第112話 明月、戦
恨み嘆いた姫が月痕の下、枯れ果てた幽霊花の茶色の屑のように屋上へ浮いていた。
魔性の少年、という隠語に僕は淫靡な神秘性をなぜか、覚えた。
「あの方はあの子以外にも多くの下賤の少女と通じておりましたの。ほほほほ。所詮、男とは斯様な者ですが」
舞を一旦止め、振り向くと少女が凍りついたような眼で脅えている。
少女にも姫は見えているのだろうか。
姫が少女に危害を加えるのか、臆するように僕は身を構えた。
「君は僕の秘密を今の今まで、黙っていたんだね。……僕をからかいに来たのかい?」
魔性の少年だ、と独断されても僕は沸々と出る怒りさえも覚えなかった。
「あなたはあの方の血統を神勅に、引いていらしたのですよ。あの方の屈託のない、半笑いも生き写しのようにそっくりですね。ああ、あなたはあの方の生まれ変わりなのかもしれません。それほどにあなたは近似しておりますもの。おやおや、あなたは秘密を知ったのですか。まあ……」
姫が悲しくも逆恨みした、天孫のあの方の皇統を、僕は知らないうちにこの身体を持って、引いていたようだ。
恐らくは北崎ゆかり女史やあの成金青年の勘違いじゃない、目を逸らしたい真実。
「――それほどまでに僕はそのお方に似ているんだね。君はこの時代になっても悲しみに暮れている。僕には分かるよ。僕もまた、常に憂鬱を抱えて生きてきたから」
また、姫はこの帝都・東京に戦場をもたらすのか、否か。
今夜は十五夜だもの、明月が綺麗だ。
ああ、この地球上で争いがない国はないのか、と業を煮やして名月に訴える。
虚ろなベールを常にかぶった、僕には瞼を閉じても見えてしまうんだ。
ジグソーパズルを埋めたような惨状、――決戦布告の真珠湾奇襲成功の猛り立つトップ記事、
日に日に悪化する戦況を覆い隠すような、勇猛なラジオのリスナーの声音、
血の付いたサーベルの錆び、花街での疲れ切った女性の赤い涙、
南方戦線での赤紙を知らせる伝達とその雪辱、
天皇陛下万歳、と口々に叫ぶ、大人たちの狂喜乱舞、
月月火水木金金の死に追いやった、プロバガンダの標語、
多数の市民を虐殺した行軍が去った千切れた夕陽、
真紅の血で一色になった、その認証である、顔も判別できないほどのご遺体、
焼け跡に群がる、無数の蠅の羽音、
原爆投下後の赤ん坊の声にならない、母親の乳房にしゃぶりついた泣き声、
呆然と荒廃した市街地を見下す、少女の荒んだ眼、
明日が出撃だという、神風特攻少年兵が抱えた仔犬の切ない口元、
青々とした滄海で飛び込む人影の岬の尖端での物言わぬ悲鳴、
南溟で散り去った追撃戦の大砲の火蓋、
玉音放送の真夏の昼下がりの沈黙、
引き揚げられた大型商船の夕闇での物々しさ、
宣戦布告を告げられ、生まれ故郷を捨てた無辜の市民、
独房で鎖に繋がれる戦犯が見たであろう、コンクリートの床、
……僕がこう詳細に記して、言語化して何になるのだろう。
この国にとって加害の歴史、それを覆うような被害の歴史を塗り立てた、その高貴な血を争えぬ、一族の一味である僕に?
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