第132話 小戸の橘、月夜病棟
そこは県内でも唯一の児童精神科病棟がある総合病院で、奇しくも、古事記にある伊弉諾尊が伊邪那美から黄泉の国から帰還した際、魑魅魍魎の穢れを払った、と言われる聖地に現世の汚濁を引き受けいる、精神科病棟は皮肉にも建設されていた。
夢の中にいるみたいなんです、と僕が何気なく言った言葉に、児童精神科医は即座に反応し、血相を変えて小刻みに震えていた。
僕は診断に慣れたはずの児童精神科医にさえも、不幸を体現する本音を漏らされた。ここまで重症なケースはあまりない、と。
それも、少女の解離性障害は多少なりとも報告があるが、(そして、解離性障害を主張したがる、演技性パーソナリティ障害の女性患者も多いとも付け加えた)少年の場合は例外的に極めて少ない、と毬栗頭の児童精神科医は仕事なのに一筋の涙さえも流していた。
ああ、僕は同情されたんだろうか。
顔をしかめながら人間として、酷く重度の『複雑性PTSD』と『解離性障害』だ、と診断をもらった。
伯父さんは泣きつきながら僕に謝罪し、児童精神科医は深刻そうな眼で、即座に閉鎖病棟に入院するよう通告した。
その日は結局、宮崎市内のビジネスホテルに泊まって、長期入院の準備をしようか、伯父さんが一度、銀鏡に戻った昼下がりに伯父さんの財布から、盗んだ数万円で僕はホテルから抜け出し、逃げ帰るように上京した。
なぜ、そんな無謀な行動に移ったか、覚えていない。
ああ、こういうの、数少ないネット記事や稀少な本にあった『解離性遁走』というのか。
文字通り、雛型に嵌ったような悪質な解離性遁走だった。
伯父さんたちはまさか、上京して、この女狐みたいな教授から淫乱に叱責されていたなんて、知りもしないだろう。
彼女の餌食になった僕のこの虚ろな感覚も、同病相憐れむ、解離性障害のせいか。
入院はしたくなかった。
一度、僕は母さんに刺された中学三年生の十五歳の頃に児童精神科病棟に入院していたからだ。
余計に高校受験は不可能になった。
そのときは受けたくもない知能検査を図らされ、数か月、僕は白い病棟に閉じ込められた。
知能指数が知りたいって?
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