第138話 月と居場所


 アフタヌーンティーの一式も芳醇なスコーンがここまで香り、焼き立てのスコーンのシンプルな甘さを想起させる。


 ハムとレタスが入ったサンドイッチや艶やかなブルーベリーのジャム、熱々のゆで卵、蕩けるようなチーズケーキ、旬の苺やオレンジの一切れ、生クリームとカスタードクリームがたくさん漏れなく入ったシュークリーム、滑らかそうなプリン、ほうれん草とソーセージが入ったキッシュなど、目を見張るような品揃えだった。


 ウエイターが仕込んだ高級感のある紅茶もティーカップの中に物怖じせず、並々と入ったワインカラーの紅茶は緊張した心を癒し、絡まった糸をほぐしていく。



「君は今日からうちへ住まうといい」


 この日の再会はそのためにあった。


「君は早くあの陋屋のアパートを決裁して、教育環境も整った屋敷で療養しながら休息するといい。宍戸さんたちには了承済みだ」


 幼子のようにパクパクと食みながら僕は運命を呑み込めなかった。


 僕は覚悟を持って、父さんの元へ行かないといけない。


 僕には逆らえない運命があるんだ、と臆病風に吹かれながら。


 


 前日、僕のボロ屋のアパートを引き払い、宍戸さんへ報告した際、僕は運命と覚悟した。


 宍戸さんは僕の事情を何度も頷きながら聞き入れ、勝手気ままに働かせてもらったのに、逆に慰めてもらった。


 


 宍戸さんは深刻そうに顔が引きつっていたものの、最後はこんな言伝を残してくれた。――君には普通の人にはない運命に導かれているのだ、と思っていたよ、君はその重荷に耐えるしかないと、恐縮するかもしれないが、それが逆に誰にもない強みなのだ、と。


 


 僕は父さんに初めて会えた喜びに浸り、ひたすらに喜悦に駆られている。


 アフタヌーンティーを共に共有しながら僕はその醍醐味を味わい、すっかりお腹が膨れっ面になってしまった。


 ホテルを退出すると僕は少ない手荷物を持ちながらそのリムジンで生まれて初めて、父さんの家、と言うより、僕のわが家へ入室した。


 


 これから、起こる運命も、歩むべき克服も、僕はこの手で受け入れないといけない。


 その質素ながらも歴史を感じさせる、都内の閑静な住宅街にあるお屋敷の門扉をくぐり、出迎えてくれた父さんの家族に見守られながら、がむしゃらに会釈するしかなかった。


 お屋敷の中に入ると初めて来たところなのに懐かしささえ覚えた。


 


 ここが僕の居場所。


 そんな他愛もないフレーズを口ずさみながら、僕はその屋敷でも本を読み耽りながら月華を愛でていた。



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