6」第三神災・切断■
【記録:3】
呼吸する事を辞めてみた。
……数分が経過したが、特に変わった事は無かった。不思議なものだ。息を止めるという行為は、本来であれば長くは続かない。人は呼吸ができない状況でもない限り、数十秒ほどで酸素を欲するようにできている。それなのに……。
やめよう、考えるだけ無駄だ。私はこの結論を日記に残し、王宮へと戻った。
【Day:1/453/12/23】
第二神災・逆樹。今夏に大陸中を震わせた大災害より数ヶ月、世界は新たな神災の片鱗を見せていた。
「今回集まって貰った理由はわかっているな。」
王宮会議室に、イウティ国の主要メンバーが集まっている。そして当たり前のようにリエレアもいる。前回と違うのは、リエレアも今回の議題を知っているという事だ。
神官らしき中年の男性が口を開いた。
「既にミディ協会の者が向かっているが、隣国のニヴで多数の死者が出た。死体は全て、胴体を綺麗に切断されていた。協会はこれを新たな神災と仮定して調査を進めている。」
ミディ協会。その本部を隣国であるセルに置き、世界全土に広がっている元宗教団体だ。平等を謳い、国同士の争い事には一切関与しないが、今回のような世界の危機となる可能性があるものに対しては惜しみなく手を貸している。かつては教会だったが、数百年前に信仰対象を失いそれでも活動を続ける為に協会と改名した。
「神災? 国全体が沈んだり、上空に異物が現れたりするかつての神災と今回の事件とが同列だと? まだ被害の人数は数百人だ。魔術師による大量殺人ではないのか?」
神官の隣の青年が反論した。あまりにも情報が少ないが、確かに彼が言った事が真実であると仮定する方が現実的だ。
国王がリエレアの方を見た。
「さて、リエレア。……また、現地に赴いて調査を頼んで貰ってもいいか。現在あの国はミディ協会が閉鎖してしまっているのだ。」
「まあ、調べるくらいなら……。あれ? そういえばアスミさんは?」
こういった会議には呼ばれるはずだが、アスミの姿が無い。そして、普段は壁際に立っているローレンも見当たらない。
リエレアの質問には、若い看護師の女性が答える。
「アスミさんなら少し前に出ていったよ。セルに向かっているわ。」
彼女が国を離れるのは決して珍しくはないようで、不思議に思う人はリエレア以外にはいなかった。ローレンは、……そもそもリエレア以外に彼を視認できる人間が居ない事を思い出した。誰かが不在に気付くはずがない。
ー ー ー
ニヴ国。丁度イウティとセル、それから以前沈没したアブヌの間に位置する、静かな農業地。やはりというべきか、数分で着いてしまった。この移動力ならばナムフの東端までも数十分で着いてしまうのだろうか。
「国、というよりかは村だね。」
元の世界の常識が抜け落ちていない為に違和感が残るが、一つの村が国家として成り立っているのはこの世界では普通の事なのだろう。
――血痕はわずかに残っているが、死体の姿は無い。
「遺体は協会の人間と私の騎兵たちが移動させたわ。それと、この国に住んでいる人たちも一応。リエレアさんだっけ。話はアスミから聞いてるわ。久しぶりね。」
ニヴに着いたリエレアの前に現れたのは、黒髪ショートで帽子と眼鏡をかけた、リエレアと同じくらいの背の少女。パーカーにズボン、やや少年寄りの服装だ。
「えっと……、どこかで会ったっけ?」
彼女の事は知らない……はずだ。声は聞いた事がある気がするが、思い出せない。思わず彼女に質問すると、彼女は一瞬だけ落ち込み、すぐに何かを思いついた。
「あっ……ごめんなさいね。これならわかるでしょ。」
そう言うと彼女は、右手を前に突き出した。
「――"
中指に嵌められている指輪が光り、一瞬のうちに彼女が光に包まれていく。
(……あっ、思い出した。)
彼女の事もなのだが、それ以上にリエレアは彼女のような人間の基本的な設定を思い出した。
