第136話 月眼の迷宮
この赤絨毯が敷かれた、広い一室にいるだけで冷や汗が止まらない。
この方が僕の父さん。
こんなに洗練された貴人が。
「自覚って言われても、僕にはまだ受け止めきれないんです。今までずっと辛かったから」
やっとの思いで言えた一言も、うっかりするととても、無礼に当たるような気がした。
「君は君が思うほど、この国では邪険には扱えぬ存在なんだよ。取り分け、君に対しては、すぐさまにでも四六時中、SPが付いてもおかしくはないようにね」
父さんの冷静沈着な声音に僕の咽喉はくぐもった。
父さんの静かな口調には、世界でも有数な名家としての尊ぶ誇りが含んでいた。
こんな小さく纏まっている僕が、皇家の一員と急に言われても、僕には理不尽さに近い、葛藤を覚えた。
「父さんは……、僕らが今まで歩んできた、人生の苦しみを一度でも深く、考えたことがあるんですか」
こんな場で何の分際で、小言を吐いているのだろう、と僕の中で抑止力がなかったわけではなかった。
それでも、嘔吐するように愚痴や悪辣を吐き出すしかないのは、僕らが今までたくさんの涙を飲み干したからだ。
僕ら、とつい、呟いた言の葉に、僕の本質が見え隠れしていた。
「君は優しすぎるんだ。君が今まで歩んできた、道程によるものかもしれないが、君は市井のか弱い人たちにも、憐れみをかけすぎている」
公然と述べた、父さんの選民思想を美化するような、発言に僕は不興を買われた。
「違う! 違う! 間違っている。人間は誰もが平等なのに」
裂帛の気合に僕は自分自身でも面食らった。
北崎ゆかり女史の左翼思想を体現する、主張をこの場を借りて言い合うなんて、言葉を過剰なまでに濁すべきだった、と悔やむしかなかった。
「君は本当に優しい子だ。か弱い人々の痛みを共有する、その精神性。私はそんな君を誇らしく思うよ」
……僕が歩んだ艱難辛苦な半生に父さんはどう、感じるんだろうか?
優しい子、で済むくらい、僕の人生を描いた、心象風景はオーロラを縁取る、北極圏の沼地のように綺麗なんだろうか。
「君の優しさは千夏が育てたようなものだ。千夏の事情も聞いたよ。さぞかし、大変だったんだね」
母さん。
東京に引っ越してから、母さんの存在をやっと思い起こせた。
その呼び名を思う存分、心の月眼の迷宮であっても伝えられた。
「母さんは今、入院しているんです。ずっと」
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