14」悲愴の物語

   【Day:1/456/3/15】


 最後の神災が訪れる。

 全ての人間が犠牲になる、最悪の神災。


 空が暗くなった訳ではない。目に見える景色が変わるような事はなく、晴れた空もそのまま。しかし普段は何も感じる事はないリエレアでさえ、空気が重くなるのを感じた。



 そして、"ソレら"は現れた。


 人間の形をした黒い影が、あちこちから生えてくる。それの容姿は様々だった。


 影が動き出し、……一番近くにいた人間の心臓を黒い腕の先端を針のように伸ばして無慈悲に貫いた。

 悲鳴が聞こえるのも束の間、全ての影が行動を開始した。――地獄が、始まった。

 ソレの容姿はさまざまだった。子供の見た目をした影もあれば、老人型もいる。共通している点は、身体能力は通常の人間を遥かに凌駕している事。そして明確な殺意を持ち、人間の心臓を的確に狙うという事。

 突然現れたそれに対応できるはずもない。それらは見境なく人々を襲い、そうしている間にも新たに生まれ続けている。既にこの都市の人口は軽く超えているだろう。

「どうして……、こんな……。」

 先程、ほんの一分前までは、確かに平和な世界だった。それが信じられないほど、人が簡単に死んでいく。

 目の前で、人が襲われている。影が男性に狙いをつけた瞬間、リエレアは反射的に男の前に立ち、影を受け止めようとした。

「逃げて! 早く!」

 リエレアが後ろを振り向いた瞬間、男の心臓は既に貫かれていた。影は、リエレアを見てすらいなかった。

「……なんで。」

 今までの神災がどうでもよくなる程の規模。瞬く間に、イウティ最大の都市は壊滅した。あまりにも一瞬の出来事だった。

「そうだ、アスミさん!」

 アスミのいたはずの塔は根本から崩れ落ちており、居住区へと倒れてしまっている。リエレアが瓦礫の残骸へと駆け寄ろうとしたとき――


 急に、静寂が訪れた。人の声が聞こえなくなった。


 影は消えていないどころか、未だに数を増やし続けている。

(一体どうして……?)

 少し考えたところで、気付いた。単純な事だった。


 ――生きている人が、いなくなっただけなのだ。



    ー    ー    ー



 誰もいない街を、ただ一人歩く。

 豪快に崩れた建物の出入り口付近には、陳列されたままの品物。それから死体。ここは雑貨屋だった。


 ――まだこの世界に来て間もない頃、ここにはお世話になったっけ。


 広い敷地に、無数の死体。少し離れた位置には直方体の建物がそのまま残っているが、生きている人間は居ないだろう。ここは学校だった。死体の中には見覚えのある人間も多くいた。


 ――名前も顔も、覚えているのに。だからこそ、悲嘆した。


 その豪華な建物の中には交戦の跡があった。結果は散々だっただろうが。見知った顔も多いここは、イウティ国の中心、王宮。死体の中にはアインの姿もあった。

「あ……。」

 そしてリエレアは見つけた。見つけてしまった。

「ああ………。」

 普段は纏まっているその少女の金髪は解けて乱れており、倒れたその身体からは血が広がっている。


 ――見間違うはずもない。アスミの死体だ。


 ――もう、死んでいる。


 ――死んだ? 彼女が? こんなところで?


「うっ……うああああああああああっ!!!!」

 叫ぶ。リエレアはとにかく叫んだ。


 私に何ができた?

 何をすれば彼女は助かった?

 どうして?


