第137話 月を抱く少年
涙が零れないように、僕は問いかけているんだろう。
投げ槍になって、失望されて、大いに冷笑されて、僕が抱いた明日への手紙も、ぐちゃぐちゃに切り刻まれるように、僕は透明な冷凍庫の中に閉じ込められていた。
他者に線引きされて、お前の言葉や価値、信条はこの人ならば、多額の値段が付くけど、お前には何の選評もない。
駄作、駄文、駄弁、クレーマーまがいの涙にも、多額の借金をする言の葉。
お前の存在自体、危険物のゴミだって、と大衆論理は謳っているじゃないか。
信用なんてするな、きっと裏切られるのだから……。
「母さんは病棟でも意思疎通も出来ないんです。僕は高校進学も断念して、働きながら立て直そうとしても、なかなか埋まらなくて、同世代とどんどん差が開いてしまうんです。母さんはずっと苦労してばかりでたくさん泣いて、たくさん憎んで、たくさん嘆いて、僕には分からない領域まで、哀しみを背負って来たんです」
言いながら、咽喉が痛くなっていく僕が、この場において意表を突かれた。
「父さんは……。母さんについてどう思っているんですか。母さんは」
慣れないズボラな敬語に違和感のある、僕もぼんやりといた。
「千夏には申し訳ないと思っている。今すぐにでも会えたら謝りたい」
執事のおじいさんが父さんの言動について見解を示すように窘めた。
「いけませんよ。自分の非をあっさりと認められたら」
高貴なる人々にとって、己の非を認めるとは、余程のことがない限り、あり得ぬ事態だった。
父さんはこんな卑近な僕にとっては、あまりにも畏れ多いのだ。
「父さんは母さんにお会いしたんですか」
ぎごちない敬語に僕が雲の上にいる、と突きつけられる。
「辰一君、緊張していないか? 顔が真っ青だよ。アフタヌーンティーが運ばれている時間帯だからゆっくり休むといい」
父さんはこの機会に洒落たアフタヌーンティーを頼んだのか。
庶民派の僕を気遣ってくれたのか、分からないけど、昼下がりに飲む、紅茶が好きな僕にはとても有難かった。
「ありがとうございます。緊張しているので」
上流階級のマナーに慣れない。
慣れなくていい高慢さもあるのかな、と禁じ得ない。
「君は確かに不遇で貧しい暮らしをしていたのかもしれないけれど、君の優しさは千夏が培った誇りによるものだね。君のまっすぐな優しさと先見性は目を見張るものだ」
――父さん、僕が犯した過ちの数々を知らないから悠長に言えるんですよ、と口が裂けても言えなかった。
父さんが僕の今までのトラウマや心の傷を知れば、大いに引いてしまうんじゃないか、と不安が燻ぶるようにまだらに残る。
「ゆっくりするといい。私も辰一君と会えて嬉しいのだ」
運ばれたアフタヌーンティーは紅茶瓶のティーポットの漆器に描かれたピンクローズが微細で思わず、見惚れてしまうほどだった。
熟練した職人が丹精を込めて、制作したように思える静謐なデザインのティーポットだった。
金色の取手も繊細に野薔薇の蔓や蕾が事細やかに描かれ、アンティーク調の愉悦を味わえた。
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