第130話 月人壮子
僕は親代わりとなった宍戸さんに全ての事情を話した。
宍戸さんもマスターと話を進めて、僕の正体を知っていたようだった。
「明日、父さんに会うんだよ」
僕が明朗を装って言うと姫は酷く悲しげな顔立ちのまま、淡々と言った。
「そうですもの。あなたは知ってしまったのですね。自分自身の秘密を」
姫に変に同情されるほど僕は落ち込んでいたのだろうか。
「父さん、という庶民的な呼び方も変えないといけないかもしれない」
冗談交じりに言うと姫は顔を横に振った。
「私は初めてあなたと対面したときから存じておりました」
銀鏡で姫と出会ったのは、十四歳の少年時の、蓮華畠と一本の桜の老樹の前だったか。あの頃から、姫は知っていたのならば、全ての不可思議な会話がするすると帳尻合わせに符合する。
どうして、僕はその符合に鋭敏に気付けなかったのか、気付けないのも当たり前だけど、要するに僕は木偶の棒だったのだ。
この身に流れる血も他の人とは違うのか。
心の月のような厳冬の頃、木枯らしだけがこの孤立無援の公園に吹き荒ぶ。
「君は僕の秘密を知っていたんだ。知らなかったのは僕だけだった」
打ちのめされるような嗚咽に耐えきれなかった、僕は姫に本音をぶつける。
「今日は月が綺麗だね」
完璧さを拒むような孕み月の到達点。
未熟者の上り月、もしくは盈月。
悪鬼も嗤う上弦の寒月。
望月じゃないのに月という月は本当にいつ見ても綺麗だ。
夏目漱石のI love youの美麗な翻訳をあえて、記紀神話で他に類が及ばない、最も醜悪な姫に言うのだった。
「この前、屋上で会ったじゃないか。もう、忘れたの」
姫の術さばきでまた、悪夢を見るかもしれない。
その悪夢さえもじっくりと見据えたい、と願う僕がいた。
「あなたは月人壮子のよう。あの方もそうでしたが」
月人壮子とは月の船を行き交う、美青年だとされている、古の逸話だ。
万葉集にも登場する月人壮子は、白いギャラバンで砂漠の上を行く『月と沙漠』の皇子と姫君の、大正時代に一世を風靡した、童謡にも似ているかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます