23 嘘と選択

「テオ……?」


 ラナの声が震えていた。テオに触れている手も、心なしか震えているような気がする。

 さすがのラナも、森の異変に動揺を隠せないようだ。

 テオは様子を伺いに行きたかったが、ラナを置いていくことはできなかった。


「二人一緒にいるわね」


 緊張感が走る中、不釣り合いなほどに落ち着いた声が響く。馴染みのある声だった。

 声の方に目を向けると、右手を腰に当てたフェリルがご自慢のツインテールを靡かせていた。


『フェリル、ちょうどいいところに。一体何が起きてるんだ?』


「まぁ、それはあとで説明するわ。それより、テオ」


 つり目気味の鋭い目が、さらに力強さを増し、テオを射抜く。

 いつもとは違う威圧感に、テオは息を呑んだ。


「ラナのそばにいなさい。絶対に。何があっても。いいわね?」


『いいわねって……』


「しのごの言わない!」


 左手を前に出し、人差し指をテオに向ける。

 なフェリルはそれだけ告げると、さっさとどこかへ飛んで行ってしまった。

 呆気に取られていたテオが、ラナの声に我に返る。


「フェリル、何だったのでしょう? 大丈夫なのでしょうか?」


『大丈夫だろ。お前は心配するな。何かあっても、俺がそばにいるから』


 ラナは安心したように頷いていた。








 時間はあっという間に過ぎ去った。

 フェリルが立ち去ってからだいぶ時間が経ったような気がするのに、森を覆う緊迫感はなくなる気配はなかった。むしろ、悪化の一途をたどっているように思えた。

 ラナとテオは、森の中央あたりに身を潜めていた。どこから森に入っても1番遠い場所だ。


「ラナ!」

「テオ!」


 慌ただしさの中、同じような空気を纏ったリネットとエリーの声が聞こえた。

 ラナとテオを探して、キョロキョロと顔を動かしている。テオが立ち上がり、二人に合図を送る。


『どうした?』


「弱まってる!」

「森を覆う力が弱まってる!」


『魔力が減っているのか? フェリルはどうした?』


「フェリル、頑張ってる」

「でも、追いつかない」

「敵、ラナ探してる」

「ラナ差し出すまで、攻撃やめないって」


 二人の言葉に、テオは怪訝な表情を浮かべた。

 ラナの前で余計なことを口走るな、と怒鳴りそうになる。二人に悪意がないということが、余計にたちの悪さを感じさせた。

 しかし、その言葉でテオは確信した。今起きているだろうこと、全てを。


「攻撃されているのですか?」


『ラナ、聞かなくていい』


「わたしが行かないと、攻撃はやめてもらえないのですか?」


『ラナ!』


 大きな声を上げられ、ラナの肩が小さく跳ねる。

 それでも、ラナの瞳は力強く光を保っていた。意志の強さを示すかのように。


「リネット、エリー。案内してもらえますか?」


『だめだ! ラナ、俺のそばにいろ! フェリルに言われてるだろ!?』


「ごめんなさい、テオ。ちょっと様子を見てくるだけなので」


 ラナはテオの言うことを聞かず、リネットとエリーに案内を催促した。

 テオは頭を抱え、ため息をつく。けれど、すぐに重い足を動かした。ラナのそばにいなければ——






 ——————————————

 ————————






 フェリルの姿が見えてくると——いや、それよりも前に、煌々とした明るさが視界に飛び込んでくる。先ほどまで暗闇に包まれていたはずの空間に、おびただしいほどの赤やオレンジが広がっていた。

