50 許してくれなくても

 シワ一つないシャツに腕を通す。その上にベストを着、ジャケットを羽織れば、用意されていた衣服の着用が完了する。

 久しぶりにかっちりしたものを着ているということと、それが全て真新しいものというのは何とも落ち着かない。

 着たばかりの服を早々に脱ぎたい気持ちになっているところに、扉を叩く音がした。王城の一室に案内され、そこで着替えるようにと告げられるままに準備をしていたテオだったが、ノックに対して自分が返事をしてもいいものか悩んでいた。悩んでいる間に扉が開かれる。


「テオ?」


 その声はラナのものだった。

 扉が少しだけ開き、顔を覗かせる。


「ラナ? どうした?」


「準備できましたか?」


「あぁ、今終わったところだよ。ラナ一人か? フェリルは一緒じゃなかったのか?」


「フェリルは妖精王様からお説教を受けています」


 その言葉にテオは苦笑する。必死に誤魔化そうとしていたようだったが、妖精王様はあのくらいで許してくれるお方ではないらしい。


「ところで、何でそんなところで止まってるんだ? 入ってきなよ」


 自分の部屋というわけでもないのだが。

 それでもラナは部屋に入ろうとはせず、いまだ顔だけしか見せない。

 不思議に思ったテオは、扉まで近づき、部屋の中を覗き込んでいるラナを覗き込んだ。


「……」


 ラナは白いワンピースを纏っていた。

 袖、裾、襟、あらゆるところにフリルのついたデザインのもの。腰の位置にリボンが巻き付けられ、ラナが動くたびに合わせてリボンも揺れる。

 しばし、テオはラナの姿に見入っていた。それはもうほとんど無意識に、側から見たら呆けているようにしか見えないだろう。


「テオ?」


 ラナの声に我に返る。

 ラナは俯き、ワンピースを握りしめていた。


「やっぱり、変でしょうか?」


「え? いや、変じゃないよ」


 テオはしゃがみ込み、ラナと目線を合わせる。


「似合ってる。可愛いよ」


 たったそれだけの言葉でラナは安心したように小さく笑った。

 テオに褒められ、気を良くしたのか、ラナはご機嫌になる。


「テオを呼んでくるように頼まれたんです。準備ができていたら行きましょう」


「その前にちょっといいか?」


 背を向け、部屋を出ようとするラナの腕を取って引き止める。

 うやむやになっていたが、ラナに話しておかなければならないことがある。ラナが今まで通りに接してくれるので忘れかけていたが、ちゃんとしておく必要があった。


「ラナ、俺……ラナに話さないといけないことがある。話というか、謝らないといけないことというか……」


 言い淀むテオに、ラナは首を傾げる。

 疑いのない瞳をテオは見ることができなかった。俯き、絨毯の敷かれた床を見つめる。

 何をどう話せばいいのかわからなかった。どんな言葉を選んでも言い訳にしかならない。謝らないといけないと言ったが、謝ったところで満足するのは自分自身なのだということもわかっている。


「テオ」


 何から話そうか、どう話そうかと悩んでいると、今度はラナがテオの手を握った。じんわりとぬくもりを伝える手が微かに震えている。

 どういうわけか、ラナの方が辛そうな表情をしていた。


「その話、聞かないとだめですか?」


「え?」


「もし、その話がこれからのことなのだとしたら、聞きたくないかもしれません……」


 尻すぼみに声が消えていく。そのままラナまで消えてしまいそうだった。

 ラナが何を怖がっているのかわからず、今度はテオが首を傾げた。これからのことというのはどういう意味だろうかと、思考を巡らせる。

 テオが話そうとしていたのは、過去のこと。ラナと出会って、いや出会う前から画策していたことを踏まえ、そのことを謝りたかった。本当は人間という身でありながら、姿を偽り、近づいたこと。欺いていたこと。それを謝りたかったのだが、ラナはこれからのことであれば聞きたくないと言う。

 そもそも、テオが人間だったということに疑問を持っていないのだろうかと、そこに疑問が生じる。少なからず衝撃は受けていたように見えたし、再会した時もフェリルの影に隠れていたので、人の姿を怖がっているのだと思っていた。が、今となってはあまりに自然に会話しているため、ラナの心情が読み取れない。


「ラナは何を心配してるんだ?」


「……」


 口は動いたが、聞き取ることはできない。

 テオはさらにラナと距離を詰めて膝をついて聞き返した。


「……テオのそばにいられなくなりますか? もう、」


 そこでラナの声が途切れた。

 何かを堪えるように、唇を噛み締めている。


「ごめんなさい、テオ……テオの話、ちゃんと聞きたいのに。テオの話はテオから聞きたいって、聞こうって決めてたのに……」


 声だけでなく、肩までも震えていた。

 気づいたときにはラナを引き寄せ、その腕に抱きしめていた。

 ホワイトタイガーとして触れていた時よりも、人として、腕の中にすっぽりと収まる身体が小さく感じる。

 テオは子どもをあやすように、背中を優しくぽんぽんと撫でた。


「ラナが謝ることなんて何もないよ。謝らないといけないのは俺の方なのに、変わらず接してくれてありがとう。嫌われても、憎まれても仕方ないのに」


「わたしがテオを嫌うことも、憎むこともありえないです。テオには感謝してます。どんな言葉も、どれだけ言葉を募っても足りないくらい」


「ラナ……」


 抱きしめる腕の力を強める。それでも壊れないように、壊さないように優しく包み込む。

 応えるように、ラナもテオの裾を握る。


「ラナが許してくれるなら、俺はずっとラナのそばにいたいと思ってるよ。許してくれなくても、陰からこっそり見守ってるかも……」


「ふふっ。何ですかそれ」


 テオの腕の中でラナが小さく笑う。

 声の調子が戻ったことに、テオも安堵の笑みを浮かべる。


 身体を少し離し、ラナのおでこに自分のそれをくっつける。

 目が合うと、つられたように二人は笑い合った。


「俺は変わらないよ……いや、見た目は変わったけど。これまでにラナに言ってたことは全部本心だから」


「じゃあ、これからもずっと一緒ですか?』


「ラナがそれを望んでくれるなら」


 ラナは何も言わず、笑顔で返した。今までで一番きれいな笑みだった。


 人の気配がして顔を上げると、使用人の一人が気まずそうにテオたちの方を見ていた。

 どうしたのかと目で訊ねると、「皆さん集まっておられます」と言う。


「行こうか」


 ラナは頷き、テオの手を引いた。

 テオが話したかったことは何一つ話せていないのだが、これからも一緒にいられるなら機会はまだいくらでもあるだろうと、自分の手を掴む、自分の半分もない小さな手を見つめていた。

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