第68話 月凉し、東京


 一人彼女の部屋に越された僕は、シャワーを浴びていなかったので、昼間からかいた手汗やら脂汗でシャツがびっしょりとなり、少年期らしい揮発性の体臭が近づいてきた。


 彼女の寝室の南隣があの少女の部屋だった。


 開いたままだったのだ。


 少し一瞥すると、少女の部屋も参考書でむやみやたらに溢れ返っていた。


 その参考書も綺麗に封にされているように見えた。


 


 教育資金を潤沢すぎるほど与えられた少女は、この隔絶された部屋で手首を夜な夜な切っているのだ。


 母親の彼女は知っているのか、それとも、知らないところで少女は孤独と咽んでいる。


 


 溽暑の蘭月の真夏の夜、恋螢は都心には決して、飛ばない。飛ぶとしたら、恐らくは皇居の奥に潜む小川の汀くらいだと思う。


 恋螢、僕は偽りの情愛の憐れみにしぶとく、疎まれている。


 業火の炎のような熱帯夜、いつまでも小夜中であればいいと思うのに、過熱化した夏の朝は残酷なのだ。


 すぐに炎暑が群がり、炎天下にいる僕を地獄の釜の蓋を開かせてしまうだろう。


 


 今日は月凉し、夏の白い月弓が夜空にぽっかりと浮かんでいた。


 僕が僕であるように月は僕の得も言わぬ傷心を抱いている。


 月神楽、僕は未来永劫、その清らかな月影の下、銀の刃を抱きながら舞い続けたい、と願いながら。



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