五月晴れ少年

第15話 春時雨、夕靄少年


 いつも、気だるい昼中になり、この黴臭い古書店の店頭でお気に入りの文庫本を読んでいるとき、僕はルーティンのように項垂れながら、冷えたインスタント珈琲を啜り顧客を待っていた。


 韻文のように繰り返しになった彼女との、しつこいほどの夜遊びはとうに個人的には飽きた。


 


 彼女が執筆した単行本や新書が、無造作に本棚に置かれている。


 僕は幾分、中途半端に不愉快になって、そのざらついた表紙を、当てずっぽうに撫でた。


 貧困層の少女を描いたように見える、センセーショナルな挿し絵もくだらなかった。


 


 今どき、小説や詩集をせっせと買う若者は僕くらいだろうし、どんな素性を持ち合わせている作者であれ、本を書店員ならば、大事に扱わないといけない。


 何か、著しく、心の根底から押し潰されないように応えた。


 今夜は何を食べるか、決まっていない。


 僕は元来、食事に関心がないのか、さほど、食欲が湧くほうでもない。


 毎食、同じメニューでも構わない、とさえも思うくらいだからだ。


 


 外は春時雨がアスファルトの路上へと、無常にも降り注いでいる。


 生憎、傘を持ってこなかった。


 そぼ降る雨は孤月書房から飛びした、僕の頭上を否応なしに、しとどに濡らした。


 


 前髪に酸性雨にまみれた、生ぬるい雫が滴る。


 前方が夕霞で朧げにしか、見えない。


 霧雨にはもってこいの都市の、灰褐色の荒んだ路地裏と、横際に申し訳なさそうに生えている、アカシアの街路樹。


 まだ、公園に設置された、藤棚の白藤は固い蕾を秘めたまま、そこかしこ、咲いていない。


 


 霧雨が水菓子になるのかもしれない。


 雨水を舐めると、少し甘いようにも感じた。


 腐りかけたトーストを齧るくらいなら、雨水で拵えた砂糖菓子のほうを食むほうがいい。


「辰一君。最近、何か、良くないことでもあっただろう」


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