黄緑色を基調にした女の子らしい服装、短かった髪は長く、服と同じ黄緑に染まる。両手には先端がハート型になっている白い二本のステッキ、そして背中には折り畳まれた機械の翼。
「アキ、さん?」
リエレアは、彼女の魔法少女姿しか見た事が無かったのだ。
「"
……そしてアキは、すぐに変身を解いた。
「今は使わないから、温存しておかないと。……それに恥ずかしいし。」
ー ー ー
「あの、質問してもいい?」
アキが歩き始め、リエレアがついていく。しばらく進んだ後、リエレアはアキに尋ねた。
「いいわよ。何でも聞いて。」
随分と好意的だ、と思った。
「アキさんも、日本人?」
その質問をした直後、急にアキが立ち止まる。
「そうね。改めて、私は星乃
「えっと、実は私も日本から。だけどびっくりしちゃった。魔法少女って、ずっといないものだと思ってたから。」
リエレアのいた世界では、アキのような魔法少女やその他諸々は空想上の存在だった。
アキが再び歩き出す。それにリエレアも続く。
「貴女のいた地球には魔法少女は居なかったのね。私も驚いたんだけど、地球って言ってもたくさんあるらしいの。もちろん地球だけじゃなくて、エデニスやリスフィアもね。それとアスミも確か日本出身だけど、アスミのいた世界はもう壊れてしまっているのよね。」
世界は無数に存在する。かつてアノンと名乗った男が語っていた、無数の世界の事を思い出す。
(停滞した世界から、消されていく……。)
今考える事ではないだろうが、どうしても他の世界の話が出ると意識してしまう。いつかこの世界も消えてしまうのではないかと。
「着いたわ。」
巨大なテントの前に着く。アキとリエレアはその中に入った。
そこは酷い臭い……リエレアはそれを感じられないが、間違いなくそこは酷い臭いがして当然の場所だった。
――数百の死体が安置されていた。
ー ー ー
「この人たち、どうなるのかな。」
アキに質問する。
「身寄りの無い何人かは解剖の為に協会の専門家に引き取られるでしょうね。残りは多分、纏めて火葬。第二神災ではそうだったから。でも、火葬はこの事件が終わってからかな。さっきセルから優秀な魔法使いが来て、防腐処理をしてくれたらしいからしばらく置いておいても大丈夫だって。」
「セル国から?」
「セルは大陸一の魔法大国だからね。最近はどの国もほぼ同じ水準で魔法を学べるけど、ちょっと昔までは魔法学校がセルにしか無かったんだって。今でもその名残で、セルには優秀な魔術師が多いの。」
セルは魔法発祥の地であり、今でも技術に関してはセルが最も進んでいる。
「そうだ、セル国って今は大丈夫なのかな。」
先の神災により王宮のトップは全員死亡、四魔神のヴィルは行方不明となり、壊滅的な被害を受けているはずだ。
「ミディ協会が復興に当たってるからしばらくは大丈夫よ。治安を維持できてるのも、流石ミディ協会といったところね。……ただ、王家の血を引く人間がヴィルとその娘しかいなくなったのはかなりの痛手でしょうけど。」
あの日最後に見た、水の剣を持った少女の事はアスミとの間で秘匿する事にしていた。水の剣の持ち手が変わった。それはつまり、ヴィルは既に死んでいるのだ。混乱を招く恐れがある為、それを世界に伝える訳にはいかない。なお、アスミは最近水の剣の所有者が判明したと言っていたが、リエレアも詳しく知っている訳ではない。
死体は全て頭と腹の部分に布が被さっている。その全てが胴体を綺麗に切断されている為だ。全員がおよそ同じ場所を切断されているとみていい。
「注意深くは観察しない方がいいわ。」
アキが反転し、出口の方へ向かう。
「ついてきて、手伝って欲しい事があるの。」
リエレアを手招きした。
ー ー ー
「ここは?」
着いたのは、一軒の家。
「犠牲者の一人の家。情報があって、ここの人が毎日日記を書いていたらしいのよ。探しましょう。」
日記は驚くほど早く見つかった。別に隠れているものでもないので、当然の事なのだが。
「……それじゃ、開くわ。」
