第131話 天の海に雲の波立ち月の船星の林に漕ぎ隠る見ゆ
月の笛、月の鈴、銀の甕、金の甕、と有りもしない空想童話を読み耽る。
――天の海に雲の波立ち月の船星の林に漕ぎ隠る見ゆ、とある万葉集の名歌のように月人壮子と命名された僕は心に浮かぶ、月の鏡の湖畔で静かに諳んじる。
「月人壮子なんて君も洒落ている。僕は僕のことをそんな綺麗だとは思わないよ」
「なぜ、あなたはそんなに自信がないのです? 女ならば、あなたの行く末に関心がない者はおりませんよ」
「こんな汚れ切った僕に?」
「そうですよ。あなたの哀しみに満ちた過去も女にとっては須臾の間ですから」
「君は能天気だね。明日、僕は父さんに会うのに」
「あの方の末裔である、父君にお会いするのですね。あの方ならどう思うのでしょうか」
「僕は自信なんてないよ。どうやったら、自信なんて付くんだよ?」
姫の長い会話も終止符を打ちたかった。
「あなたは相当な美しさを兼ね備えたおりますよ。通りすがりの者が振り向くほどに」
姫の全幅で褒める指南に僕はもはや、反抗もしなかった。
「君は褒めるのが旨いんだね」
僕の本音もマシンガンを打ち鳴らすように吐き出された。
「あんな夢を見せなくても良かったのに」
僕の月への遊戯に姫はほくそ笑む。
「あのまま、二人で死のうとしたのだ、と私は瞬時に見抜いたのです。それを塞ぐために他ならぬ幻惑を見せ、申し訳はありませんが」
姫なりの心配に度が過ぎたのだろう。僕もつべこべ屁理屈を言わず、そっと姫に告げる。
「あなたはあの女からお逃げなさって正解でしたよ。あのまま、あの女の正気を失った隷属に与していたらあなたの心が壊れるところでした」
姫の洞察力のほうが彼女、北崎女史より正確だったようだ。
「あなたの半生は壮絶ですよ、私でさえ、同情いたします」
そうだった。
母さんに刺された十四歳の春から、僕の人生は転落したのだ。
伯父さんに連れられて一度だけ、上京する前に小戸の橘に所在がある、宮崎市内の県立病院の児童精神科を受診したのが僕の暗雲の序章だった。
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