異世界行商でセカンドライフを満喫するつもり

第14話 市役所住民課の公務員の夢


 葛城速人かつらぎはやとはいわゆる公務員だ。

 

 大学を出るころ、世の中はいわゆる氷河期であった。

 

 ゼミの同窓生たちは皆、就職活動に明け暮れたが、それに費やした時間に見合う就職先にはほとんどのものが出会えず、皆、一時凌ぎのアルバイトか、何段階も下げて妥協した仕事に就くのが関の山だった。それでもまだ仕事にありつけるだけましだ。

 就職浪人が溢れかえった世の中に、不況による事業縮小、求人数の激減。

 労働環境は最悪と言ってよかった。

 有名大学を出ていながらも、就職先が見つからなかった者は、なんとか時給数百円のアルバイトにすがり、高校入学したばかりのガキどもと同じスタートラインで、一から同等に扱われる。それでも、途方もない学歴競争世代を勝ち上がった者たちには、「知力」はあっても「応用力」はない。いや、詰め込み教育のただ暗記をして点数を取ることが「知力」というのか、今となってははなはだ疑問というほかない。

 そうなると、結果はおのずと現れる。

 若く柔軟な思考を持った人材は適応力が高い。15歳そこそこのまだまだ伸びしろのある者と、大卒で二十歳をとうに越え、しかも「点数を取れてきた」者たちの頭の固さを比べれば、どちらが雇用主から見て「可能性」があるかは明らかだった。


 速人は一年の就職浪人を経て、世の中の状況を見て、いち早く商社志望から公務員志望へと切り替え、その年の公務員試験を受験。Оオー市市役所職員となって、翌年の春を迎えた。

 いまでもこの選択は間違っていなかったと確信している。市役所職員になって35年あまり、その間に妻もめとり、子もした。家庭は円満で生活も安定している。それほど大きくはないがマイホームも持てた。速人の世代でマイホームを持てている奴などほとんどいないだろう。


 ――だけど……。


 本当は、もっといろいろな物や事に触れ、人に触れたかった。いろいろな場所へ行って、いろいろな言語で、違う感性の人たちと分け隔てなく笑い合いたかった。


 命を懸けて、ひりつくような痛みと息が上がるような疲労の中、二本の足で大地を踏みしめ、「生きたかった」。


 しかし、定年まであと数年となった今となっては、もはや、そのような「冒険」や「生活」は成し得ないであろう。


 そう思っていたある日のことだ。



――『バウガルドの酒場』大好評サービス提供中! あなたも異世界で新しい経験をしてみませんか?――



 そんなバナーが目に入った。

 それは唐突に速人の目に飛び込んできた。


 市役所の午前中の仕事を終え、昼休憩に商店街へ昼飯をと思っていた時だ。この年になってはもう「ゲーム」だとか「VR」だとかはとうに記憶の彼方へしまい込んでいた。年齢とともに反射神経が落ち、昔やっていたMMORPGエムエムオーTPSティーピーエスなどはもう操作の反応が追い付かない。そんなものはもう10年以上も前にアカウントも削除して引退している。


 なのになぜだか、そのバナーが妙に気になった。

 そのバナーには、ボードゲームカフェ『ダイシイ』と銘打ってあった。


(ボードゲーム? 人生ゲームとかモノポリーとか、昔子供の頃にやったような記憶はあるけど――)


 それと、異世界ってどういうつながりなんだ?


 速人は午後業務時間中の休憩時間に携帯端末を取り出し、『バウガルドの酒場』を検索してみた。


「バウガルド、やべぇ! 人生が二つあるようなもんだ!」

「昨日ちょっとやらかして、死ぬかと思ったけど、あの緊張感がたまらない!」

「はじまりの町ケルンから北に向かった先の隣町トーレの蜂蜜酒、サイコー!」

「昨日やっとシルバーに昇格! これでまた先に進めるぜ」


 と言った絶賛の書き込みが目立つ。利用者の評価は結構というか、相当高いようだ。しかし、一方、気になる記事も散見される。


 『バウガルド旅行でまた2名の行方不明』

 『異世界旅行の危険性について考える』

 『徹底討論! 異世界旅行に規制は必要か?』

などなど。


 読むと、どうもバウガルドへの異世界転移については未だ正式な政府見解も法規制もかかっていないとのことで、転移先で起きた事故について主催者側は一切責任を取らないということのようだ。

 つまり、あくまでも「旅行」なのだ、という。


(ふうん――。異世界旅行ねぇ。ちょっと話だけでも聞きに行ってみるか――)


 その日の業務終了後、速人はあのバナーの上がっている店、ボードゲームカフェ『ダイシイ』大阪本町支店の玄関の扉を開けた。 


 そう、「冒険」というのはひょんなところ、ひょんなタイミングから始まる。


 いつの間にかその冒険に入り込み、いつの間にか当事者になっている。

 葛城速人もそんな冒険者の一人であった。


 



 

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