第9話 どういうつもりでそれを


「いてて……ちょっとムキになりすぎたか」


 怒りに身を任せて何かを殴ったのなんて、いつぶりだろう。


 いや、あの日以来か。


 中学三年の時、荒れてた京香が恨みを買った連中に囲まれたあの日。


 喧嘩は強い方だった京香も、集団には勝てず困り果てていたあの時。


 京香の服を引っ張った男を、無我夢中でボコボコにしたっけな。


 京香に触るなって。


 やりすぎて、あれが決め手になって地元に居場所がなくなった。


 なんか、懐かしいな。


「……さて、屋上に行かないと」


 痛む拳を庇うようにポケットに手を入れて。


 少し早足で屋上に向かう。


 篠宮さんは確かに顔はかわいい子だ。


 だけど、内面はクソだってよくわかった。

 自分のためなら人を貶めることを躊躇しない。


 陰で悪く言うやつ。


 そういうやつは、一番嫌いだ。


 京香は人のことをボロカスに愚痴るけど、陰湿な陰口は一切言わない。

 ていうかムカついたら相手に直接言うというか。


 それで喧嘩になることが多いんだけど。


 ああいうねちねちした子は、京香を見てきたせいか俺には受け付けない。


 あれで嫌われても、まあいいや。

 俺には関係ない話だ。


「……あ、京香」

「遅いでユウ」


 屋上の扉を開けると、京香が少し離れたところに立っていた。


「ごめん、なんかしつこくてさ」

「はは、厄介な女に目つけられたんやな。手間かかる女が好きやなんて言うてるからそないことなんねん」

「まったくだ。さてと、なんか気が抜けたらお腹空いたよ」


 痛む左手の拳からは少し血が滲んでいたので、ポケットに入れたまま。


 二人でその場に座ると京香が不思議そうに俺のポケットを見る。


「……なんで手つっこんだままなん? なに、中二病?」

「いや、別にこれは」

「ええから見せてみ。どうせすっころんで怪我でもしたんやろ」

「い、いいから」

「隠し事はなしやで。ほら、見してみい」


 無理やり、俺の左手をポケットから引っ張りだす京香。

 すると、さっきまでは少し赤く滲んでいた拳から血が垂れる。


「あ、どしたんこれ酷いやん! はよ消毒せな」

「い、いいって。そのうち乾いたら止まるって」

「あかん、ばい菌入ったらぐちゃぐちゃなるで。ほんま、そういうとこずぼらなんやから」


 京香は慌てて自分のバックからハンカチを取り出すと、それを俺の手に巻いてくれる。


「汚れるぞ」

「かまへん、ハンカチは買いなおしたらええんやから」

「傷だって治るだろ」

「治らんかったらどないすんねん。あとで保健室行こな」

「わかったよ。うん、ありがとな京香」

「うちの方こそ、やもん……」

「え、なんて?」

「な、なんでもあらへん。それよりはよ飯にしよ。今日はのり弁やめて、日の丸弁当にしたでー」


 鞄から取り出した弁当箱を開けると、まさに日の丸がそこに。

 白ご飯の中心に梅干しが乗っただけの、これまた弁当と呼ぶべきか怪しいものがそこにあった。


「……で、なんでまた一個なんだよ」

「あ、しもた」

「全く。じゃあ今日も半分こか。今度から、京香の分は俺が作ろうか?」

「ええのん? ユウの飯、うまいから好きやで」

「じゃあ作るよ。今日は梅干しも半分こな」


 箸で梅干しの果肉を半分にして。

 

 種を避けて二人で同じ弁当をつつく。


「……なんか貧乏暮らしを象徴してるな」

「せ、節約してるわけちゃうで。今日は時間があんまなかったんや」

「いっつも時間ないな京香は。まあ、明日は俺も頑張るから京香もおかずを一つくらい頼むよ」

「うん」


 さっさと弁当を食べ終えて片付けていると、サーっと気持ちのいい風が吹きつけてくる。


 京香の長い髪が横になびくと、さらさらと俺の肩に当たる。


 そして、


「……ユウ、ちょっと休憩」

「お、おい」

「ええやろ、ちょっとだけ」

「ったく。ちょっとだけな」


 俺の肩に京香が頭をもたれかけて、京香の体重が俺にかかる。


 ふわっと、シャンプーの香りがする。


 京香の、昔っから変わらない甘い香りだ。


「……で、篠宮さんとは結局なんて話したん?」

「別に。告白されたから断った」

「かわいい子やのに、もったいなないん?」

「興味ないよ。俺、好きな子いるし」

「せやったな。うん、せやんな……」


 京香はどういうつもりで今、俺に甘えてるのだろう。

 俺の気持ちを知って、それでもこうして離れずにいてくれるのはただの情なのか。

 それとも、それ以上の気持ちを俺に持ってくれているのか。


 聞きたかったけど。


 聞けなかった。


 そのまま、この空気を壊したくない一心で。


 京香の重みを感じながら、静かに空を見上げていた。


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