第19話 お似合いな二人とブラックコーヒーより苦いモノ~唯人~
「なんか、息ぴったりな二人ね」
椿の指摘通り、谷岡と柴さんの代わりを頼んだフラワーデザイナーの藤ノ院璃桜は息が合っている。谷岡は藤ノ院が指示するより早く動く。まるで、藤ノ院の考えがわかっているみたいだ。
藤ノ院が少し下がった位置から全体を確認する。そして、もとの位置に戻ってくると藤ノ院が何か言うより早く、谷岡が素早く赤いバラを差し出した。それを見もせずに受け取った藤ノ院は迷う事なく生けていく。時折、バラ以外の花も渡していたが、藤ノ院は一度も「違う」とは言わない。
椿が『息ぴったり』と言うのもわかる。あの二人は俺なんかが入り込めないくらい濃密な時間を共に過ごしてきたんだろう。それに、さっきの握手も気にかかる。
ただの握手にしては、強い力で握られた。顔をしかめないようにするのに苦労するくらいだった。わかるのは、
特に言葉を交わさなくても、仕草や目線で通じている様子を見れば、二人の関係がただの知り合いではない事は俺ですらわかる。
「あの二人の方が夫婦みたい…」
椿がぽつりと漏らした呟きが俺の胸の奥に鋭い痛みを生んだ。けれど、痛みはほんの一瞬で俺はその痛みをなかったモノにした。俺と谷岡は偽装結婚なんだから、こんな気持ちになる必要なんかない筈だ。
黙々と作業を進める二人を見ていると、目だけでこちらを見てくる藤ノ院と目が合った。ふっと唇の端を上げて笑った藤ノ院が作業が始まってから初めて谷岡に声をかけた。
少し離れた場所にいる俺と椿にはわからないくらいの声量で、藤ノ院は谷岡に顔を寄せると話しかける。谷岡は軽く目を見開いた後はっきりとわかるくらい微笑んだ。
秘書になってからも、結婚してからも絶対に俺に向けた事のない
その不快感を振り切るように、俺は二人に背を向けて歩き出した。
「お兄ちゃん、どこ行くの?」
「飲み物買ってくる」
咄嗟に出てきた言い訳だったが、この場を離れる口実にしては適当だと思う。
「じゃあ、私は甘いのお願いね」
返事はせずに、手を振る事で了解を伝える。
椿の店を出ると、すぐ近くにコンビニがあった。
飲み物を買うだけならここでもいいが、俺はあえてここではなく少し離れた場所にあるコーヒーショップまで足を伸ばした。
なんとなく、作業をする谷岡と藤ノ院を見るのが嫌だったからだ。
コーヒーショップでブラックコーヒーを二つと店員がおすすめだと言うホイップクリームやキャラメルソースがかかった甘いコーヒーを二つと軽食をいくつかすべて持ち帰りで注文した。
多少時間がかかるが、むしろ今の俺には都合がよかった。まるでそうあるのが当たり前のように作業をしている谷岡と藤ノ院を見るのはなんとなく不快だったから。
俺がコーヒーと軽食の入った袋を提げて椿の店に戻る頃には胸の不快感はなくなり、谷岡と藤ノ院は作業を終了させていた。椿が色々な角度から生けられた花を見ていたが、文句なしの出来栄えのようで椿は満足げに頷いている。
「終わったのか?」
俺が声をかけると、出来栄えに満足した椿と達成感のある表情の谷岡と藤ノ院が俺を見る。
「すごいわ。私の想像以上のモノよ」
藤ノ院の腕前に椿は素直に感心している。
確かに、腕はいいのだろう。花になんかさほど興味のない俺でさえ、藤ノ院が生けた作品が素晴らしいモノだとわかるのだから。
「お褒め頂き光栄です。急でしたから、きちんとイメージ通りに仕上げられたか心配だったんですよ」
「いいえ。さすが生け花の名門、藤花流で師範をなさってる方だと感服してます」
椿と藤ノ院が話している最中も、谷岡は黙々と後片付けをしていて、その姿は本当に藤ノ院のアシスタントのようだった。
「お疲れ」
後片付けをしている谷岡に声をかけると、ハサミで切り落とした茎や葉などを
「専務」
