EX1」加藤亜澄
今から書くのは、二十年前の物語。私ではない、彼女のお話。
【Day:-299/2018/12/18】
「それじゃ、考えておいてね。この世界を救うにはそれしかないの。じゃあね。」
一人の老婆の前に現れた金髪の少女は、最後にその言葉を残し去っていった。
【Day:-299/2018/12/25】
埼玉県某所の研究施設の地下で、四人程の人間が作業をしている。住宅街に建てられている少し広めのこの施設は、かつて百貨店だった場所だ。
部屋の中央にはガラスケースが置いてあり、その中には一匹のモルモットが入っている。右足には黒い印が付いていた。
「第一条件クリア。実験を次の段階に移す。」
「了解。加藤教授、こちら準備完了です。」
「ああ。北欧の奴らに感知される前にとっとと済ませよう。」
この場を仕切っているのは齢七十にもなる白髪の老婆だが、彼女の容姿は年寄りという言葉からはかけ離れていた。五十、下手をすると四十代と言っても通用するだろう。
彼女は加藤亜澄。元大学教授で、現在はその才を認められてある実験の監督を務めている。
「第二条件クリア。いつでも実行可能です。」
「永野、始めてくれ。」
「了解です、教授。」
永野と呼ばれた男がパソコンのキーを叩くと、少し大きな音と共にガラスの中のモルモットが消えた。
「別室のカメラ確認。」
パソコンの画面に、別の部屋に置かれているガラスケースが表示される。その中にはモルモットがいた。
「右足のマーカー確認。同一個体です。映像戻します。」
監視カメラの映像を二十秒巻き戻した。
「……成功。成功です!」
研究員の一人が思わずガッツポーズをする。他の面々も同様に、かなりの喜びを感じている。
「時間遡行機、タイムマシンの完成だ。」
この日、亜澄はタイムマシンを作り上げた。
ー ー ー
「ただいま、耀。」
「あ、おばーちゃん! おかえりなさい!」
亜澄が家に帰ると、彼女の孫が出迎える。亜澄は高校生の耀と二人暮らしで、耀の両親は海外に赴任している。
「明日ちょっと朝早く出掛けてくるから、私そろそろ寝るね。おやすみ。」
「ああ、おやすみ。」
少しの会話しかしていないが、それで充分。亜澄は自分の部屋に入った。
「……はぁ。」
深いため息をつく。安堵によるものだ。
「完全に出し抜いたと思ってるでしょ。」
安寧を壊すように、すぐ後ろから声がした。耀ではない。別の人間が立っていた。
「……アディ、だったね。」
あらゆる法則が通じない、異端の頂点。彼女からすれば鍵のかかった他人の部屋に入るなど造作もない事なのかもしれない。
「答えは決まった?」
「……場所と時間を変えよう。耀がまだ起きてる。」
「いいよ。私もそのつもりだったし。今日中ね。場所はそっちに合わせる。」
アディが指を鳴らすと、彼女はそこから消えた。
この時の亜澄は、彼女が未来から来た別の国の研究機関の刺客で、時間遡行の実験を止める為にこの時代に来ている、という程度の推測しか持てなかった。当然ではあるが。
深夜十一時半。亜澄は閑散とした公園のベンチに座っていた。こういう時、年寄りというのはあまり警戒されずに済むので助かる、と思っている。
「極寒の中で年寄りを待たせるもんじゃないよ。」
ベンチに座って十分ほど。亜澄の前には二人の人間が立っていた。片方はアディ。先月突然亜澄の前に現れ、忠告をした少女。もう片方は初めて会う。長身の黒衣の男だ。
「先日はアディが世話になったな。私たちは代行屋。私の事はアノンとでも呼んで欲しい。」
アノンと名乗ったその男は、姿形は人間そのものだが、亜澄は彼が人間であるとは思えなかった。それ程までに存在が異常だった。
「『世界を壊すか、私が死ぬか。』だったか。」
「アディの説明は曖昧だっただろう。だか、概ねその通りだ。」
「詳しい理由を聞いていないが。」
「二年後。」
アノンが語り始めた。
「君は時間遡行機による人間の移動に成功する。初の被験者は君だ。我々はそれを阻止しなくてはいけない。」
「理由を訊こうか。」
「君は気付いていないだろうが、その時間遡行はあくまでも過去を切り取り、観測者を一人残して現在を上書きしているに過ぎない。……賢い君ならわかるだろうが、君が時間遡行機を発明したのは、これが初めてではない。」
「……信用に欠けるな。」
アノンの自論は理解できるし、自らが生み出した理論との整合性もある。しかしそれを認めたくない。
「何一つ処理をしなくても良い手段が、一つだけ存在する。」
「それには応じられない。そもそも、君たちは私の敵だろう。」
内容を言う前に、亜澄は否定した。アノンがこれから告げようとしている事を、亜澄は理解している。
「……天才との会話は、また違った意味で疲れる。」
「褒めていると受け取っておこう。……私はこの開発を辞めるつもりはないし、過去に戻る事を躊躇しない。それに、解決策ならまだあるだろう。」
