第135話 摩天楼、神楽月
僕は執事のおじいさんに手を引かれ、腰を小さくしたまま、どうしようもない、心持で待ち合わせの場所へ向かった。
待ち合わせ場所は高級ホテルの最上階の格部屋だった。
プライベートルームというのか、知識が足りないけれど、こんな上流階級の作法に疎い僕にとって、緊張、という言葉しか、頭に浮かばない。
格別の限られた常人にしか、許されぬ、一室は東京の空が大きく見え、見晴らしがとても良かった。
ホテルの案内人も僕に最高級のもてなしを提供している。
今まで、他者から大抵、蔑視されてきたから、その恭しい、もてなしに僕は何度か、申し訳なくなってしまった。
こんな器の小さい僕には、こんな場所もこんな境遇も不似合いだと思うのに。
マナーがなかなかままならない、僕に執事のおじいさんはそれとなく、察してくれ、教えてくれる。
おじいさんの眼差しもこれから会う、父さんの子息として、敬うような色だった。
貴賓室がある、摩天楼の最上階で僕は、白いレースがあしらわれた、円卓テーブルの前に連れていかれると、その円卓テーブルの前には、一人の品の良さそうな男性が座っていた。
僕はその男性を見て、真実の行方を探ろうとしても突きつけられ、もう、前の僕には戻れないのだ、と悟らされた。
「君が銀鏡辰一君だね」
その男性の澄んだ声に導かれ、僕は仰々しい、黒塗りの椅子に座った。
僕もこの日のために、最低限の礼装を身に着けたつもりが、全くの場違いだった、マナー違反に気付かされる。
僕が身に着けた、二束三文の白シャツなんて、あまりにも悪目立ちしている。
「君の事情は執事から聞いた。君はあまりにも可哀想だった。私自身もその事情を聴いて、心痛が襲ってしょうがなかった。君はもう、苦しまなくてもいいんだよ」
初めて会う父さんの眼は冷たくはなく、庶民的な温かみがあった。
親子だもの。
当たり前じゃないか。
僕の顔立ちによく似ていた。
こんなに自分と似ている人がいるのか、と勘繰るほど、今、目の前にいる清廉な紳士は似ていた。
身に纏っているスーツも地味に見えながらも、丁寧に誂えた、と見る人が見れば即断できるような、一流の高級品で、その風体からケチを付けようがない、気品さが漂っていた。
僕の父さん。
誰が見ても納得できるほど、相似している。
「そうか。緊張してもしょうがないもの。君は私の子供の頃によく似ている」
父さんから言われた、その返答に僕の幼心は刺激される。
「君は自覚しないといけない。まだ、その自覚が足りていないようだ」
世間の荒波に塞がれすぎた、僕にはお畏れ多いお言葉だった。
何て、話しかければいいのだろう。
僕の教養のなさを露呈するだけのような気もしたし、今までの苦悩が、すっかり忘れてしまいような誤解も生じた。
それだけに父さんの崇高な威厳はこの地に轟くように貫いていた。
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