第145話 生々流転


 正義に縋って、正義に心酔して、正義に苦心して、正義に圧倒されて、正義に無心になって、不俱戴天、偉大な太平を背く、不義を抹殺するのだ。


 正義なんて逆から記名すれば、犠牲ともいうし、とある終末観をオマージュした、ロックバンドグループの歌詞の借用でもしたいくらい、正義に僕は汚れている。



「お前は鬱憤晴らしになっただろう。敵討ちにもなって俺は清々しいぜ」


 彼の虚栄心は滑稽なほど、消沈していた。


「僕は正直なところ、君が犯した罪を許せないかもしれない」


 彼女は刺された直後、ほかの学生を庇い、逃げさせ、自分自身は脇腹を押さえながら、警察に110番通報したのだという。


 刺した青年本人は赤の他人を初めて、刺した大きな精神的なショックでその場に雪崩込み、一ミリたりとも動けず、警察に連行されるまで茫然自失だったという。


 


 救急搬送された病院で彼女は意識混濁になり、数日間、昏睡状態になったままだった。


 目が覚めたときも彼女は、以前とは比べ物にはならないくらい、老け込み、大勢駆け付けた週刊誌の記者で心身ともに追い込まれていただろう。



「現場に居合わせた女子学生の一人は事件後、ショックでPTSDを発症したんだ。君自身がいちばん自分を許せないだろうに」


 僕は僕に対してその絶縁状を叩きつけたように思えた。


「許さない? そうだな。アハハ! ごもっとも」


 彼はふとした瞬間に良心の呵責に苛まれて、自死を決行するかもしれない。


 あまりにも変わり果てた身辺に絶望して、仮釈放された後に自ら、命を絶ってしまうかもしれない。


 ただ、僕にはどうすることも出来ない。


 他人の人生を僕が代用する御業などできやしないからだ。



「お前はこれから、どうするの?」


 僕はこれ以上の面会の続行は無理だと判断し、彼には返事をするか、しないか、迷った。


「僕は父さんの元へ身を寄せている。だから、生活に心配はない」


「そうか。そうか。そうなのか……」


 父さんは僕の存在をそもそも、家柄を繋ぐための切り札のように思っているんだろうか。


 いや、父さんは父さんなりに愛情表現が拙いだけなんだ、と僕は僕に言い聞かせる。


「お前、人生逆転したな。そうか」


 僕が父さんに引き取られた事実を彼がいち早く知っていたら彼は事件を起こさなかったかもしれない……。


 今、どんなに悔やんでも時間は戻ってこない。


「僕は君のことを忘れはしない。僕の悔しさのために人生を犠牲にした君にありったけの非難なんてやる資格はない」


 青年はその懺悔を聞き入れるのを避けるように面会時間を打ち切った。


 僕は退出し、警察署管内の庭先に咲く、新春の候に咲く蝋梅の花の黄金色を目に焼き付けた。


 生々流転、万物は動き続ける。


 


 彼の過ちは彼自身が責任を取らないといけない。


 僕は何もできないからだ。


 初東風が太郎月の夕べに吹き荒れる。


 今日も何とか生き延びた。


 僕は僕自身に苦笑いしながら白い警察署を後にした。


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