第22話 うちはできる子


「……ん?」


 昼前。

 玄関の向こうからかんかんと階段を昇る足音がして。


 京香かなと、外に出てみると実に暗い顔をした京香がいた。


「どうしたんだよ? 何があった?」

「あ、ユウ……ううん、なんも」

「ないわけないだろ。先生とお茶してたんじゃないのか?」

「うん……まあ、それは楽しかったんやけど」

「そのあと、何があったんだよ」

「……」


 京香は黙りこむ。

 ただ、左手をポケットに入れたまま庇うようにしている京香を見て、腕を掴んで手を引っ張り出す。


「は、離してえな」

「見せてみろ……って酷い傷じゃんか」

「……転んだ」

「転んで手の甲をケガする奴がいるかよ」

「……唾つけといたら治るねん」

「ダメだ。いいから部屋来い。消毒してやるから」


 暗い京香を無理やり引っ張って部屋に連れて行って。


 俺はすぐに救急箱から消毒液とガーゼを取り出すと、部屋のベッドに座って沈黙する京香に治療を施す。


「ほら、見せてみろ。痛いけど我慢しろよ」

「いっ……痛いねんって、もうええから」

「なんか破片も刺さってるぞ。抜いてやるから、我慢しろ」

「いつっ! ん……ごめん、ユウ」

「なんで謝るんだよ。どうせ誰かに絡まれて、イライラして木でも殴ったんだろ」

「……なんでもお見通しやな、ユウは」

「わかるよ、京香のことなら。で、相手は誰だ?」

「……篠宮」

「またかよ。はあ、なんだってあの子はあんなにお前に絡むんだ?」

「……」


 しょんぼりする京香は、黙り込む。


 見る感じ、相当ひどいことでも言われたみたいだ。

 俺は黙って治療を続け、ガーゼを傷口に当てて包帯をそっと巻いてからテープで止める。


 すると京香はじっと治療された手の甲を見つめながらつぶやく。


「でも、我慢してんうち……」


 その一言で何が言いたかったか、伝わった。

 昔なら殴り飛ばしてただろう篠宮さんを殴らなかったと、そう言いたいんだろう。

 まあ、みたらわかる。

 相当我慢したんだな……。


「うん。偉いな、京香はできる子だ」

「えらない……木、べこべこなっとったし」

「まあ、木には申し訳ないな。うん、どんなにイラついても物も殴ったらだめだぞ」

「そ、そない言うてもユウかて殴ってたやん」

「え?」

「あ、いや、ええと……こん前の傷、あれってなんか殴ったもんなんやろ?」

「あはは、バレてたか。まあ、イラついて倉庫をちょっと、な」

「ほら、人のこと言えへん」

「だな。じゃあ、二人で直そう」

「うん」


 自然と、京香の頭を撫でる。

 サラッとした髪が俺の指の隙間に少し入り込んで、そわっとさせる。


「京香、困ったらすぐ連絡してこいよ。飛んでいくから」

「うん。でも、そない余裕なかったら?」

「そうだな。じゃあ、やっぱり俺が四六時中見張ってないとダメなのかな」

「……うん。うち、すぐトラブルに巻き込まれる体質やから目離さんといて」

「ああ、そうだな」


 望むところ。

 どころか、こっちからそうさせてくれとお願いしたいくらいだ。


 ただ、京香はそれでいいのか?

 ずっと、俺がそばにいていいのか?


 今、弱ってるからそんな言葉が出るだけで、本当はもっと一緒にいてほしい誰かがいるんじゃないか?


 そう、聞きたかった。


 ただ、聞いたら何もかも、今の空気も全部消えそうで。


 見たくないものから目を逸らすように、無言のまま京香の頭を撫でていた。



 ユウの手、大きいなあ。

 ほんま、落ち着く。


 ずっと一緒に、か。

 ほんま、ずっとうちから目離さんでほしい。

 うちとつないだ手、離さんといてほしい。

 

 本質はああいう言葉遣いの粗い女やさかい、引き取り手もないっちゃないけど。


 こんなんでええなら、いくらでももらってえな。


 ……なんで、言葉が出えへんねん。

 今、いい雰囲気やろがい。

 ちゃんとせい、うち。先生に話して決心したばっかやろ。


 ……。


「ゆ、ユウ?」

「ん、なんだ?」

「……き、今日の寿司、予約してん?」

「ああ。高い店じゃないけど、一応な」

「そ、そっか。ええと、ふ、風呂は、あとにする?」

「まあ、その方がいいかもな」

「ええと……ん、わかった」


 うちのアホ……。

 なに普通な会話してんねや。

 ああ、言えん。

 なんべん決心してもユウと二人になったらなんも言えん。

 あたまぐちゃぐちゃになる。

 

「……ほな、ちょっと準備してくるわ。飯ん前にどっか行こや」

「ああ、わかった。じゃあ待ってる。手、もう痛くないか?」

「ひりひりするだけや。もう大丈夫やで」

「ならよかった」


 多分、こんときのうちの笑顔は相当ひきつってたと思う。

 痛みで、とかやなく。

 意気地のない自分に対しての苛立ちと、ユウと一瞬でも離れる寂しさと、それと篠宮に言われた言葉がちょっと頭に残ってて複雑な気分になった。


 付き合ってもないくせに家に上がり込むなんて。

 ほんま、言われるまで意識もしてへんかったけど。

 周りから見たらうちら、やっぱりそういう目で見られとったんやなって。


 うちがはっきりせんばっかりに。

 ユウの株まで下げてもうてる。


 ……飯んときやで。

 もう、そん時言えんかったら自分で自分を流血するまでぼっこぼこやで。


 しっかりしいや京香。


 うちはできる子や……。

 ユウが、そう言ってくれたやないか……。

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