第9話 桜月夜、死への接吻
乗り込んだ路上の車道に、咲いていた満開の桜の樹が僕のこれから転落する運命を暗示しているように思えた。桜の樹の下には死体が埋まっている、と宣告したのは、梶井基次郎の掌編。
清らかな魂の屍となるべき、僕は春麗を売り、春愁と接吻し、惜春を擲ち、陽春を羨むのだ。妖艶な桜月夜、僕の青々とした純潔を伽羅色へと変貌させるのは、容易い御用だった。
――清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人はみな美しき、と与謝野晶子の人口によく膾炙した短歌じゃあるまいし、この銀座に行き交う人々は皆、麗人なわけはない。
季節外れに咲く狂花のように荒野に咲く、妖美な薄墨桜は僕を腐臭へと誘う。
花残月、僕は朝霜を忘れるまい、と過ぎ去る歳月を惜しむ。
道中も何とも歯がゆく、プライバシーが確保された、高級車並みの個人タクシーで移動した。
その外国車がどんな忖度と、矜持で塗られているのか、僕はわざと知らない振りを自分自身に課した。
これから、行われる情事にある程度、いとも、簡単に乗り切ろう、と企んでも迫りくる悪寒と振動に、拍車は止まらなかった。
そんな小さな焦燥感も停止したのは、車中で彼女が図々しく、顎に手を乗せ、冗談じゃないほどの上目遣いで、僕を見下ろしたまさにそのときだった。
冥界の女王を気取った、彼女は鼻息を荒くしながら、ぞっとするような指先で、僕の頭を撫でている。
普段、男社会に霹靂し、溜まった鬱憤を晴らすように、閉鎖空間の後部座席で戯れようとしている。
彼女は意のままに、青い果実を掌握し、下僕となった僕は高慢な彼女にわざとらしく、媚びへつらう。
「可愛い子なのね。まあ」
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