第20話 早苗月、藤の花『正岡子規』


 五月晴れとなった、外装に藤浪が靡いた薫風が店内にも入ってきたように感じた。


 さっき、店内に入る前に見た、あの藤の花はあまりにも見事だった。


 


 藤の花房はあの正岡子規が、病状悪化の臥所で、庭に咲く藤棚を見上げ、様々な秀作が生まれた所以の初夏の花だとされる。


 そんな蘊蓄を僕が、勢い余って話してしまうと、マスターや宍戸さんは、微笑ましそうに頷いた。



「この子は将来性があるよ。こんなに熱心だから」


 マスターの僕の身辺を詳しく知らない、期待に僕はどうしようもなく、否定できないと同時に他者から蔑称されず、月並みな期待感に胸を躍らせた。



「そうか。大いに読書に邁進するといい。君の心の滋養となる」


 マスターとの会話を終え、会計を済ませると、宍戸さんと孤月書房で書庫の整理をした。


 早苗月の書庫は、多くの年月を託した古紙とインクの香で香ばしく充満し、僕はこの異空間にずっと寝そべりたいとさえ、願った。


 そんな他愛もない、冗談を宍戸さんに伝えると、宍戸さんの笑窪が緩んだ。



「人手不足だから助かったよ。辰一君が働くようになってから見聞も広がったし」


 古本を愛する宍戸さんには感謝しても、し尽せない。


 そんな謝意を僕はあまりにも上手には伝えられなかった。


 


 葉桜も眩い、孟夏に僕は年を重ね、星合の晩の生誕日に、一人前になった彦星として、十六歳への階段を死刑執行人と引き連れながら、ギロチン台のように登るのだろう。


 

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