第18話 トラブルと彼~美桜~
プレオープン当日は快晴。まさに晴れの日に相応しい天気が頭の上に広がっている。
昨夜、日付けが変わる頃に作業の終了を知らせるメールが椿さんから届いた。私はお疲れ様と了解の返信をして今日を迎えた。
今朝は、あらかじめ椿さんからお借りしているスペアキーでお店のドアを開けて、柴さんをお店に入れて、花を生けて貰う予定。なので、私は今日は会社には行かず、このままお店に直行。その事は事前に専務と佐原さんに話してあるので大丈夫だ。
着替えを済ませて、いざと玄関ドアに手をかけたところで、スマホが着信音を奏で始める。鞄から取り出して、発信者を確認すると『柴さん』と表示されていた。
今日の最終確認は昨日した筈…
何だろう?と首を傾げつつも、私は電話に出た。
「おはようございます。谷岡です」
『谷岡さん!ああ、よかった…私、もうどうしたらいいか…』
安堵と焦りが入り混じった柴さんの声に只ならぬ事態が起きたと予想できた。
「柴さん、どうされました?」
『ごめんなさい、谷岡さん。お店に向かう途中で事故に巻き込まれてしまって…』
「事故!?柴さん、お怪我は?大丈夫ですか?」
『ごめんなさい。右腕を骨折してしまったの。今日の仕事は無理です』
電話越しにも柴さんが申し訳なさそうに頭を下げている姿が見えるようで、私はそんな彼女を励ますように「大丈夫ですよ」と言っていた。
「私が何とかしますから。柴さんは事故の後ですから、無理なさらないで下さい」
ひたすら、『ごめんなさい、すみません』と謝る柴さんとの通話を終わらせる。
「何とかするって、アテはあるのか?」
「専務、聞いてたんですか?」
いつの間にか、専務が後ろに立っていた。
「アテは?あるのか?さんざん断られて、ようやく引き受けてくれたのが柴さんだろう?今から探せるのか?」
淡々と事実だけを突き付けてくる専務を無視して、私はスマホの電話帳からある一人の電話番号を開いた。この人に迷惑はかけたくなかったけれど、今は頼れる人がこの人しかいない。
「て、聞けよ」
「黙ってて下さい」
今は専務の相手なんかしてられないんだから。
その電話番号に電話をかける。
どうか出てくれますようにと、祈りながら発信音を聞く。
『もしもーし。美桜ちゃん?』
電話の向こうから聞こえてきた変わらない懐かしい声。
「
「久しぶり」でも「元気」でもなくいきなり仕事の話しを切り出す私に璃桜君は驚いた様子もなく、
『今日は休み』
その言葉に、私はグッと拳を握った。
「璃桜君、今から仕事をお願いしたいの。引き受けてくれる?」
『いいよ。どこに行けばいい』
突然のお願いだったにも関わらず璃桜君は迷う事なく、あっさり承諾してくれる。私は椿さんのお店の住所を璃桜君に伝える。
『りょーかい。一時間くらいで行くよ。花材はどうなってる?』
「こっちで用意する」
『じゃ、後で』
「ありがとう。璃桜君」
電話を切った私はまだその場にいた専務に報告をする。
「フラワーデザイナーの代わりは手配できました。ですが、花材は柴さんが用意して持って来てくれる予定だったので、ありません。急いで用意しないと…」
璃桜君の到着まで一時間。その間に用意しておかないと…
すぐさま自分のスマホを取り出した専務が誰かに電話をかける。
「佐原、緊急事態だ。予定してたフラワーデザイナーが事故で来られなくなった。代わりは手配できたが、花が用意できてない。なんとかできるか?」
必要な事だけを端的に伝える専務。時折、「ああ」と相槌を打っている。
「花は佐原がなんとかしてくれるぞ」
「なら、急いでお店に行かないと…」
璃桜君が到着する前にお店を開けておかないと。
「行くぞ」
専務に腕を掴まれて、そのまま駐車場に停めてある車に押し込まれるように乗せられる。
「専務。私は椿さんのお店に行かないといけないんですが」
専務は会社。椿さんのお店とは逆方向。会社に寄ってる暇なんかないのに。
「行くって言っただろうが」
そう言って専務が車を走らせる方向は椿さんのお店がある方。
「…送って下さるんですか?」
「俺も気になるからな」
代わりに手配したデザイナーの腕前が気になると。私は璃桜君の腕前を知っているけど、専務は知らないから仕方ないか。
専務が運転する車は朝の渋滞が始まる前に、お店に到着する事ができた。
「車を近くに停めてくるから、店を開けておいてくれ」
「はい」
お店の前で私を降ろした専務は、近くのコインパーキングに車を停めに行った。私はスペアキーでお店のドアを開けて、佐原さんが手配したと言う花材の到着を待った。
お店の前で待っていると、近くに車を停めてきた専務が駆け戻ってきた。
「まだか?」
「どちらもまだです」
やきもきしながら待っていると、お店の前にタクシーが止まった。後部座席から降りてきたのは、待ち望んでいた人物。璃桜君だった。
「璃桜君!」
彼に駆け寄ると、私はすぐに頭を下げた。
「ごめんね。お休みの日に無理言って…」
「何言ってるの。僕と美桜ちゃんの仲でしょ」
顔を上げると昔とちっとも変わらない笑顔に私は心強さを感じて安心する。するとそこへばたばたと、足音を響かせて現れた人物がいた。
「佐原さんから連絡きたけど、デザイナーが事故って本当なの?」
椿さんだった。当日にデザイナーの事故、更に変更と言う事態に驚いてはいるみたいだけれど、動揺している様子はなかった。
「椿さん、お願いしたデザイナーの柴さんが事故に遭ったのは本当です。右腕を骨折されたそうです」
「代わりのデザイナーを手配したって聞いたけど…そこの彼かしら?」
椿さんは私の横に立つ璃桜君にちらっと視線を送る。
「はい、ご紹介します。彼は
「よろしくお願いします」
頭を下げる璃桜君を椿さんのみならず、専務も驚いたように璃桜君を見ている。
「藤ノ院さん、こちらはお店のオーナー水島椿さん」
「よろしくお願いします」
椿さんが手を差し出してくると少し躊躇った後、璃桜君は椿さんと握手を交わした。
「こちらが、水島唯人です。この店の出資会社の専務で、私の上司です」
「よろしく」
専務も椿さんと同じように手を差し出したが、璃桜君は先程の椿さんとは違い、躊躇いもなくぎゅっと握手を交わす。
お互いの紹介が終わったところで、佐原さんが手配した花材が届いた。いつも社内のイベント事に花束を注文している生花店の店員さんが軽トラックの荷台に段ボールに入ったままの花を運んで来てくれた。
それらすべてを店内に運び込んだ後、私は璃桜君に椿さんの希望が細かくメモされたタブレットを見せながら、もう一度謝った。
「ごめんね、璃桜君」
「だから、いいよって。困ってたんでしょ。そんな美桜ちゃんを見捨てられないよ」
「璃桜君、ありがとう…」
友人のありがたい言葉に、私は緩くなりそうな涙腺を無理矢理きつくしておく。
「アシ、お願いね」
「もちろん。また璃桜君のアシスタントができるなんて嬉しい」
忘れてなければいいんだけど。
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