Ineat=Eanit Day:12/17
これがいつ役に立つかはわからない。誰にも見つけられず、無駄に終わってしまうかもしれない。だけど俺はこれを書き続ける。俺が死ぬまで。
最初は確か、十二月の十日だ。隣の区で三人、胴体が切断された状態で見つかった。深夜のうちに死んでいたよ。誰も気付かなかった。
少し変だったんだ。あの三人全員に会った訳じゃないが、三人の死者のうち
(この日の日記はここで終わっている。)
Day:12/18
早朝、俺は食事中にこれを書いている。とりあえず俺の身体が真っ二つになっていなかった事は幸運だ。昨日は途中で寝てしまって日記が途中になってしまった。心配してくれていたならそれはすまなかったな。
続きを書こう。俺は三人が死ぬ前日、一番若い奴に会っていたんだ。あいつ、俺を見るなりおかしな事を言っていた。「星が見える」と、昼間にだ。更に「落ちる」とも言っていた。そしてどうやら、死者は前日かさらにその前あたりから言動がおかしくなり始めるらしい。ああ、今日の犠牲者は三十人を越えた。俺もそろそろ頭は横。通ってもいい。左に向かって四歩食べたら、その前に俺を見た。
Day:12/19
助けてくれ。思考が纏まらない時間がある。今までの犠牲者たちと同じだ。俺はもう死ぬ。今だから断言できる。早期に逃げたあいつらと違って、今もまだこの村にいるからわかる。これはただの病気だ。関連性はわからないが、これで思考がおかしくなる事と無関係な訳がない。
昨日の俺の日記を見て悟ったよ。きっと明日か明後日くらいには、俺も死んでるんだな。
「病気、なるほどね。」
全て読み終わり、アキは納得したようだった。
「この日記は協会に提出する。協会の出す答えと私の予想が一致してたら、この事件は終わり。行くわよ。」
ー ー ー
リエレアたちは安置所から少し離れた聖堂跡に来ていた。現在は廃墟となっているが、ミディ協会の活動拠点としては有用だ。
建物に入ると、一人の女性が出迎えた。
「あっホシノさん〜。どうもですぅ〜。」
リエレアよりも少しだけ背が高く、黒髪。そして宗教はなくなっているはずなのだが、その女性は修道服を着ていた。
「久しぶりね、テセラクト。」
「そちらのかたは? また襲いました〜?」
「誤解を招くような事言わないでくれるかな?」
二人は面識があるようだった。
「はじめまして〜。テセラクト=コロンといいます〜。今はミディ協会を仕切ってたりしてますぅ〜。この前ホシノさんに襲われそうになっちゃって〜。」
「そろそろ黙りな?」
アキの目は少しも笑っていない。
「冗談ですよ〜。」
「それでテセラクト、彼女がリエレア。ほら、この前言ったアスミのとこの。」
「ああ〜聞いてますよ。リエレアさんですね〜。よろしくです〜。」
どうやらリエレアのことを知っているようだった。
「えっと、つまりテセラクトさんは協会で一番偉い人?」
リエレア尋ねると、テセラクトは首を横に振った。
「いえいえ、協会に上下関係はありませんよ〜。私が一番の年長者だったので、勝手に慕われちゃってます〜。」
遠くから足音がした。一頭の馬と、それに乗る白髪の老人の姿があった。彼はリエレアたちの前で立ち止まった。
「猊下、昨日までの被害者の身元全員の確認が取れました。いつでも次の段階に移行できます。」
「お疲れ様です〜。第二班は休ませちゃってください〜。」
「では、私はこれで。」
老人はそれだけ言うと、向きを反転し来た道を駆けていってしまった。
「……最年長?」
「今の、ロロさんって言うんですけど〜。実はあの子、子供の頃からずっと私に惚れてたんですよ〜。懐かしいですね〜。」
少しだけ。本当に少し、思考に支障を来す程度にテセラクトの年齢が気になったが、敢えて聞かない事にした。見た目と実年齢が伴っていない人間はここでは珍しくないようだったし、自分もいつかはそれになる、と思っている。