 リエレアは何もできない。世界に一切干渉できない。リエレアがいてもいなくても、アスミは死んでいたのだ。その事実を、強引に突きつけられた。


 リエレアは彼女に触れる事さえもできない。ただ、死体を傍観するだけ。


「なんで……?」


 自分自身を嫌った。


「なんでよ……?」





『久しぶりだね。』

 数年ぶりに聞く、嫌いな声。

『僕は君を見られるけど、どうやら他の同胞たちは君を認識できないみたいだ。ほら、役割を終えて段々と消えていく。』

 影の数が減っている。

「どうして、……こんな事をしたの。」

『呼吸だよ。例えば人間の呼吸によって淘汰されてしまう生物がいるとしよう。君は呼吸する事を諦めてくれるかい?』

「でも……。」

『無理だね。現に僕は、今でも君の事を殺したくてしょうがない。でも不可能なんだ。君はこの世界に居ないから。……そうそう、もう一人、僕らが絶対に殺せない人間がいたね。あっちは逆に僕らの事を見境なく壊すから、まさに……』

 その言葉が続く事は無かった。喋っていた影が両断されたのだ。

「……ここまで人が残っているのははじめて。」

 人の、それも聞いたことのある声。

「ソフィア……さん?」

 四魔神の一人、水の剣を持つソフィアがいた。




    ー    ー    ー




 全てが終わった。気がつけば溢れる程存在していた黒い影たちはその姿を消し、この場にはリエレアとソフィア、そして無数の死体のみが残っていた。

「これが、私が知っている限りでの最後の神災。」

「こうなるって、知ってたの?」

 彼女に質問する。

「ええ。」

 無機質な返答。

「知っていたからといって、……対応できるとは限らない。アスミにはこの神災についての知識を全て与えた。そしてその結果がこれ。……これに対抗する手段は無い。発生したら最後、世界中の心臓を余さず狩り尽くす。今まで何をしても無駄だった。百匹消す間に、向こうは千匹増える。だから私は、倒すのを諦めた。」

『酷いなぁ。僕らを害虫とでも思っているのかい?』

 声がした。先程両断されたはずなのだが、そこには黒い影の彼がいた。

『……へぇ、ようやくわかったよ。僕らが君を殺せない理由が。僕らは……』

「黙って。」

 ソフィアが軽く指を振る。それだけで、虚空から氷の剣が出現し彼を縦に斬った。


「どうして、ソフィアさんは襲われてないの?」

 黒い影はまだ沢山残っているが、ソフィアは全く狙われていない。

「あの影は人間の心臓を狙う。……私は水の剣の所有者になってすぐ、私の心臓を抜き取った。」

「なら、どうして……。」

 どうして動けるのか。どうして意思があるのか。何故、生きているのか。リエレアはそれが疑問だった。

「脳以外の器官を全て魔法で動かしている。水の剣を心臓代わりに置いて、手足は魔法で動かす。首から下の神経を全て取り除き、代わりに魔法で動かす。今の私は、自分で自分を動かす人形のようなもの。」

 心臓無くして生きる方法があれば、最後の神災を生き抜く事ができる。ソフィアはそう言っている。

「なら、……いや、ダメだよ。」

 リエレアは何かを思いつき、すぐに否定する。それはソフィアにも伝わっていた。

「そう。全ての人間から心臓を抜き取り、代わりになるものを埋め込む。長期に渡って心臓の代わりをする装置は、私の技術では作れない。……それに、デメリットもある。心臓だけではない。その他人間のあらゆるシステムを魔法に任せたとき、……それはもう、人間とは呼べない。私のように。」




「私は、何もできなかった? 誰も助けられなかったの……?」

「私はあなたに助けられた。この周は無駄にはなっていない。第六神災までに今までの行動をより最適化できる箇所が四つ見つかった。二ヶ所、遠回りだけど犠牲の少ない方法を生み出した。リエレア、貴女のお陰。」

 リエレアは感謝されているような気がしなかった。

「さようなら、リエレア。……貴女を失うのは惜しかった。」

 そう言うと彼女は、ひとつの白い魔石を両手で持って地面に落とした。そこを中心として、多くの魔法陣が宙に浮かび上がる。かつて世界に神災と誤認させた第五神災よりも極めて精密だ。

「十七席第十二継承者の名の元、世界の"転写"を行使する。」

「……ソフィアさん、それは……!?」

 何度も聞いたフレーズが、ソフィアの口からも放たれる。しかしソフィアが何か答える事は無かった。


 視界が、止まった。


 世界が真っ暗になる。


 次の瞬間、世界は上書きされた。

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