第21話 言えない言葉と宣戦布告~唯人~
ただ、立っているだけなのに目が引きつけられた。
いつものパンツスーツとは全然違う格好。だけど、そのワンピースは谷岡によく似合っていて、まるで最初から谷岡の為に作られた物なんじゃないかと錯覚しそうになる。
けれど、からかうような褒め言葉も、まして素直に褒める事も口にできずに俺は目を奪われた事を知られるのが恥ずかしく、結局何も言わずにすぐ視線を逸らすと、バックヤードと店内を繋ぐ通路の端で片手で顔を覆う。
するとバックヤードから出て来た椿が意地の悪い笑みを浮かべて、俺に歩み寄って来た。
「どう?」
「…アイツが今着てるの全部、買い取る」
「お買い上げ、ありがとうございま~す」
「お顔が赤いわよ。お・兄・様」
言われなくても、自分でもわかっている。顔全体が熱を持っているように熱くなっている。
「椿さん」
バックヤードから谷岡が出て来た。今のこの顔を晒すのは絶対に避けたい。
「レストルームはあっちよ。照れ屋のお兄様」
誰が照れ屋かっ!と言い返したいのをぐっと堪えて、俺は椿が指さした方に足早に歩く。今はこっちが最優先だ。
駆け込んだ御手洗の鏡に映るのは、みっともない程赤い顔をした自分。少し前に見たウェディングドレス姿は非日常的だったのと、偽装結婚の事を母さん達に喋ったんじゃないかとヒヤヒヤしていたから、じっくり見るなんて心の余裕はなかったが、今回はワンピース姿だ。もし、デートとかなら充分にあり得そうな格好。誰かに見せびらかしたいような、誰にも見せたくないような、矛盾した気持ちが湧き上がってくる。
いつものパンツスーツ姿ならこんな気分になんか全然ならないのに…
そうだよ!アイツがいつもと違う格好をしてるから俺も調子が狂っただけで、断じてアイツによからぬ感情があるとかからなんかじゃない!
そう無理矢理自分を納得させると、鏡に映る自分の顔を見て、赤みが引いたのを確認してから御手洗を後にした。
店内を覗くと、イベント前の細々とした準備をしているスタッフ達が藤ノ院が生けた花の前で一様に足を止める。その顔には素直に賞賛の表情が浮かんでいた。
本当に、すごいな…
生け花の才能は言うに及ばず、顔もいい。急な仕事を頼んだにも関わらず、嫌な顔一つせず引き受けてくれた。(頼んだのが谷岡だからか?)
だが、俺の事は気に入らないようだけどな。俺もそうだからそれはお互い様だろう。気になるのは谷岡との関係だ。単なる友人にしては距離が近過ぎるような気がするから、元恋人同士かとも思ったが二人の間に男女の艶めいたものは感じられなかった。そもそも、藤ノ院と知り合いなら最初から藤ノ院に頼めばよかったんじゃないか?
「水島さん」
声をかけられて、そちらを見ると椿に着替えさせられた藤ノ院が近くに立っていた。
「藤ノ院さん、何か?」
「いえ、水島さんとお話ししたいなと思いまして。例えば、その指輪。美桜ちゃんとペアですよね?ただのペアリングですか?それとも…」
「結婚指輪です」
みなまで言わせず、俺は左手の薬指の指輪が藤ノ院に見えるように胸元の辺りまで上げてみせる。互いに笑顔だが、営業スマイルを顔面に貼り付けているにすぎない。
「水島さん、後日改めてお話ししませんか?色々と
『個人的に』とわざわざ強調する辺り含むものを感じる。
「ええ、いいですよ」
俺はスーツの内ポケットから名刺入れを取り出すと、そこから自分の名刺を一枚引き抜き、その裏に俺のスマホの番号を書いて藤ノ院に渡した。
「僕は名刺じゃなくて申し訳ないですが…」
藤ノ院は四つに折り畳んだメモを俺に渡してくる。俺に即座に渡せると言う事は話しかける前にすでに用意していたと言う事。最初からそのつもりだったのだろう。
そのメモを受け取り、名刺入れに突っ込んでおく。谷岡の知り合いなのだから谷岡に聞けば連絡先くらいすぐに入手できるのだが、あえて連絡先を渡して来たと言う事は谷岡には内密にしたいと言う藤ノ院の意思の表れか。
俺も谷岡のいない所で
だが、それにはまずこのイベントを成功させてからだな。
「お客様がいらっしゃったようなので、失礼させて頂きます。藤ノ院さんは控え室でゆっくりなさって下さい」
徐々に集まり始めた招待客を放っておく訳にもいかないので、俺は藤ノ院に断りを入れると、名刺入れを内ポケットに仕舞いながらやって来た招待客の方へ歩み寄る。
「水島さん」
藤ノ院に呼び止められて振り返ると、俺の名刺を自身の目線まで掲げた藤ノ院が意味ありげな笑みを見せる。
「連絡、待ってますね」
「ええ、近いうちに。
笑顔を貼り付けたまま、社交辞令のような台詞を口にするが、絶対に社交辞令なんかにしないと最後の一言にこめる。
それだけ告げると、俺は再び招待客の方へ歩き出した。背中に藤ノ院の視線を痛いくらいに感じていたが、俺はそれを完全に無視。気にならないと言えば嘘になる。しかし今は意識的に頭の中から藤ノ院の事を徹底的に追い出す。
そうしなければ、目の前の仕事に集中する事ができそうになかった。
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