第87話 新月少年、晩夏


  父さんを責めながらも、それは簡単にほぐせば、愛憎であって、心底からは憎み切れない、という思慕も、僕はとうに判断できていた。


咽喉が灼けるように父さんに会いたがっている僕だって、ちゃんと、心の迷宮には渦巻くように隠れていた。


 父さんと再会したら人生が好転するんじゃないか、という一縷に縋る、望みが水上の波紋のように広がり、その波及は僕の人生の水路の構図を計画的に彩っていく。


父さんに会いたくないくせに、父さんに無性に会いたいという、相反するアンビバレンスな感情が蠢くのか、僕は理解し損ねたけれど。



「だから、僕は決して、幸運だとは思ってない。むしろ、迷惑なくらいだ」


 本音じゃない、譫言が繰り返されていく。


「本当に悲惨な話だな。分かったよ。俺もこれ以上は追及しない」


 成金青年がようやく、鬩ぎ合いを強制的に終了させたので、僕は震えた肩を押さえながら雀色時、母に叱られた幼子のように涙を零すしか、残された方法がなかった。



「お前、本当に可哀想な少年だな。どんな耳を覆うようなYAHOOニュースの悲惨な事例よりもお前は本当に悲惨だよ。この令和の日本でお前より不幸な奴って、この世にいるのか? 俺も本気で驚愕したよ」


 激怒された成金青年にホトボリが覚まされた爾後、変に同情されるほど、僕は苦行しか、手招きされなかった。まだ暑さが拭えぬ、うだるような溽暑の夜、晩夏になっても蜩は切なげに鳴り響き、神隠しに遭った、孤児の僕にノスタルジアを覚えさせ、君は本当に世知辛い憂い、とくっつけるのだ。


 下手に同情されるほど、僕は地中深くまで退いたのだろうか。


 天上界まで見上げて、井の中の蛙大海を知らず、フッと微苦笑しながら、僕は汗だくになった背中を真っすぐに是正する。



「僕は父さんに会いたくない」


 僕の真意ではない真意が言えたとき、内心は清々しかった。


「父さんは僕を顧みない」


 父さんは母さんのどこに惹かれて、深く抱き合い、愛して、その孤独を吐いて、世界の片隅でどう、悔やんだんだろう。


 僕という一人の人間が母さんのお腹の中で、生まれ出でたのだから、きっと、父さんは母さんと浮世の残忍さを許し合っていたのだ、と思う。


 


 新月の晩夏、僕は残響と触れ合いながら、父さんの名前を呼び続けた。


成金青年は僕を揉み消すような、憐れんだ視線をぎらつかせながら、深夜、都会を徘徊するためにすぐさま、立ち去った。


 


彼にとって僕は安っぽい、捨て駒だったのだ。


鬱憤を晴らすための、チューイングガムの噛み終えた毒々しい色のガムの一片だったのだ。


今更になって、積もり積もった、深山木に積雪した残雪のような悔しさがフル回転する。


 皇居の深い森から小夜鳴鳥が飛び去った気がした。


僕の身体に流れる血脈は、あの皇居の森に繋がっている。


そうだよ、常世の月を抱く森に罪はないから。



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