第5話 平太丸、国府へ出かけること
翌朝、目覚めた時、平太の頭はまだ痛んでいた。
(ちっ、おばばめ。本気で殴りやがって……)
平太は寝床から起きあがると、雑仕女を呼び、身支度を整えた。
(やっぱ、つまんないウソは見抜かれるな……)
お膳の朝食を食べ終わり、そそくさと出て行こうとすると、案の定、母に呼び止められた。
「平太丸」
やわらかな、上品な声である。
「牛の乳を飲んでから、おゆきなさい」
屋敷の裏で、出産したばかりの
雑仕女が白い乳を、鉢いっぱいに満たして持って来た。
「牛の乳を飲むと、体が強うなります」
母の言葉に、平太は鼻の穴をかっぴろげて顔をしかめた。
正直なところ、それが好きではない。
飲まずに出て行きたかったが、仕方ない。
「よい子じゃ」
綺麗な色の
◆
今日は相模国府での、学問の講義の日である。
平太の暮らす
隣の屋敷に住んでいる弟の次郎丸と待ち合わせ、郎党の助夏と、その子、すけ丸をお供にして、馬に乗って出かけた。
緑あふれる豊田の田園地帯を抜けると、国府一帯の、華やかなにぎわいが聞こえてきた。
立派な
農夫も商人も、
「木や召すぅ。炭や召すぅ」
「
……扇を売るもの、器を売るもの、色々の
(人がたくさんいるのは、なんて楽しいんだろう)
終始わくわくした気持ちで、平太は雑踏に紛れながら、表通りを抜け、学び
学舎は儒教式の聖堂で、白壁に朱塗りの柱、
――案の定、悪童たちはカラんできた。
「平太は毎日、牛の乳を飲んでいるそうじゃ」
「うぇぇ、本当か?」
悪意に満ちた調子で、もうひとりが大げさに驚いてみせた。
かれらはたちまち調子に乗って、平太をからかいはじめた。
「や、におう、におう」
「乳くさや、乳くさや」
悪童たちが鼻をつまみ、手をひらひらと仰ぐのを見て、平太は怒りを抑えながら、教え
「知らぬのか? 牛の乳を飲めば、体が牛のように強うなるし、だいたい都の貴い人々は、みんな牛の乳をおめしあがりになられるのだ」
ところが悪童たちは聞こえなかったふりをして、なお、かさにかかって「臭や、臭や」と、からかってくる。
あまりのしつこさに平太の堪忍袋の緒が、ぷちんと切れた。
「この野郎」
カッとなった平太は、気づいた時にはもう相手に飛びかかり、ガツンと殴りたおしていた。
次の相手に飛びかかろうとしたところへ、悪童たちに仕える郎党が駆けつけてくるのが見えた。
助夏も慌てて止めに入ってくる。
構わず平太は、身をひるがえして逃げた。
助夏が這いつくばって相手に謝っている姿が、目の端にちらりと見えた。
「兄者」
次郎丸が、ちょろちょろと駆け寄ってきた。
「ついてくんな」
平太は叫んだが、次郎丸はなんでも兄の真似をしたい盛りである。
必死に後ろを走ってくる弟を見て、平太はため息をついた。
――聖堂に学童たちが集まり、講義がはじまった時、当然ながら平太と次郎の姿はそこになかった。
「豊田の平太丸はおらぬか?」
「おりませぬ」
「はて、先ほど見かけたようだったが……いずこへ?」
「しりませぬ」
「次郎丸もおらぬか……」
講師はそれ以上、詮索しなかった。
「まあよい、講義をはじめよう。みな
学童たちは
※ 相模国豊田 …… 現在の、神奈川県平塚市内。
※ 相模国府(大住郡) …… 現・神奈川県平塚市、四宮付近。
※ 前鳥神社 …… 神奈川県平塚市四宮に、現存。
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