第28話 木工薔薇憐憫少女


 少女から叱責されればされるほど、僕の真情は限界に達していた。



「ママは学会でいちばん、偉い役職に付いているんだよ。ママの言うことは誰も逆らえないの。ママに気に入られた人は出世するけど、嫌われた人は左遷されるの。嫌われた人は左遷された先でも冷たく扱われるの。当たり前だよね」


 母親が母親ならば、娘も娘だった。


 こういう、しがらみがあるからこそ、この日本社会は腐敗していく定形を僕はしっかりと目撃したような気がした。


「君のお母さまはすごく偉い立場の人なんだ。すごいね。僕の母さんと大違い」


 ひたすらに虚無的に少女を賞賛してみたものの、少女の大口を開けたような空虚感には一向に塞がらない。


 少女の妙に甘えたような言い草も、高を括るような世間体への威圧感も僕には疲労を蝕む要因にしかならなかった。



「あなたって褒めるしかやらないね。変なの」


 不機嫌になった、少女が僕をとうとう、不満を漏らし、僕は手の施しようがなかった。


 僕は立ち上がり、疲れ果てた背中を伸ばし、藤棚のある東屋を後にしようとしたとき、少女のほうから立ち去っていたので、何とも、気まぐれな奴だな、と遠慮会釈もなく、僕も見習って立ち去った。


 


 そのとき、木工薔薇の前を通った、少女の半袖を隠したカーディガンの下に、自ら傷つけたとしか考えらない、粗削りな傷跡を僕はしっかりと見つけた。


 その赤い傷は、何度も軛で踏み倒したような痛々しい傷跡で、思わず、目撃した僕も目を逸らすほどだった。


 


 得られないものは不死くらいで、後は何もかも手に入れたような、裕福そうに見える少女の家にも、複雑な悲しい事情が大いに隠されているのだ、と伺うほどに僕は高慢な少女への憐憫を見たような気がした。


 


 薫風が僕の汗ばんだ背中を押し倒し、藤棚と木工薔薇にさよならしながら、若葉漲る芝生の上を踏みつけた。 


 代々木公園から見える高層ビルは、多くの貧しい市民を見下ろすように建設されている。


 


 恵風に物静かに揺られる、木工薔薇をよそに少女と会う機会はまたあるかもしれないけれど、と僕は酷く重苦しい、憂鬱に駆られながら、孤月書房への仕事場に戻った。


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