第44話 暮れの月、落伍者


 暮れの月が見事だった星祭の日中、笹竹に七夕の飾りが街中の雑踏で至る所に飾られていた。


 まだ、梅雨も明けきれていない、涙交じりの長雨だったはずの星合は、連れ添いのいない彦星である僕の徒情だった。


 短冊に願い事を描けるならば、僕は何を描くべきだったのか、思い描く指さえも動かない。未来への展望なんて易々とは描けまい。


 


 ただの落伍者になった僕に好転する、行く末なんて易々とは思い描けまい。


 どん底へ這いつくばるように僕はどこへ歩み、その切符を渡せば、世界は許して乞うのか、お前には逡巡できまい、と言い切る。


 


 九段下の柳の木が揺れる、木立闇で夕涼みを取っていると、何者から肩を叩かれた。


 不信感もなく、振り向くと緋色の袴、朱鷺色の打掛の、古代装束を身に纏った、不似合いな女人が僕を恨み嘆くように見つめていた。


 金色の冠がそのあまりにも目線を逸らすような醜怪なケロイド状の顔に光った。



「あなたはやはり、不運なのですね。まるで、私が歩んだ世知辛い、余生のよう」


 姫はあの緑水を並々と湛えた蛇淵で入水し、その泡沫と為られたはずだ。天孫・瓊瓊杵尊にその醜い容貌のせいで婚儀を拒まれ、血の繋がった御妹君だけは、姉君の分の幸せをカバーするように、末永く幸せとなられ、光輝溢れる御子を為し、その綿々と連なった皇統も今生まで続いているのだ。


 


 振り向いたとき、同じように姫の後ろ姿の先には、禁則地の皇居外苑の森も見えた。


 ああ、姫は僕と同じように途方もない大志を羨んでいるんだ。



「君こそ、こんなところで何がしたいの」


 灼熱を孕んだ昼間とは違い、翠雨をふんだんに吸った、小夜中の九段下はさほど、熱気を帯びてはいなかったものの、姫の苦し紛れの同情票に僕は軽く警戒した。



「君こそ、あの森での営みをとても羨んでいるんだろう。僕には分かるよ」


 警戒心が減りつつも、姫との邂逅を不審に思う人がいないと分からないので、僕は立ち上がり、奥に続く卯の花が零れる、葉桜の樹林の茂みへ移動した。



「君の顔、とてもつらそうに見える。僕もまた、毎日がつらい人生を送っているから」


 七夕の夜、巡り会うのがこの移ろいやすい世で最も醜い姫なのだから、滑稽なお伽話を諳んじる話者も顔が真っ青になるに違いない。


「母さんも同じように悲しげな顔をしていた」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る