第83話 助け舟


「自由主義者が僕を一度でも、助け船を出してくれただろうか。いや、なかったよ。一度もなかった。散々、利用されたことはあったけれど、助けてもらったことはない」


 いつの間にか、駆られた矮小な怒りのあまり、普段の僕ならば、吐かないような悪口雑言を散らしていた。


 案の定、彼の表情を確認すると、猛り立った酔眼が、見る見るうちに憎悪を飛び越え、これ以上にない怨恨に満ちた顔となっていた。



「お前、何の面下げて言っているの?」


 青年の悪態じみた表情に思わず、一歩下がるほど恐縮した。


「上級国民が馬鹿を見るって言いたいのか!」


 このままでは彼が隠し持っていた、ナイフで刺されてしまうのではないか、という最大限の恐怖感を僕は機敏に覚えた。


「ふざけんな! お前は身の程をわきまえろ!」


 勘違いで他人を刺す奴もどうかしている、と本気で思った。


 後ずさりした僕は、彼に敵意を露にして、汚いものを触れるような眼差しで僕を凝視する。



「まあ、保守派のおっさんどもに会って見ろよ。きっとお前を跪づくさ。それくらい、お前の父親とお前は瓜二つだもの」


 とどめを刺すように彼は、僕から立ち去ろうと拳を硬く握ったが、それでも、怒号は停止しなかった。


「お前の立場になれるなら全国民が命を差し出してもいいから、変わりたいというさ。この不平不満な世の中、忖度や依怙贔屓、不正行為ばかりが罷り通って、正直者が馬鹿を見る世の中の形態にできているんだよ」


 彼の主張は末恐ろしいまでに差別的展開に潔癖な自由主義者に焦がれていた。



「どんなに善良な市民が、血が滲むような努力をやっても、上級国民はその努力の千分の一もない労力で上へ行く。その大差はどんどん広がって、埋まるきっかけを知らない。藻掻けば藻掻くほど、その旧態依然とした、大差に圧倒されて、名も無き弱者は仄かに暗い、谷底から苦汁を舐めるしかない」


 彼は目頭を熱くさせ、顔を天空に向かって持ち上げ、グッと耐えたかと思えば、息を切らしながら言った。



「お前だって分かるだろう。あの北崎ゆかり女史に毎晩、可愛がられているんだから、寝ている間にも、ほら、子守唄代わりに聴かされているだろう。全部、北崎ゆかり女史の著書の引用だよ」


 全知全能の神がいるとしたら、僕にこんな秘密を暴露するなんて必要性なんてなかった筈だ。


 彼女は僕を地方出身者の、見るに可哀想な身寄りのない少年だから、酷く可愛がった。


 それがどうだろう。


 

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