う事にした。


 突如、空が暗くなった。夜になった訳ではなく、黒い雲が一瞬で空を覆った。

「何だ!?」

 男たちは混乱していたが、ソフィアはその黒い雲を知っていた。

「ま……さか……、」

 そして予感は的中する。ソフィアたちの進行方向上空に、黒い逆さの樹が現れた。

「嘘……何でこんなところに……?」

 逆樹の目が、馬車に乗るソフィアたちに向けられた。


 ――ああ、結局、私は逃げられないんだ。


 そうして、ソフィアたちは光に呑まれた。次にソフィアは目覚めたのは、見慣れた部屋の中だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る