「そうだテセラクト、これ渡しとく。そこそこ大事なものだと思うからちゃんと協会のほうで保管しといてね。」
アキが先程の日記をテセラクトに渡した。
「こちらは〜?」
「犠牲者が遺した日記。私は一通り見て内容は覚えたからそっちで管理しといて。」
「了解しました〜。」
テセラクトは建物の奥の方へと行ってしまった。
「あの日記、ちゃんと覚えているの?」
リエレアはアキに質問した。
「一字一句間違えずに言えるわ。」
「……。」
言葉が出なかった。驚異的な記憶力だ。
「一つ気になる事があったの。日記の彼は犠牲者が切断された瞬間を見てない。深夜にしか切断されていないのよ。」
ミディ協会の人間も、誰かが切断される瞬間を見ていない。
「本当に切断まで含めて病気だと思う? なんだか違うような気がするんだけど。」
「確かに変ね。リエレアはどう思う?」
「言葉がおかしくなった人を誰かが処理してる……とかじゃないかな。」
「まあ、そう考えるのが妥当ね。」
ー ー ー
夜になった。リエレアは一度イウティ国に帰り、今日の出来事を国の上層部に報告した。
「病に侵された人間を犯人は屠っている。風の四魔神は確かにそう言ったのだな?」
「うーん、確定じゃないけど、今のところの推測としてはそう。」
いつもの会議室にはリエレアと国王と神官の三人。相変わらずアスミは帰還していないようだ。国のトップの人間は他国の四魔神に対しても相当な信頼を置いているようで、実際に会ったリエレアからすればアキのことを地位の高い人間として扱っている事にギャップがある。
「明日また来てって言われちゃった。今日はまだ何もわからないって。」
「ご苦労だった。……明日また、ニヴに向かって貰えるか? 可能であれば、風の四魔神殿とも友好な関係を……。」
「もちろん行くよ。私にしかできない事だから。」
世界に干渉できないからこそ、安全に情報を提供できる。何もできないと思っていたリエレアでも、できる事はあるのだ。
「それと、アキさんはそこまで厳格な人じゃないよ。そうだ、明日の朝までに例の日記のコピーを送って貰えるらしいから、後はよろしくね。」
ー ー ー
「アスミさん、戻ってるかな……?」
リエレアはアスミの部屋の入り口前に瞬間移動する。この位置は何度も来て覚えたので、容易にイメージする事ができる。いきなり部屋の中にワープするのはまだ烏滸がましさを感じるので避けている。
壁や扉を抜けるのにも目を閉じる必要は無くなった。『私は壁をすり抜けられる』という感覚をリエレア自身の常識に当てはめられてきているのだ。
「アスミさん、いる?」
扉の向こう側へと侵入し、……そこにいたのはアスミではなかった。
『やあ、久しぶりだね。』
黒い影。リエレアがこの世界に来たばかりの頃に出会った、人がどうかもわからない謎の生命体がいた。
「えっと……、唐突だね。」
相変わらず、彼の出現に対しリエレアは少しも驚いていない。
『僕はまだ世界に存在できないからね。』
「いや、今そこにいるけど……。」
『いいや、居ないさ。何をもって世界にいると言えるか。存在の証明には観測者が不可欠なんだ。君はこの世界の観測者に数えられていないから、僕は君の前に姿を現す事ができる。この部屋の主人はしばらく戻ってこないみたいだからね、ちょっと有意義な話ができると思うよ。』
相変わらず、彼のペースで話が進んでいく。
「……あなたの事、何て呼べばいいかな。」
『僕が存在している事は君にしか知られていないんだ。名前は言わなくてもいいだろう? 僕のことは"君"とでも、まあ好きに呼んでくれたまえ。』
「それで、あなたは何を言いに来たの? 神災の助言?」
用もなくリエレアの前に現れるはずがない。
『僕はこの世界を変えてしまうような情報を教えない。僕がいるという痕跡が生まれてしまうからね。だから僕がこれから話すのは、世界の外側の話。君、アノンに会ったんだよね。そこでの話が聞きたいなぁ。アノンは君にどこまで話した?』
