第4話 早く顔が見たい


「じゃあ、今日は三十分後な」

「うん。あんまはよ出てこんとってよ焦るし」

「わかったって。じゃあまたあとで」


 京香と銭湯の前で別れて、男湯へ。


 いつも誰もいない風呂屋は今日も誰もいない。


 だからいつも広い浴槽を独占するように一人でど真ん中に浸かる。


「はあ……生き返る」


 一日の疲れが飛んでいく。

 そして顔を洗ってから、少しすっきりした頭で今日のことを振り返る。


 京香が弁当を作ってくれた。

 まあ、あれを弁当と呼ぶべきかは別として。


 どういう風の吹き回しなのだろう。

 気まぐれ、といえばそれまでだけど、明日からも毎日作るって言ってたし。


 やっぱり、好きなやつの為に料理を覚えたり女の子らしくありたいって、思ってるのだろうか。

 そうだとしたら、京香は罪な女だと思う。

 俺じゃない誰かに自分の料理を食べさせたいために、よりにもよって俺を使うなんて。


 京香の弁当を食べれるのは嬉しいけど。

 それが俺のためじゃないって思うとやっぱり苦しい。


「……誰なんだろうなあ、京香の好きなやつって」


 雑念が消えない。

 それを振り払うように、湯船から出ると熱いシャワーを浴びる。


 洗ったら、早く出よう。

 あんま早く出るなって言われてたけど。


 京香の顔、早く見たい。



「はあ……染みるわー」


 誰もいない浴槽に一人。

 昼間に結構客が来よるみたいで、つぶれる心配はないみたいやけどさすがに毎日独占状態やったら経営大丈夫かいなって心配になるくらい、ここはいつも誰もおらん。


 静かすぎるっていうのも、あんまよーない。

 つい、余計なことばっか考えてまう。


「……弁当、迷惑やったやろか」


 今日のあれを弁当と呼んでいいかどうかは別として。

 好きでもない女から急に弁当渡されて、ユウはドン引きしてなかったやろか?


 それに、好きな人の為じゃないかって。

 わかっとってなんであんないじわる言うねん。


 うちがユウのこと、好きやってわかっとるくせに。


 最初はさりげなく。

 いつも優しくしてくれる人が好きやねんって言うたりしてたけど。


 好きな人は身近な人やって話、した時にはさすがにユウしかおらんってわかる感じやったもんな。


 もちろんうちも、バレるつもりで言うたんやけど。


 言うたびにユウは複雑そうな顔ばっかする。

 うちがユウのこと好きやってわかって、多分気まずいんやろ。


 女友達っちゅうか異性として見られてへんかったんはわかっとるつもりやったけど。

 あんな露骨に嫌そうな顔せんでええやん。


 そりゃまあうちかて、最近ことあるごとに好きな人おるアピールしすぎとんのも鬱陶しいんやろうけど。


 ていうかユウの好きな女って誰やねん。


「……地元の女連中全員締め上げて吐かせたろかな」


 とか。

 物騒な発想が頭をよぎるがすぐに改める。


「あ、あかんあかん。そない女は嫌われる……それに、地元にはそんな女おらんかったと思うんやけどなあ」


 とすれば。

 やっぱり高校で出会った誰か、だろう。


 今日の篠宮っちゅう女は初見っぽかったから違うとして。

 うち以外の女子と今度ユウが話してたらそいつが黒やな。


「……そんな現場見てもうたら、血の雨降らせそう」


 ぎゅっと拳を握ってから。

 また、頭を振る。


「あかん、せやから暴力はあかんねんて。でも、耐えれるやろかうち……」


 髪を洗いながらも、ずっとユウのことが頭から離れない。

 一緒にいる時は、当たり前みたいに感じて素でいられるくせに。


 こうして顔が見えないと、壁一枚向こうにいても不安になる。


「はよ出よか……」


 ユウの顔、はよ見たい。



「あ、京香」

「なんや今日もユウが先かいな。はよ出たつもりやのに」


 ここ最近京香の好きな人案件でもやもやさせられてるせいで落ち着かず、さっさと風呂を出た俺は外で京香を待っていると。


 珍しくユウも早めに出てきた。


「今日のお湯、熱かったんだよ」

「あ、それわかる。なんや最近熱いよな? 嫌がらせちゃうん」

「そんな陰湿なことしないだろ。ま、とにかく腹減った」

「うちも。なあ、ラーメンやなくてもええで?」

「なんでだよ。京香、ラーメンが大好物じゃんか。外食する時くらい好きなもん食べようぜ」

「まあ、せやけど……」

「腹減ってないのか?」

「(可愛くないやん、ラーメンって)」

「ん、なんか言った?」

「な、なんでもあらへん! い、いくではよチャリだしい」

「じゃあ早く乗れって」

「う、うん」


 京香はいつも、足を横に降ろして肩を俺の背中に当てて、俺の服をつまんで体を支えながら自転車のサドルに乗る。

 ただ、今日はサドルをまたいで。

 後ろから俺の体に手をまわしてがっちり俺に抱き着いた。


「お、おいおいどうしたんだよのぼせた?」

「……今日はこれがええの」

「そ、そう? まあ、いいけど」

「迷惑なん?」

「んなわけないだろ。じゃあ行くぞ」

「うん」


 いつも食べにいくラーメン屋は銭湯からさらに五分くらい家から離れた方向にある。


 屋台の、古い店。

 夜になると仕事帰りの客でごった返すそこだが、明るい時間は店主が一人でのんびりしているようなところ。


「らっしゃい」


 高校に入ってすぐ、京香と見つけた時には興奮したもんだ。

 というのも、この屋台は昔は俺たちの地元で商売をしていたようで。

 小さい頃からラーメン好きな京香とよく二人で行った店にそっくりな味だと思ったら、まさかその店だったってことで二人で大盛り上がり。


 それから毎週、ここに二人で食べにくるのが俺のひそかな楽しみ……なんだけど。


「京香は、にんにくありだよな」

「……うち、普通のラーメンでええ」

「どうしたんだよ。せっかくだから好きなのにしろよ」

「え、ええのたまには。それよりユウこそはよ決めや」

「俺はいつものチャーシュー麺でいいよ」

「うん、ほなそれで」


 京香も、それを楽しみにしてくれてるって思ってたのに。

 なんか今日はそうでもなさそう。

 

 まあ、毎度毎度同じ店なんて飽きるのかもしれないし。

 それに、昔の思い出なんて所詮その程度なのかもしれない。


 お店を見つけた時は勢いで盛り上がったけど。

 いつまでも昔に引っ張られてここに来たがる俺を、女々しいやつって思ってるのかな。


 そう思うと、今日はいつもより箸が進まない。


 横で髪をかき上げながら淡々と麺をすする京香の横顔を時々見ながら。


 余計なことばかり考えてしまう。


 ずっと昔のままではいられない。


 そんな事実だけが、俺に重くのしかかっていた。

 



 にんにく、食べたかったなあ。


 せやけど、うちはユウの前で女の子らしくありたいんや。

 口がニンニクくさい女なんて、誰が好きになるかっちゅう話やし。


 我慢や我慢……。


 

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