第7話 平太丸、海へ出ること

「あの大きな船は、兄貴の船だ」


 十郎は、目の前をよぎってゆく船に、大きく腕をふった。

 むこうからも手をふり返してくれた。


「御霊様は、御厨の開発と同時に、伊勢の国と大庭とを結ぶ、海路の開拓にも力を入れられた。そして、俺たち梶原家に海運を取り仕切らせたんだ。

 鎌倉、江ノ島、柳島やなぎしま……相模湾は俺たちの庭だ。そしてあの大きな船を操って、伊勢と大庭御厨とを往復する。大庭御厨の米や、この海で採れたアワビなんかを、どっさり積んでな」


「兄者も伊勢に行ったことあるの?」

「もちろん」

 胸を張った十郎の顔は、気高い喜びに満ちあふれていた。


「東海道沿岸にある伊勢太神宮の荘園を、ずーっとずーっと、陸伝いにつたって行くんだ。途中にゃ、嵐も来るし、海賊も出る。雨風と力いっぱい戦って、夜には星明りだけを頼りにして、暗黒の海を進んでゆく。

 ……そんなこんなの苦労の末、『常世とこよの波の寄せる国』って呼ばれる、伊勢の神さまのお膝元にようやくのこと、たどり着く。まったく、たいへんな仕事だぜ」

 たいへん……というよりは、こんな素晴らしい仕事はない……といった顔をして、十郎は満足げに笑った。


 きらめく波頭のはるか彼方へ、神の国へ……自由に行き来する十郎の仕事を聞いて、平太は胸に燃えるような憧れを覚えた。


「俺も行きたいっ」

 叫んだ平太を、十郎は笑い飛ばした。

「おまえが? だめだめ。おまえの家は、領地の守備が仕事だ。いいか?」

 十郎は横木の上に、どっかりと腰をおろした。


「鎌倉一族のそれぞれの家に、それぞれの仕事があるんだ。お前ら『豊田』は西の守りが仕事だ。『長尾』は東の守り。本家の『鎌倉』は一族の一切をとりしきり、大庭御厨を運営する。『梶原』が舟運をなりわいとする。それぞれの家が、それぞれの勤めをしっかり果たすことが肝要だ。お前の親父殿を見ろ。親父殿は、すごい男だぜ」

「そうなの?」


「そうさ。親父殿はもともとは東の長尾の生まれだが、剛毅な性格が御霊さまに気に入られ、鎌倉一族の西の要、豊田の地を任された。

 豊田は周辺の豪族たちと境を接し、相模国府に隣接する、重要な土地だ。北からは横山、海老名えびな糟屋かすや波多野はだの。南からは中村や曽我そがが虎視眈々と狙っている。

 お前ら豊田は一族の土地が脅かされぬよう、領土を守ることはもちろん、隙あらば領土を広げねばならん。そして国府の仕事に参加し、鎌倉一族の利益を図るのも、豊田の仕事だ」


「むずかしそうだね……」

「なに、そう難しく考えるな。単純なことさ。とにかくお前は親父殿を見習って、弓馬の技を磨け。馬は好きか?」

「うん、好きだよ」

「じゃあ、大丈夫だ。俺は船を操る。お前は馬を操るんだ」

「うん」

「よし」

 と、十郎は平太の頭をぐしゃぐしゃとかき回した。

 その荒っぽさが、平太には心地よかった。

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