「話さなくてもいいよね。」
『……ははっ、確かにその通りだ。色々と聞き出そうとしたけど、僕の負けだね。じゃあ予定通り、僕からの忠告だ。』
「忠告?」
『今後、世界を渡る力を持つ人間が君に提案をしてくるはずだ。"継承"という単語が出てきたときには特に断るべきだろうね。あ、もしかしたらもうアノンに言われてるかな?』
「いや、それは言われてないや。」
『そう、意外だね。……それともう一つ、伊神迅という人間に出逢ったら注意してね。』
聞いた事のない名前だ。
『迅はね、……間違いなく君に干渉できる。僕からはそれだけだ。それじゃあ、また会おうか。』
「待って。」
リエレアが静止するが、黒い影はリエレアの言葉を聞かずに消えてしまった。
(伊神、迅……。)
それと、継承。彼の言っている事は半分以上が不明なものだが、覚えておくべきことだろう。数少ない、世界の外側の知識なのだから。
ー ー ー
深夜になり、リエレアは再びニヴに向かった。理由は単純、切断の理由を探る為だ。
「うーん、誰かいませんか〜?」
聖堂に入るが、中には誰もいなかった。
「君、ミディ協会に何か用かな?」
後ろから声をかけられたので振り向くと、一人の若い男が立っていた。
「あ、君は確かリエレアさんだね。じゃあ多分用があるのはテセラクトさんだ。彼女なら少し前にシキ国の収容所に出かけていったよ。」
「収容所?」
「今は安全が確保されるまで生き残ったニヴ人を隔離してるんだ。地図を渡しておくよ。」
「いえ、物は持てないので大丈夫です。場所だけ教えて貰えれば。」
リエレアはシキ国にある、ニヴの人間が隔離されている巨大な収容施設の前に来ていた。普段は独房として動いているらしいその建物は、現在は本来の理由で収容されている人間はいない。
「あ、リエレアさん。こんばんはです〜。」
入り口には昼間に出会った修道女がいた。
「こんばんは。テセラクトさん。」
「それにしても奇遇ですね〜。あなたも調査を?」
「うーん、そんなところ。」
調査というのは本当だが、実際に何か手がかりがある訳でもなく、ただ退屈な夜に少しでもみんなの役に立つ事をしたいという理由のみでリエレアはここに来ている。
「あ、そうだ。ここで立ち話もなんですし、ちょっとついてきてくれませんか? 色々とわかってきた事実もあるので〜。それに、そろそろ中で観測してる人も交代したいと思っているはずですから〜。」
「観測?」
深い意味は問わなかったが、それはすぐに判明する事になる。
テセラクトとリエレアは収容所の地下へと進んでいく。普段は特級の罪人が入る部屋だが、嬉しい事に現在は誰もいない。
誰もいない、はずだった。
ミディ協会の一人が檻を監視していた。
「アカリさん、ご苦労さまですぅ〜。交代していいですよ〜。」
「お疲れ様です。ではお願いします。はぁ、疲れた。」
アカリと呼ばれたその女性は、テセラクトが来ると入れ替えで急いで地下から出て行ってしまった。
「えっ……。」
まるで地獄のような場所だった。ここから見える独房は五つの区域に分かれており、そのうちの右側三つに人間が一人ずつ、胴回りが十分に見える状態で収容されている。
「あの、この人たちって……。」
「出して!! ここから出してよ!!!」
リエレアが質問をしようとした直後、右の檻の中にいる女性が叫んだ。
「この人たちは先の病気で特に重症の人です〜。昨日から交代で経過観察してるんですけど、おなか、切れませんね〜。」
女性の訴えを無視して、テセラクトは解説を始める。女性は必死に懇願するが、まるで聞いていない。
「左のかたはまともな会話が望めなかったのでちょっと脳を分解して、今はもう大人しいです〜。真ん中のかたは左との比較の為、脳に細工をしていませんがだいたい同じです。今は眠っていますけど。右のかたはまだ辛うじて自我を保てている個体ですね〜。たまに壊れた発言はありますが今は安定しています〜。」
「何、を……?」
何を言っている?