「……聞こう。」
「今この瞬間、私は二人いるという事だな?」
同じ時間を何度もループしているのであれば、この世界にも一つ前の周からこの時間に入ってきた亜澄がいるはずだ。
「その質問には答えられないな。」
「死ぬのか。私は。」
アノンが秘匿しようとした答えを、亜澄は全て汲み取る。
「……ああ。」
アノンは何もかもを見通す彼女に対し、隠す事を諦めた。
「君は時間遡行に成功するが、時間を上書きした直後に君は死ぬ。今から四年前だな。何故四年前なのかは調べさせて貰った。」
「夫が死ぬ年だよ。」
「最愛の人間を何度も殺していると知りながらも、君は過去に戻りたいか?」
「何度戻ろうと、死ぬのは一度だけだ。」
「君の歿年は君の夫よりも早い。」
「生きた時間は私の方が長いさ。」
「独自の理論を持っているみたいだな。悪くない。……だが、実際には君の夫は……そして君も、何度も死んでいる。」
「答えは変わらない。」
何を言おうと、亜澄の信念は消えない。
「残念だが、決裂だな。」
「ああ、私としては君が諦めてくれたようで嬉しいが。」
「何が君をそこまでさせる? 好奇心の剥奪は死よりも怖いか?」
「怖いな。私は常に、好奇心の権化だった。この研究を諦めろというのは、死ぬ事よりも辛いのさ。」
「……狂っていると言いたいが、我々にそれを言う資格は無い。その信念は尊重しよう。……では、こちらも然るべき手段で対応するとしよう。」
――このまま私は死ぬのか。
亜澄は全てを覚悟したが、アノンの発した言葉は亜澄が予想していないものだった。
「アディ。……構わない。全て壊していい。」
――この日、ひとつの世界が跡形もなく消えた。
【Day:1/430/7/10】
――意識がある。
――死んだはずなのに。
――死んだ、はず?
何故、私は死んだ?
何も思い出せないまま、少女はどこまでも広がる草原をあてもなく歩き始めた。
遠くに人工の建物群が見え、ひとまずはそれに安堵する。少女は巨大な門に向かって駆け出した。
「待て、そこの餓鬼。」
門を潜ろうとしたとき、門番の若い青年に声をかけられた。
――餓鬼?
思えばその少女の視点は、少女が見慣れている高さよりも幾分か低かった。背はもう少し高かったような……。
「身分の証明はできるか?」
そんな事を言われても、少女は自らをよく知らない。詰みが見えたと思った瞬間、門の向こう側から一人の女性が歩いてきた。
「アイン、その子通しちゃっていいの。」
「フィリス様!? 何故ここに。」
アインと呼ばれた門番の様子からするに、フィリスと呼ばれたその女性はそこそこ地位が高い人なのだろう。見た目は背景の有象無象に含まれそうな、どこにでも居る人間だったが。
「えっとね、その子、私の娘なの。」
…………は?
これが、少女とフィリスの出会いだった。
「ごめんね、今の嘘なの。この子はアースからの転生者だよ。」
ー ー ー
「加藤……亜澄。」
「そう、それがあなたの名前なんだね。」
少女は自分の名前を思い出した。フィリスによって強引に記憶を遡らされたような気がするが、あまり気にする事は無いだろう。
そして、名前だけではない。少女は前の世界での死を思い出した。
「辛いなら、今は言わなくていいの。」
フィリスはそう言ってくれたが、少女は全てを話した。少女の世界は、理由もわからないまま二人の人間に壊された。
「アノンとアディ。そう名乗っていたんだね。」
フィリスはその名前を知っていたようだが、何も答えてはくれなかった。
ふと、鏡が目に入った。フィリスと共に映るその姿は……。
「アスミ?」
フィリスが心配するが、すぐに理由が判明して解説する。
「容姿が元のあなたと違うんだね。よくある事なの。気にしないの。」
ー ー ー
「これが真魔法。三百年前のセル国を起源に持つ、この世界発祥の魔法なの。」
フィリスが橙色の水晶に力を入れると、目の前の土塊が動いて鳥の形を為した。この世界に来てから数日。亜澄はフィリスから魔法を教わっていた。
「……なんだけど、実はこれも外から持ち込まれたものなの。本当は、この世界に魔法なんて無かったの。」
まるで当時を知っているかのような口ぶりだった。
「とりあえず、試しにやってみるの。魔石に力を込めて、目の前の土を動かすイメージをするの。」
フィリスに言われた通り、想像する。軽く念じただけで、土塊が動き始めて隣の土の鳥と寸分違わない鳥を生み出した。
「……才能がある、で片付けられる事じゃないの。」
当然と言うべきか、フィリスが驚いている。当然それ以上に亜澄も驚いているが。
「魔石の劣化が無いの。……アスミ、ちょっともう一回やってみて。今度はこれを使って。」
フィリスから別の魔石を貰い、土塊の方を向いた。
……土が動き、鳥が三匹に増えた。
「だいたいわかったの。アスミ、実は今あなたが持ってるそれ、ただの石なの。それに魔法を扱う力は無いの。」
……はい?
