第126話 木花開耶姫
「君の子供は君だけのものじゃない。この国の将来も背負った子供だ」
君にこの深刻な話をすればするほど、君は僕を恐怖の眼で見ていた。
まるで、人さらいにでも出くわしたような蔑視で僕を見ていた。
「嫌や! 嫌! この子は私の子供や! 何で、奪われないといかんの!」
君が泣き伏せるものだから、周囲の人から白い眼で見られる。
「落ち着いて。僕が両親に説得する。だから、君は落ち着いて」
泣き伏せた君は席から立ち上がり、僕に向かって叫んだ。
「さようなら」
季節外れのハイビスカスのように赤々と燃えた、真冬の夕陽を浴びた君が立ち去った後、宵闇に包まれながら、僕は口を開けられず、苦衷に見舞われたまま、一筋の涙が頬に零れたなんて思いもしなかった。
君は儚い、夏の霜に戯れる、雪代の如き、君影草のようだった。
水晶でできた花片ように咲く、陽だまりを避ける雪明りの日影にひっそりと咲く、月凉し、その真の名は鈴蘭。その花言葉は純潔、誘惑、魔性。
雪肌の持ち主の君に相応しい、美しい初夏の花。
そうだったんだ。
朝行く月の初夏に生まれたという君はまさしく、鈴蘭の花だったのだ。
僕の苛烈な呵責を惑わした君影草。君という星影に照らされた麗しい、白い星の鈴の花。
君は風の頼りで宮崎に里帰りし、たった一人で赤ちゃんを産んだ、という。
人伝で知ったものの、そのまま忽然と消息を絶ち、ついには行方知らずとなった。
僕は真正直に両親にこの一件を知らせた。
母は泣き崩れ、父は頬を叩く荒い真似はしなかったものの、僕を叱責し、何度も激怒した。
父が最も心配したのは、その少年が成長するにつれ、父の不在を知り、己の出生の秘密をどこかで見聞きすれば、どう、その心身に傷がつくのか、という点だった。
生まれついて頃から、ごく普通の少年として生きた少年が、急にその宮家の血を引いている、と知ったら、どう動揺し、深く苦悩するか、君にはその格段に強い、自覚があるのか、と僕も忘れぬように、刻印のように何度も仲裁した。
僕は君と君の間に生まれた少年の安否を、忘れた日は一度もない。
父に言われるがまま、許嫁と婚約し、二人の娘に恵まれても、僕は君を忘れた夜はなかった。
父は一族の存続のために君を失った僕に結婚を勧め、一族が決めた女性と入籍するよう、事を進めた。
父は入籍後、晴れて夫婦になった僕らに男児を望んだが、妻との間には玉のような男児は、いよいよ持って、恵まれなかった。これは僕が犯した過ちから追随した撥だったのか。
新雪のような純白色の君影草が路上に咲いているのを見ると、僕は否応なしに君を思い出す。
花を見れば、つい、あのときの夜、初めて結ばれた君の幸せに満ち足りた、横顔を思い出してしまうのだ。
花や月、星や雪を何より愛していた君を、森羅万象を司る女神の木花開耶姫のような君を、風雅な桜が咲けば、花開く君を、忘れるものか、と僕は強く回帰する。
ああ、木花開耶姫とは奇しくも、天孫・瓊瓊杵尊に懐妊を疑われ、産屋に火を放った後、お二人はもう二度と仲睦じく、共に去れなかった花の姫なのだ。
そうか、君は現代社会に紛れ込んだ、雪月花、木花開耶姫だったのだ。
たった一人の忘れ形見のような幼少の少年を残した、君は……。
待ってよ、父さんと僕は水面下に浮かぶ思い出の青蓮花を見ながら叫んだ。
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