第86話 血の涙


 身の上話を根掘り葉掘り、聞かれそうになっても僕もつい、動揺が勝り、彼に図星を指すように口を割った。


「僕には母さんと、銀鏡に母さんのお兄さんである、僕にとっての伯父さんとその伯父さん一家がいたんだけど、伯父さんの家は林業を営んでいて、息子の勇一の分の学費しか、出せない、と中学三年生のときに泣く泣く、告発されたんだ」


 切れ切れになった、言葉の端が水上を切る小石のように水気を感じた。



「成績は悪くはなかった。むしろ、良かった」


 僕は必要最小限の能力があったんだろうか、それとも、格別なまでに無能で怠慢な少年だったんだろうか。



「県の模試でも首位を採ったこともある。一日中、部屋に籠って勉強したら、母さんと高校進学の件で大喧嘩になって、激昂した母さんは僕の左腕を包丁で刺した。刺された僕は死中に生を求めながら逃げ出した」


 僕の頬に一筋の涙が零れていたなんて、青年の遣る瀬無い、表情を確認しなければ、気が付かなかった。



「だから、父さんが旧皇族だからって、何がしたいんだよ……」


 涙交じりの僕の声はか細いもので、すぐさま切れてしまいそうな、錫箔のようだった。


「母さんは逮捕されて、裁判所で不起訴処分になって、宮崎市内の阿波岐原の閉鎖病棟でもう、何年も入院している。病棟の保護室に入って泣きながら笑っている、と聞いた」


 銀箔が螺鈿細工から永年によって、剥がれ落ちるように僕の悲哀もまた、剥がれ落ちていく。



「母さんの精神状況は目を覆うほどに後退してしまって、意思疎通も出来ないほどだ、と伯父さんからの言伝で知った。みんな、父さんのせいだよ。父さんが母さんに近づいたから、こんな酷い目に遭ったんだ」


 僕の枯れ果てられぬ、血の涙も酷薄な地上に降り注いだら、その結露も地表深くまで染み込み、その絶望の土塊もゆっくりと溶かし、浄化された真水が滾々と湧く、清泉のように消化できたのならば、これ以上にない、宿望になれた筈だった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る