「通常の人間は体内に魔法を扱う器官を備えていないから、外部のもの、例えばこの魔石とかを使って魔法を行使するんだけど、アスミは違うみたいなの。ちょっと色々調べてもいいかな?」
その後は幾つかフィリスが行使した魔法を反復していたが、アスミはその全てを魔石を使う事なく完璧に模倣してみせた。自分でも原因がわからないまま。
「次で最後なの。ちょっとあの崖の上まで跳んでみるの。」
手から火を出したり、垂直に五メートル程跳んだり、他にも幾つか人間離れした魔法は全て扱えた。崖の上まで跳ぶくらい造作もないだろう……。
「……あれ?」
イメージは完璧だが、アスミの体は動かない。今までの事は全て出来たが、急に魔法が使えなくなっていた。
「やっぱり。」
フィリスはその事実に納得していたようだった。
「アスミ、決まりなの。あなた、他の人が使った魔法を模倣できるの。逆に見たことのない魔法は扱えないの。」
フィリスが地面を蹴って、数メートル先の崖の上に着地する。振り返って、アスミに手招きをした。
跳ぶイメージを持つ。直前の失敗が嘘のように、容易く崖の上まで一歩で跳べた。
これが、アスミの力。
「あ、そうそう、ちなみに今私がここまで跳んだのは真魔法じゃなくて、また別の力なの。それも模倣できたって事はつまり……。」
一呼吸置いて、フィリスは言った。
「あなた、何でもできるの。」
「何でも……?」
見たものをそのまま模倣する力。アスミにはそれがあった。
「うん。転生時に本来持っていないものを持ったり、逆に持っていたものを手放していたり。この世界にはそういうものが多いの。」
本来持っていなかったもの。
「原因は何……?」
フィリスに質問すると、彼女は答えた。
「ただの不具合なの。アスミの世界の言葉だと……、バグ、と言ってもいいの。」
【Day:1/447/1/2】
十七年後、冬。
「……フィリス?」
雪の白と。
「何か……何か言ってくれよ。」
血の赤。
アスミの手には模倣の力により生み出された短剣。そしてその先端は、フィリスの心臓を貫いている。
「……。」
手違い。そう言わざるを得ない。彼女を刺したのは本意ではなかった。
アスミが行った行為は単純なものだ。虚空から短剣を生成し、一突き。
「こうなる事、知ってたんだな。」
この技は、フィリスから模倣したもの。彼女に対してはあらゆる攻撃が通用しなかったが、この技だけは別格だった。
「……先に失礼するの。後は、任せたの。」
途端、彼女の身体が消滅した。死体すら残らなかった。
悲しい? 寂しい? 違う。悔しいのだ。気付くべきだった。アスミは彼女を満足させてあげられなかっただけ。いつの日かフィリスは、彼女自身の死を他者に委ねる決断をしていたのだ。少し考えればわかった事ではないか。
声は上げない。涙も流さない。ただアスミは、彼女が唯一残した黄土色の水晶の剣に触れた。
強い繋がりを感じる。剣がアスミを所有者と認めた瞬間だったが、アスミはこの剣を使う気にはなれなかった。
剣の所有者は死以外で所有権を譲渡する事が出来ず、継承には保有者の死が必須だとフィリスから聞いた事があった。
そして、所有者の失った剣は最初に触れた者が次の魔神となる。……しかし条件が一つだけあった。
「……過去に、お互いに信頼する人間を殺した事がある者。」
残酷なルールだ。そしてアスミはたった今、全ての条件をこの場で満たした。彼女はこの日、土の魔神となった。
【Day:453/12/10】
「……少し出掛けてくるよ、フィリス。」
研究室に飾ってある水晶の剣を撫で、アスミは部屋を後にした。
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