海原シヅ子

無題

恋人が死んだ。過労だった。


私の恋人は男性、同性だった。世間的には少々冷ややかな目で見られることもあったが、研究職に就いていると、私以上の変わり者と何度も会う機会があるのでそこまで気にならなかった。

父はすでに他界しているが、母は存命なので、盆休みを利用して顔合わせを行ったところ、両家とも寛容で、関係を続けられることになった。

あの時は嬉しかった。言葉の通り飛び跳ねたいくらいに。

私たちは手を取り合った。例え揶揄われようが、後ろ指を刺されようが、二人で力を合わせて生きていこうと誓った。結婚はできないけれど、二人はずっと一緒だと誓った。

「誓ったのにな、吾潟。」

遺影を手に取る。彼の目の下にはくっきりとした濃い隈が染み付いており、年々その色は濃く濃くなっていっていた。

今思い返せば、ヒントはたくさんあったのだ。

濃くなる隈、饐えた臭いの洗濯物の山、捨てられないゴミ袋。

見逃さず、手を差し伸べていたら、助けられたのかもしれない。


彼は、中学校で国語を教えていた。

荒れているというわけでもない、普通の公立の中学校だった。

だからと言って、油断してはいけないのだ。子供の無知は、恐ろしい。

奴らは知っているのに知らないふりをするのだ。

やった悪行を悪行だとわかっているから、知らない、やってないと言い張る。

彼は、そんな無知に殺された。

彼は、とても感性が豊かであった。学生時代から友人だったが、あいつはいつも本を読んでは、泣いたり、苛立ったりしていた。

何があったんだと聞けば、彼は「宿敵がね、こんなことを言うんだよ、ひどいだろ」と、さも自分が主人公かのように話すのだ。

そんな彼の長所であり短所は、教師という立場になった途端、ただの短所になってしまった。

いじめの対応をすればしばらくは鬱々とした状態になり、保護者から理不尽なクレームが来れば、苛つくこともなく、「僕が悪いから」と勝手に自分の非にしてしまう。

自らを下げて続けてしまった彼が行き着いたところは、「嫌われ教師」だった。

授業をしようと教室に入れば「うわ、外れじゃん」と言われ(ていたらしい)、保護者からの評判も散々、担任に当たってほしくない先生と言われ、教師間でもお荷物だと疎まれた。

そんな彼の話を聞いて、私の中から溢れてきてしまいそうな憤りと不甲斐なさを押し殺した低い声で「悔しくないのか」と問うと、苛々した低い声がもうトラウマになってしまっていたのか、「僕が悪い」とひたすら繰り返した。

付き合い始めた頃の、まだ新任だった頃の活き活きとした彼はもうどこにもいない。

私はただ、彼を抱きしめることしかできなかった。

彼が亡くなった今、生徒たちに「吾潟先生に何をしたんだ」と問うても、答えは、「何もやっていない」だの「だってあいつが」だの、嘘をついたり誤魔化したりする。教師もそうだった。

人間は怖い。すぐ嘘をつく。

嘘のせいで、彼は死んでしまったのに。


彼は、自殺で死んだ。本当は、自殺だった。

表向きには過労死(それもどうかと思うが)になっているが、本当は彼は、日に日にやせ細っていった、私と手と手を取り合ったあの日とは全く違う、震える手で、縄を括り、そのまま、




…薬が切れてしまったようだ。手元にあった水と薬を流し込む。

彼とお揃いのマグカップ。お揃いのパーカー。彼が使っていたクッション。

全部全部捨て切れないまま、1ヶ月が経ってしまった。

どうやら私も精神を病ませてしまったようで、鬱病の診断をつい最近もらった。

彼の苦しみに比べれば、私の苦しみなどなんてこともないのに。

薬が効いてきた。頭がふわふわする。

今日はもう寝よう。

彼の使っていたベッドで、彼の使っていた布団に包まり、彼が洗濯できないまま残していった彼のパーカーを着て、彼の遺骨と共に眠るのだ。

夢の中で、幸せに彼と暮らせたなら、そしてそれが現実になればいいのに。

おやすみなさい。

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海原シヅ子 @syakegod_umi

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