第56話 百合、花言葉
緑が多い、この一帯は都内でも避暑地に近い扱いだったし、何より、武蔵野の台地の面影を残した、皇居の森がすぐ目前にあったからだ。
万緑が茂り、街路樹のアカシアの樹も白い花をつけるようになった文月、真昼間から、こんな不潔な逢引きに溺れて、挙句には女主人の忖度の長い餌に巻かれて、その結果、僕はこの地獄の季節のような毎日から脱することができるのだ。
過程がどうであれ、この上ない幸運じゃないか、と臍を噛む。
今朝、出かける前に孤月書房の花壇を見たら、白いカサブランカの花が見事に咲いていたか。
百合の花言葉は確か、清らかな愛。
僕が失った、うら若い、少女的なセンシティブなワードばかりだった。
禁忌ばかり押し付けられて、誰もが後ろ指さされるような偏愛の大海に沈没して、本当に僕は僕が烏滸がましかった。
彼女との偽りの情愛に溺れた後、僕は銀鏡に残した君を思い出す。
君の名前は絶対に忘れない。
螢という名に相応しい、健気な少女だった君は僕にとっては、闇夜に浮かぶ灯火のような存在だった。
君は高校に進学し、西都原古墳の近くの寮で、寮生活を送りながらそのささやかな青春時代を送っているだろう。
古代の息吹を感じる西都原古墳には、今年も桜と一面の菜の花が咲き誇っていただろうに、僕はその麗らかな春風さえも浴びられなかった。
螢ちゃん、と僕を束縛した亭主のいけぞんざいな彼女がいる女郎部屋でばれないように呟いてみる。
君の偽りのない笑顔さえも、忘却の彼方へ行かせようとしていた、都会の汚濁にまみれてしまった、僕は君の名を架空の中で呼びながら、精神的な欠乏に耐えるしかないのだ。
こんなに穢れた僕が、君のような純情な少女に恋い焦がれてしまっては金輪際、許容範囲になりはしないのに、僕の心は君への想いが日に日に強さを増している。
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