第113話 命の緒


 ああ、十五夜の月をアップにビルの屋上に生えた、若蔦が絡まるように遮られ、隙間から見えた満月は文字通り、蘿月へとなっている。


 


 僕はちっとも上辺だけの栄誉を羨めない。


 こんな哀しい歴史のページで重ねられている、この島嶼の国で何を生きがいに生きろ、と言うのだろう。


 


 哀しみをまだ分かち合っていないのに。


 苦しみをまだ感じ切っていないのに。


 憎しみをまだ追体験していないのに。



「君も僕と同じだ」


 姫の返り難い厭悪の眦に僕は底を這うまで掌握される。


「あなたが見せたいものを見せましょうか」


 ああ、この国で戦争が始まる。


 始まってしまう。



「僕には止める資格はないんだろう。君はそう言いたいんだよね」


 戦場が始まった東京で少女は今までで感じたことがないような、大きさの恐怖に怯えたように震えている。


 屋上から真上に空襲警報が鳴り、多くの市民が何事かとパニック状態に陥り、夜空には多くの爆弾を積荷した軍用機がその銀翼をはためかせながら、悠々と恐れもなく、飛行している。


 


 あのまま、発射ボタンを押せば、多くの死の兵器が地上の市街地へ落下する。


 ああ、爆撃の、火を見るよりも明らかな、冷たい拷問だ。


 僕がこうやって、惨劇を見つめても何ら、希望は描けまい。


 


 たくさんの人が命を落としている。


 たくさんの人が死を強要されている。


 たくさんの人が明日を略奪されている。


 たくさんの人が明日を迎えられなかった。


 


 どうか、どうか、自ら死ぬような今日を見出さないために、遠巻きに他人の不幸を嗤わないために、僕の命の緒を結んでください。


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