第13話 妹のワガママと親父の勘違い~唯人~
『ずるいっ!』
スマホの向こうから聞こえてきた下の妹の大きな声が俺の耳を直撃した。
『お姉ちゃんに、お兄ちゃんの奥さんに会ったって自慢されたっ!私もお兄ちゃんの奥さん見たい~』
直撃されて、痛む耳からスマホを遠ざけて、スピーカーに切り替えると葵のキャンキャンと甲高い声が響く。仕事が終わって、自宅で寛いでる時でよかった。でなければ、この声はかなり迷惑になっていた筈だ。
「見たいって…見せ物じゃないぞ」
椿がどう言ったかは知らないが、葵のこの様子からするとかなり誇張したな。
『ウチに連れて来てよ~っ!』
「しばらくは忙しいから無理だな」
葵のお願いを俺はばっさりと断る。
『お兄ちゃんのケチっ!』
「仕事が忙しいから今は無理ってだけで、会わせないとは言ってない」
それだけでケチ呼ばわりされたら、たまったもんじゃない。
それに今、無理に会わなくても椿の店のオープン日に会う事になると思うぞ。しかし、葵の様子からするとそれまで待てないかもしれない。
『お兄ちゃんのケチケチケチケチっ!』
「大きな声出すな」
葵の大声に、俺はスピーカーを切った。隣の部屋の様子を伺うが、大丈夫みたいだ。隣の部屋ではもう谷岡が休んでいる。連日、歩き回って引き受けてくれるフラワーデザイナーを探し回っていたからだ。その事を俺は知っている。だからだろうか。牧田が『谷岡が仕事を放り出している』と言った時は、少なからず腹が立った。アイツが仕事を放り出した事なんかない事くらい後輩なら知ってる筈だ。
社に戻って来た時、牧田とすれ違う際偶然目に入った二人の靴。かたや歩き回って靴底が磨り減って、所々に細かい傷ができてボロボロの谷岡のパンプス。牧田の華奢で凝ったデザインのハイヒールは傷一つついていない。どちらを労うべきかは一目瞭然だ。
『お兄ちゃん、ちゃんと聞いてるのっ!』
俺が思惑の淵に沈んでいる間に葵が色々と言っていたらしい。
「ああ、しっかり聞き流してるぞ」
『お兄ちゃんの馬鹿っ!ケーチっ!』
先程とまったく変わりばえしない言葉を捨て台詞に、葵は通話を一方的に終わらせた。
最初から最後まで台風みたいな妹に疲れがどっと増した気がする。俺もさっさと寝よう。
※ ※
「今日は珍しく定時に上がれそうだな」
「そうですね」
その日は仕事が順調に進んだおかげで、久々に定時上がりができそうで俺は機嫌がよかった。おまけに今日は週末。浮き足立つなと言う方が無理がある。しかし、こんな時に限って定時では上がれないものだ…
定時直前、専務室のドアをノックする人物が現れた。
「旭です」
ドアの向こうで聞こえた親父の秘書の声。最早、この時点で嫌な予感しかしない。けれど、無視する事はできない。
「入ってくれ」
入室の許可を出すと、旭が入って来た。
「専務、社長がお呼びです」
内線を使えば済む事なのに、わざわざ旭を寄越すのは珍しい。
「専務と二人だけで話しがしたいそうなので、谷岡さんは時間になったら帰っていいですよ」
「はい、わかりました」
それの為に旭を寄越したのか…俺が社長に呼ばれたとなれば、当然谷岡も同席する事になる。わざわざ谷岡を帰すと言う事は、コイツに聞かれたくない話しがあるに違いない。
親父は勘がいい。もしかしたら偽装結婚に気付いたのかもしれない。どうやら気を引き締めてかかる必要がありそうだ。
「ちょっと行ってくる。お前は先に帰ってろ」
「わかりました」
椅子から立ち上がって、俺は旭と一緒に社長室に向かう。
社長室に入ると、そこには柔和な笑みを浮かべた親父がいた。
「ま、そこに座って」
社長室の真ん中に置かれている革張りのソファーに腰を下ろすと、親父も俺の正面に腰を下ろした。
「終わる直前に呼んで悪いね。美桜ちゃんに聞かせたくない話しがあってね…」
来たな。
俺は表情筋と腹筋にぐっと力を入れて、親父の次の言葉を待った。
「単刀直入に聞こう。もしかして美桜ちゃんは…」
俺は何を言われても表情を動かさないように、奥歯を噛み締める。
「ウェディングドレスより白無垢の方がいいのかな?」
…気が抜けた。どっと力が抜ける。
「…ウェディングドレスより白無垢が着たいのかは、聞いた事ないな」
すっげえ、真剣な表情して何を言い出すかと思えば…
「神社で結婚式がいいのかと思って、いくつかリストアップしてみたんだよ」
そう言う親父の手には紙の束が握られていた。
『ウェディングドレスに憧れなんてない』って谷岡の言葉を、まさか『白無垢がいい』と解釈するとは…
さっき高まった緊張感と今の緩みの落差で高山病を起こしそうなんだが。
第一、アイツが結婚式をしたくないのはウェディングドレスが嫌だからとかそんな理由ではない。たとえ、神社で結婚式と持ちかけても首を縦には振らないだろう。
そう言えば、結婚式についてはアイツが体調を崩して寝込んでからなあなあになってたな。
「自分は秘書だからと遠慮させてはいないだろうね?」
親父の指摘に、俺は今までのアレコレを振り返ってみる。
谷岡は繊細そうな見た目に反して、図太く、肝が座っている。仕事では様々に発生するトラブルにも臨機応変。柔軟に対応している。その一方で頑固で頑なな一面もあり、俺との結婚式は拒否の一点張りだ。
食べる事に関しては遠慮はないが、それ以外に関してはどうなのかわからない。仕事に必要な服や靴、鞄と言った物はアイツは自分で買う。そもそも谷岡は私物が極端に少ない。もしかしたら、単に
俺の表情をどう読み解いたのか、親父は手にしていた紙の束を渡してきた。
「彼女が遠慮しないように、唯人から何かプレゼントをしなさい。美桜ちゃんの好きな物くらいわかってるだろう?」
アイツの『好きな物』で、脳裏に浮かんだのはアレ系の本…
確かに喜ぶかもしれないが…俺が店に買いに行くのは論外だし、通販で自分の名前で買うのも嫌だ。
「別にそんなに難しく考えなくても…花とかお菓子とかそのくらいでいいんだよ」
そっちかっ!真っ先にあの手の本を考えるなんて…谷岡にだいぶ毒されたな…俺…
それで考えるなら、花よりは菓子だろうか?何せ食べる事だけは遠慮はないからな。おまけに甘い物も好物みたいだ。
「美味しいお菓子でもつまみながら、二人でじっくりと話してみたらいいんじゃないかい」
「そのリストは参考資料としてあげるよ」と親父がにっこりと笑う。
相変わらず、腹の内が見えない親父だが貰った物はありがたく使わせてもらう事にする。もう一度、結婚式について話すきっかけくらいにはなるだろう。
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