「藤ノ院さんは素晴らしい腕前の持ち主だな」
褒めるのは癪だが、腕前が素晴らしいと言うのは事実だ。
「はい。私が知る限りですが、璃…藤ノ院さんは超一流です」
あっさり素直に俺に同意する谷岡。その顔は少しだけ誇らしげでもあった。
「そうか…」
俺が買ってきた軽食とホイップクリームやキャラメルソースがかかったコーヒーを谷岡に渡すと「ありがとうございます」と受け取る。まだ話しをしている椿と藤ノ院にもそれぞれに飲み物を渡す。椿に谷岡と同じ甘いコーヒー。藤ノ院はブラックコーヒー。
二人共、礼を言って受け取るが藤ノ院が若干困ったような表情を見せた。すると、藤ノ院に近寄った谷岡が「璃桜君」と声をかけ、まだ口をつけていない自分の紙コップを藤ノ院へと差し出した。
「ありがとね」
礼を言って、谷岡の差し出した紙コップと自分が持っていた紙コップを交換した藤ノ院は躊躇う事なく口をつけた。谷岡も気にせずに軽食とブラックコーヒーを口にした。
互いの好みを把握しているくらいに仲がいいところをまざまざと見せ付けられて、一度は収まった胸の不快感が再び湧き上がってくる。
さっきから、可笑しい。どうしてこんなに不愉快な気分になるのか。飲み込んだコーヒーよりも苦いモノが体の中にあるみたいで、コーヒーの味なんてよくわからない。
「藤ノ院さん、よろしければ今日のイベントに出席して貰えません?あのお花を生けてくれたのが藤ノ院さんだと皆さんにご紹介したいわ」
椿はよっぽど藤ノ院が生けた花が気に入ったのか、それとも藤ノ院自身が気に入ったのかわからないが、招待客に藤ノ院を紹介したいみたいだ。
実際、店の装花をしてくれたのが生け花の名門である『藤花流』の師範であるとわかれば、店としてのグレードが上がる。ここは是非とも出席して欲しいところだろう。
と、ここまでは企業人としての意見。個人としての意見は谷岡と仲のよいところを見せ付けられるようで不快なので、早くお帰り頂きたいと言うのが本音だ。だが、ここは自分の個人的な感情は無視して、藤ノ院を誘うのが正解だ。
「藤ノ院さん、是非とも出席して頂けませんか?」
なるべく愛想よく見えるように、精一杯の営業スマイルで藤ノ院をイベントに誘う。
敵意をぶつけた相手が誘ってくるとは思わなかったのか、藤ノ院は驚きの目で俺を見てくる。
「えっと、じゃあ…出席させて貰います」
何故かちらちらと俺を伺うように視線を投げてくる藤ノ院が出席を了承した。
いちいち俺を見てくる藤ノ院に若干の苛立ちを感じるが、こちらからフラワーデザイナーの代役を頼んだ手前、丁重になければならない。
「大丈夫、璃桜君。
「今から電話して事情を説明しとくよ。それに美桜ちゃんの頼みなら姉さんもばあちゃんも怒らないよ。むしろ美桜ちゃんの頼みを断った方が怒られる」
二人にしか通じない会話を目の前で交わされると、俺の苛立ちは更に増していく。
だが、そんな俺をよそに作業で汚れた服を着替えさせる為に、椿が谷岡と藤ノ院を店の奥へと連れて行く。
「お姉ちゃん~、来たよ~」
入れ替わるように葵が顔を出す。
「椿なら、店の奥」
俺が椿達が行った方を教えると、葵はそちらへ目を向ける。しかし、葵はすぐに奥には行かなかった。
「お兄ちゃん、何に機嫌悪くしてるかわかんないけどさ、その不機嫌全開の顔でお客様の前に出ないでよね。怖いから」
それだけ言うと、葵はさっさと椿達の所へ歩いて行った。
店に置いてある鏡に自分の顔を映してみると、葵の言う通り不機嫌を隠し切れていない男の顔が映った。
「ひっでぇ顔…」
取り急ぎ俺の急務はこの顔を人前に出せるようにする事だな。
なんとなく苦労しそうな気がして、俺は大きく息を吐き出した。
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