第78話 月満つれば則虧く


 篠笛の曲のレパートリーも増やすようにしている。


 流行りのJ‐POPから童謡まで幅広くマスターするようにしている。


 篠笛の甲高い旋律を弾けたときの喜びは忝いほどだ。


 節穴に指を押さえ、するすると弾けたとき、僕は世界と一体化できたような心地に恵まれる。



「君、すごい力を発揮していたな」


 成金青年が付かさず、褒めそやすくらいだから、僕は舞と篠笛に専念した。


 こんな夜がたまにはあってもいい。


 彼女との淫欲に溺れるだけじゃ、健康にすこぶる悪い。


 運動をしないと体が鈍り、健康状態の罅を入れさせてしまうからね。


 


 ――面影の忘らるまじき別かな名残を人の月にとどめて、と西行の名歌のように日向の国に残した君を想う。


 月満つれば則虧く、この世の栄華も儚いのだ、と篠笛の切ない旋律は教えてくれる。


 


 彼女が十六歳の僕を仕切りに抱いて、変若水を求めても、その面の皮はすぐに見破かれるのに。


 僕の取柄は健康的に安定していることくらいだから、身体のチェックだけは怠ってはいけない。


 負けず嫌いな負け組である、僕には無料での運動がいちばん性に合っている。



「これ、何?」


 成金青年は篠笛の袋の横に大切に置かれたボンニエールを指差した。


「僕の父さんという人がある人にくれた人らしい。僕がその人からもらった」


 成金青年は尽かさず、スマートフォンで写真を撮り、にこやかに笑った。


 このマスターからこの前、もらったボンニエールを僕は肌身離さず、持ち歩いていた。


 まるで、長年、染みついた良識ある癖のように。



「これが手掛かりなるかもしれないな。これ、百均にはないような感じがするもん」


 父さんへの手掛かりになるかは分からないけど、彼には出まかせに激写させていた。


「すげえ、これ、なんでも鑑定団に出したら高く出そう。君のお父さん、実はすごい人じゃないか。君には一般人にはないオーラがあるよ」


 彼の台詞には嘘偽りはなそうだった。


 つい、駒から出た錆のように彼は本音を申したのだ。


 


 確かに彼の言う通り、このボンニエールは高そうには見えた。


 まるで、銀鏡神社で奉納されている神剣のような煌めきは、誰もが驚き入るような風格を備えていた。



「じゃあ、哀れな少年。楽しみに待っていろよ」


 遠花火が最後に一肌脱がすように一際、大きな爆音が都内一帯に鳴り響くと、闇空に薄靄がかかり、萎れたように花火見物は終了した。


 いつもの熱帯夜の東京の行き交いがヒートアップしたように再開していく。


 


 僕もまた、日々の苦しみの通過儀礼のように彼に別れを告げると、天心まで頂点を極めた真夏の夜の月を見上げた。短夜に篠笛を吹き終えた頬には純然たる一筋の涙が零れてしまった。



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