第20話 ワンピースと聞きたい言葉~美桜~
「そうと決まれば、すぐに着替えましょう」
椿さんが私と璃桜君をお店の奥へとぐいぐい引っ張って行く。
着替えると言われても、着替えなんて持って来ていない。慌てていたから用意なんてできなかった。
「椿さん、私着替えなんて持って来てないです」
彼女にそう伝えると「僕も」と璃桜君が申告する。
璃桜君は多分、私からの連絡を受けた後、必要な道具類や財布とスマホだけを手に駆け付けてくれた可能性が高い。詳しい事情も話さず、いきなり電話で呼び出した私に文句を言う事もなく、仕事を引き受けてくれた幼馴染みには感謝しかない。
「二人共、この店をなんだと思ってるの?」
「ここは椿さんのお店で…」
「そう、私がデザインした服を売っている店なのよ!」
椿さんがバックヤードに置いてあったワンピースを私と璃桜君の前に広げてみせる。
「美桜ちゃんはコレ」
椿さんは広げたワンピースを私に渡してくる。
「藤ノ院さんは~、どれにしようかな~」
バックヤードに置いてあるメンズ物を椿さんが取っかえ引っかえしていると「やっほ」と葵さんが顔を出した。
「お姉ちゃん、来たよ」
「葵、ちょうどいいとこに来たわ。美桜ちゃんが持ってるワンピースに似合う小物を探して。で、美桜ちゃんのヘアセットとメイクよろしく」
「よくわからないけど、まかされた」
椿さんの急な頼みを、葵さんは気軽に引き受けて、私が持っているワンピースを見る。
「美桜ちゃんが着るの?」
「はい、一応…」
実際、こんな可愛いワンピースが私に似合うのかな?と不安な部分はある。ワンピースだけど、上下で色が違う。上は白。肘までの袖は細く作られている。下のスカート部分はサーモンピンクで膝丈。見た目はふわりとしているが、あまり広がらずに体のラインに添うような形になっている。シンプルなワンピースだけれど、私はこれくらいシンプルな方が好き。でも、自分に似合うかどうかは別問題なんだよね…
「もしかして、好みじゃない?」
小物を引っ張り出してきた葵さんが、私の顔を下から覗き込む。
「違います。ただ、私にこんなに可愛いワンピースが似合うかなと思って…」
椿さんのブランドのワンピースなのに、服に着られてる感があったら椿さんに申し訳ない。ブランドのイメージって大事だし。
「似合うわよ!美桜ちゃんに似合わなければ、他に着られる人なんかいない」
大袈裟とも思える台詞だけれど、葵さんのおかげで少しは自分に似合うと思ってもいいのかな。
「着てみてよ」
葵さんに促され、私はワンピースを持って試着室に入った。
試着室の正面の鏡に映る自分の姿を見た私は勢い込んで試着室に入ってしまった事を後悔してしまう。
私のクリーム色のブラウスは花の花粉と草の汁でまだらに汚れていた。紺色のスラックスは汚れが目立っていないだけで、汚れてない訳じゃない。今更ながら、こんなに汚れた格好をしている自分がこんなに綺麗なワンピースを着ていいのかな?と疑問になってしまう。
でも、これを逃したら椿さんのブランドの服を着る機会なんてもうないかも…
そう思ったら、私は着ている服をえいやっと脱ぎ捨てて、鏡に背を向けて手渡されたワンピースを着る。
背中のファスナーを上げたところで、私は目を開けて、恐る恐る背後の鏡を振り返ってみた。
ワンピースはやっぱり可愛いけれど、私が着ているせいなのか、どうにもしっくりこない。
「どう?美桜ちゃん」
「やっぱり私には似合わないみたいです」
カーテンの向こうの葵さんにそう答えて、脱ごうとした時、葵さんがカーテンの隙間から顔を出した。
「サイズはバッチリね。じゃ、次は~」
葵さんがワンピースを着たままの私を試着室から強引に引っ張り出す。
近くにある椅子に座らされると、葵さんにシートタイプのメイク落としで顔をゴシゴシと拭かれる。結構痛いよ…
「動かないでね~」
私が自分でしたメイクを綺麗さっぱり落とした葵さんは、自分の鞄からメイク道具を取り出すと次々と私の顔に化粧水、乳液、化粧下地と塗っていく。あれよあれよと言う間に私の顔に葵さんがメイクを施す。鏡がないので、どんな風にメイクされているか私にはわからない。
メイクが終わったら、今度はまとめ上げていた髪をほどかれ、櫛で丹念に梳かれた。サイドの髪をハーフアップにして、バレッタで留めたシンプルな髪型になった事は見えなくてもわかった。
けれど、これで終わりではなくて葵さんは「コレとコレとコレも~」とイヤリングとネックレスを私につけていった。更にワンピースのウエスト部分に鈍い金色の細いベルトを巻かれる。
「仕上げはコレ!」
そう言って、目の前に差し出されたのはスカート部分と同じ色をしたハイヒール。足の甲には飾りはないけど、踵に靴と同じ素材、同じ色でリボンが作られていて、靴の外側になるリボンの輪っかには一粒ずつストーンがあしらわれているデザインのハイヒールだった。
可愛いけれど、いつもの私なら買わない物だ。でも、今日だけならいいかもしれない。だって、これらは全部借り物なんだから。最初から自分の物じゃない、だから、
今日、この場だけの事。
そう思えば、楽しんでもいいかもと思えた。
黒いパンプスから葵さんに渡されたピンクのハイヒールに履き替えて立ち上がると、いつもより視点が高くて足元が見えなくて、少しだけ怖い。
「似合う似合う」
メイクとヘアセットをしてくれた葵さんが手放しで褒めてくれる。その声に椿さんと璃桜君がこちらを見る。
「美桜ちゃん、可愛いよ」
「似合うわ」
私がもたもたしている間に作業で汚れたTシャツとデニムから椿さんに選んで貰ったスーツに着替えていた璃桜君とあれこれと取り出したスーツを片付けていた椿さんも口々に褒めてくれた。
全員身内みたいなものなので、褒め言葉は二割増しされてると考えても、そこそこ悪くはない程度には仕上がっていると思ってもいいみたい。
「椿、スタッフが来たぞ」
椿さんを呼びに来た専務とばっちり目が合った。何か言われるかもと身構えるけど、予想に反して専務は私をちらりと一瞥しただけで、別段何が言う事はなかった。
別に、褒めて欲しかった訳じゃないけど、何も言われないって事は何も言う価値がないって事なのかな…
三人の褒め言葉に心持ち高揚していた気持ちが、専務の態度で急激に冷めていく。
専務が私を褒める必要なんて、ありませんからね…
こんなものなんだと思えば、これが普通だと思える。
褒めて貰う必要なんて、ない。
これはこの場に相応しい制服みたいなもの。
私は私の仕事をしなきゃ。
強く言い聞かせると暗くなった気持ちを振り切るように、私はバックヤードから店内へ戻り、椿さんを手伝う事にした。
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