第109話 ルナティックガール


「心中を決意する若者たちの小説だ。――君のお眼鏡に適ったかな」


 少女の吐息が荒くなるのが微風で分かる。



「死にたいから、僕とこうして、遊んでいるんだろう?」


 ロマンスを気取る気障な人買い商人のように僕は誘惑する。


「あなたって怖いのね。あんなに死ぬな、とあたしに散々、忠告していたのに」


 その翻意が少女の舌足らずな本音とは思えない。



「心の闇を持て余すような。君の」


 少しくらいは少女に子供じみたジョークを言ってもからかわれないだろう。


「あなたって素敵。そのあたりにいる男子じゃないんだ。どこか、遠い世界を見ているの。長旅に疲れた月の砂漠の皇子さまみたいに」


 少女のお世辞にも、僕はくるまった濃密な胡桃を食するように笑む。アンニュイ、ノスタルジー、センチメンタル、ニヒリズム、ロマンティズム、メランコリー、マゾヒズム、イリュージョン、欧羅巴諸国をどんなに旅しても会えぬ感情の重ね合いを僕らはここで分かち合う。



「あたし、あなたの神楽舞、見てみたい」


 冷えた珈琲を僕は一気に飲み干した。


「知っていたんだ。僕が神楽を舞うことを」


 受け付けぬ、タブーを吐き出すように僕は頷く。


「本当にあなたって自分のことを知らないのね」


 少女のクリームソーダはとうに空っぽになっていた。


「ママにこき使われたゼミ生があたしに気まぐれに教えてくれたの。ちょっと、ネット上ではあなたの神楽舞を舞う様子と篠笛を吹く様子がバズっているみたいで」


 SNSでちょっと話題になるくらい、人目が付くところで舞を捧げたせいだ、と軽い後悔する。


 


 とは言っても、どこか、心地の良い興奮と後ろめたくない自信に満ち溢れ、ああ、これが俗にいう、五大欲求の要となる承認欲求だ、ともっともらしく、理解する。


 あのゼミ生はああ見えて、こっそり隠し撮りしていたのか。


 ふふふ、と僕は苦笑いしながら、仮想空間に流れた、僕の一人剣の舞の情景描写を想う。



「あたし、本当はそれで知ったの。ゼミ生には後付けで聞いた」


 インフルエンサーの推しに恋い焦がれたような少女に、僕はそそくさとあしらった。まるで、慎ましい暮らしをしていた、中年男性に全財産を貢がせ、その信条の汁まで吸い取り、文字通り、翻弄する稀代の悪女のように。


「君は随分と風変りだね。こんな僕に惹かれるなんて」


 少女の意のままを僕もまた、弄する。



「あたし、月明りを浴びたい」


 月光少女、ルナティックガール、と僕は綽名をこっそりと項垂れた君に名付ける。


 君はほんのりと微笑する。


「月を見に行こう」


 僕もまた、純喫茶を後にする。


「今日は満月だから」



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