 それが森の周辺一帯を覆う炎だと理解するのに、時間を要した。

 森の中までは入ってきてはいない。おそらく妖精たちの力だろう。だが、時間の問題だということも理解していた。


「ラナを無理矢理連れていくことがどういうことか、わかっているのかしら?」


「無理矢理でなければいいのでしょう? 早く差し出さないと、あなたたちの場所も、仲間も皆失うことになりますよ?」


 フェリルは誰かと話しているようだった。ものすごい剣幕で、敵意剥き出しの声から、おそらく炎を放った者だろうと推測する。

 遠巻きにその人物を盗み見ようとしていたテオだったが、ラナはどんどんと前に進んでいく。

 いつもは進んでいるのかわからないほどのスローペースな歩みが、こんな時に限って速く感じた。こんな時だからこそ、そう感じてしまったのかもしれない。


 フェリルと対峙していた人物が、ラナの方に目を向けた。その視線を追うように目線を動かしたフェリルが目を見開く。


「あなたが、ラナ・セルラノですね? 直々においでくださったこと、感謝申し上げます」


「ちょっと! 何で来てるの?! テオは? テオはどうしたの?!」


「テオ?」


 炎の外側にいる人物が溢すように呟く。

 その人は一人だけ白いローブを纏っていた。

 取り巻きたちは、同じ白い服だが軍服を着ていた。そこから察するに、おそらく騎士なのだろう。

 ローブの男は、長い白髪はくはつをゆるくひとつ結びにしている。

 その姿を、ラナの数歩後ろで見ていたテオが息を呑む。その目は見開かれていた。

 テオに気づいたローブの男は、不敵な笑みを浮かべていた。


「久しいな、テオルーク」


「知り合い?」

「テオのこと知ってるの?」


 リネットとエリーが言葉をかけるが、どちらにも届かない。


「その姿も随分、板についたではないか。板についたのは姿だけのようだがな。まんまと絆されおって。簡単な役割もこなせないとは……そもそも期待もしていなかったがな」


 炎に照らされる顔が、不気味に輝く。


「もうその姿でいる必要もない。再会を祝して、元の姿に戻してやろう」


『やめろ!』


 叫んだのはテオだ。喉が引き裂かれるような声だった。

 やっと口から出たような言葉は、ローブの男にも届いていたはずなのに、彼はその声を遮断した。

 右手を前に出す。その手には、エメラルドグリーンに輝く石のようなものを持っていた。


「<真の姿を示せ>」


 石が光る。

 刹那、その色と同じ光を、テオも纏っていた。


 そこにいる誰もが呆気に取られ、光り輝くテオを見つめていた。

 テオの姿は、その形をどんどん変えていった。まずは顔が——耳がなくなり、全体を覆っていたもふもふの毛もなくなり、輪郭も変わる。前後の足は伸び、それぞれ形態の異なる形へとつくり変えられた。

 しっぽのように伸びた髪の毛は白く、所々に黒が混じっていた。


 光が消える。

 先ほどまでテオがいたはずの場所には、一人の男性が立っていた。誰がどう見ても、人間の姿をしていた。


「……テ、オ……?」


 前方から聞こえるラナの声に、そこにいる男性は目を合わせることもなく、俯いた。

 自身の手のひらを見つめる。肉球のついた足はなかった。そこにあるのは、皮膚があらわになり、五本の指を持つ人間の手だった。


「ラナ・セルラノ。そこにいるのは、テオルーク・アーバスノット。人間です」


 ローブの男が告げる。


「……テオ?」


 震えるラナの声に、胸が締め付けられる。


「テオルークは、あなたを監視するために我々が送り込んだのです。任務だったのですよ。姿を変えて——あなたの心に入り込みやすいように、大好きな動物の姿にその身を変えて」


 嬉々とした声で、ローブの男が続ける。


「あなたは裏切られていたのです。テオルークにも。そして、アルフレッド・デラクールにも!」


 やめろ、やめろ、やめてくれ……

 心は声が枯れるほど、そんな言葉を叫んでいるのに、テオは何一つ言葉にできなかった。


 テオはラナの方を見ることができずにいた。その姿を、表情を見ることはできなかった。


「テオルークは任務に失敗しました。途中から情報を流すこともせず、任務を放棄したのです。かなり重い罰を受けるに値する」


「え……?」


 ラナが目を見開いて、ローブの男を見る。


「しかし、あなたが我々とともに王都に来ると言うなら、帳消しにすることも可能です。森を覆っている炎もすぐに消しましょう。どうします? あなたを騙していた男など、助ける価値もありませんが、森の仲間たちは助けたいですよね。あなたが頷きさえすれば、どちらも救われるのです。あなたには “利” しかない」


「卑劣な……!」


 苦虫を潰したような顔をして悪態をついたのはフェリルだった。


「わかりました」


「ラナ?! だめよ! 言うこと聞いちゃだめ! あたしたちなら大丈夫だから」


 フェリルの言葉を遮るようにラナは首を振った。その顔には、微かに笑みを浮かべている。


「フェリル、ごめんなさい」


「だめよ! ラナ、行っちゃだめ!」


 フェリルの声が震える。


「一緒に王都に行きます。だから、森を……ここにいるみんなをこれ以上傷つけないでください」


「話が早くて助かる」


 ローブの男の方へと歩みを進めると、彼は右手を上げた。

 指示を受け、騎士たちが魔法を取りやめる。刹那、これまでの炎が嘘だったかのように消えていった。


「ラナ・セルラノをお連れしろ」


「ラナ!」


「フェリル、これはわたしの意思で決めたことです。だから絶対に、追いかけてこないでください。これはわたしの、最後のお願いです」


「あたしは認めないわよ!」


「フェリル、ありがとう。みんなも、今までありがとうございました」


 強引に話を進めるラナに、フェリルは唇を噛み締めていた。

 その目からは、大粒の涙があふれ、頬を濡らす。


 テオは顔を上げないまま、目だけを向けた。

 ラナもまたテオを見ていた。

 蒼い瞳が、暗闇でもわかるほどの蒼い瞳が、テオを射抜く。その目は真っ直ぐ、テオを見ていた。

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