リエレアには、彼女が、テセラクト=コロンという人間の事が全く理解できなかった。
異常。そうとしか呼べない。倫理が崩壊している。
「何、ですか。実験ですよ〜。とはいえ、もうすぐ結果がわかりますけどね〜。」
人間を用いて実験を行なっている事に関して、彼女は全く罪悪感を持っていない。
「うーん、まだ誰も切断されないですね〜。"日記"によるともう切断されていてもいい頃なんですけど。あ、誰か外部の手という線はもうないですよ。先程密室に閉じ込めた患者さんが切断されてしまったので、原因は患者さんの体内で間違いないんですけどね〜。」
テセラクトが三人のうちの左の檻を開け、その中に入る。
「……うーん、いますね。やっぱり。間違いない。」
テセラクトが独り言を呟き、右手の手袋を外す。その手が銀色に変色したかと思うと、形状が変わった。鋭いピンセットのような形を為す。
テセラクトはその右手で、収容されている男の腹を突き刺した。
「ーーー!!!!」
男が声にならない悲鳴をあげる。
「ひっ!」
つられて、リエレアも短く悲鳴を上げた。
「大丈夫ですよ〜。これはただの反射反応なので。実際に痛がっているわけではないです〜。」
そしてテセラクトは、彼の腹から一つのモノを取り出した。
「アタリ、です〜。リエレアさん、これ見てくださいよ〜。」
テセラクトが自らの右手を私の前に出す。鋭利なそのピンセットの先端に、一つの白い異物が刺さっていた。
まるで爪の無い人の右手のような形状で、中指にあたる部分に口が付いている。……そしてピクピクと跳ねている。
「きもちわる……。」
「さて、私は帰ってこれを調査します〜。でもサンプルがあと二つくらい欲しいので貰っていきますね〜。」
テセラクトは、その場から一歩も動かずに手先の形状のみを変えて残り二人の腹を突き刺した。
断末魔と共に、右に収容されていた女性は絶命した。
「えっ……嘘……。」
「大丈夫ですよ〜。どちらにせよもう助からない状態だったので〜。」
「いや、そういう問題じゃなくて……! 助ける方法とか、本当に無かったの!?」
「一応ありますよ〜?」
ある。テセラクトはそう即答した。
「あるならどうして……!」
「ただ、既に脳を壊されているので、新しく脳を作って入れ替える方法になりますね〜。でもそれはもう別人なんですよ〜。」
……リエレアはそれ以上、何も言えなかった。この世界に来て初めて、リエレアは明確な恐怖を覚えた。リエレアにはテセラクトが、同じ人間とは思えなかった。
【Day:1/453/12/25】
二日後の午後、ミディ協会は全世界に報告書を提出した。内容は第三神災について。リエレアはというと、先日のテセラクトの件で気分が悪かった。アスミの部屋で一日中うずくまっていたのだ。
『命名:寄生虫ライトハンド(その形状より)』
『此度の神災は新種の寄生虫、ライトハンドによる病である。現在新たな感染者は確認されていないが、言語が破綻した人間が確認された場合、速やかにミディ協会に報告を。以降、病の詳細である。』
『ライトハンドは成体で全長二センチメートル以下、名の通り右手を模している。左手を模す個体は確認されず。宿主の体内である程度成長した個体は脳に侵食し感覚を犠牲者と同期、目撃者が居ないかつ素体が就寝している時間を見計らって腹を食い破り人体から出る。以上がライトハンドの生態である。外へ出たライトハンドがどこへ向かうかは不明だが、捕獲したライトハンドは地面へ潜ろうとする挙動を見せた。』
「全く、酷い結末よね。」
報告書を見て、アキがため息をついた。
「……全く、こんな完璧な報告書、誰か犠牲にしないとわからない事だらけなのに……。」
あの後も、テセラクトは一人で非道な実験を続けていたのだろう。報告書の内容は、リエレアが見たこと以上の情報が詰まっていた。
「……私、また何もできなかった。」
「仕方ないわ。きっとテセラクトの横暴なやり方は誰も止められなかった。人間の為を思って、人間を使い捨てる。アイツはそういう人なのよ。」
……せめて。せめて世界に触れられれば。……少なくとも、あの夜にただ見ている事しかできなかったあの結末を少しでも変えられたかもしれない。
「どうして、触れられないの……。」
リエレアは今回、初めて自分の性質を酷く呪った。
それから、新たな切断死体が見つかる事は無かった。
命名 第三神災・切断症
【Day:1/453/12/23】
「やっと見つけたよ。多分君の事だから私が来る事は予想できていたと思うが。」
切断死体が認知され始め、イウティに召集がかかったその日、アスミはセル国南西部、草原に立つ一軒家の前にいた。セル国内ではあるのだが、ここだけがまるで隔離されているかのようだった。
「いい場所だな、ここ。静かで涼しい。君以外には人は居ないのかい?」
彼女の前には、栗色で長髪の少女が一人。歳は十八くらいだろうか。そして彼女の腰には、かつてヴィルが所持していた、水色に透き通った水晶の剣があった。
少女が口を開いた。
「ニヴに行かなくていいの? 第三神災の切断症はもう動いてる。」
「……やっぱりあの切断死体たちは病気でいいんだな。それと、安置所に防腐処理を施したのも君だね。第三神災は私の優秀な友人たちが解決するだろうから平気さ。それよりも挨拶がまだだったね。はじめまして。私は土魔神のアスミ。さて、ヴィルからその座を奪った新たな水魔神、君の名前を聞こう。」
「……ソフィア。入って、アスミ。貴方とは話がしたかった。」
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