孤月書房、少年と古書

第58話 呪う明朝


 銀鼠色の真鶴の羽で繕った傘で踊る、娘の真珠色の足も、路地裏で行われる、小劇場の売れない三文役者も、誰一人として空白の観客を前にする、サーカスの舞台で催し物をする道化師も僕はさよなら、とそれさえ、丁寧に伝えられなかった。


 


 感性の限界か。


 それとも、気まぐれな運命の罠か。


 


 僕は明朝を呪うと、決まって、日中無為に過ごし、惰眠を貪っては暮れ方になると、茜雲をキャンバスに描いた夕空ばかり、意味もなく見ていた。


 


 羊雲から変貌した、竜巻を呼び込む漏斗雲、流離い泳ぐ鰯雲、カドニウムオレンジに染め上げた雲の峰の麗しさと坂東太郎の厳めしさ、その全容を逐一、観察していた。


 


 宍戸さんから神保町名物の秋の古本市の取り締まりを手伝ってくれ、と頼まれたとき、この本業がやっと一人前になれたような誇らしさが生まれていた。


 孤月書房での仕事は以外にも体力を使う。


 


 天井まである高さの本棚まで古本を並べ、注文あるときは棚の一段まるまる購入する知識人もまだ活字離れというご時世とはいえ、まだまだ少なからずいたから、その扱いにも注意を払う。


 孤月書房の顧客の中には名だたる著名人の論客の名前もあり、その方が数十冊の本の代金を直筆で書いていたのを見て、僕は終日、嬉しい興奮が止まらなかった。



「辰一君、すごいだろう」


 僕がこの知識人は家に何万冊という本がある方ですよね、と嬉しさのあまり、早口になると宍戸さんは頼もしそうに笑った。

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