第11話 アルファベット殺人事件 後編

 二人は再びあの家へ訪れていた。家に入ると、楠谷は大股でリビングへと向かって証拠を探し始める。その動作は落ち着きが無く、必死に探している様子が鴻ノ池の目に映った。


 「ねぇぞ!証拠が」


 楠谷が頭を掻く。


 「落ち着いてください」


 「落ち着けるわけがないだろ!」


 楠谷が鴻ノ池の襟を掴む。


 二人は互いに睨み合う。楠谷の目は怒りで目に満ちているように思えた。鉛のように重くなった雰囲気が数分続くと、それを破ったのは鴻ノ池だった。


 「確かに、楠谷さんが落ち着かない理由も分かります。だけど、今ここで落ち着かなかったら冷静に判断がつかないじゃないですか」


 「・・・・・・ああ、そうだな」


 楠谷は襟を掴んでいる手を離し、一息つく。


 「どうして、楠谷さんはそんなに必死になっていて証拠を探しているんですか?」


 「それは、犯人をどうしても起訴したいからですよ」


 「そう、ですか?」


 鴻ノ池は楠谷の背中を見る。


 「少なくとも、私の目には何か執念に駆られている楠谷さんの姿が映っています」


 「・・・・・・そうか」


 楠谷はその場に縁側に座り込む。その時、彼の脳裏にあの出来事がふいに浮かぶ。


 「そういや、鴻ノ池には言っていなかったな」


 「何をですか?」


 「俺が、刑事になった理由」


 「それって、警察官に憧れたって・・・・・・」


 楠谷が首を横に振って、目線を上にあげる。


 「俺が、刑事になったのは犯人を捕まえる為だ」


 楠谷が言葉を切って鼻を啜る。


 「俺が小さい頃、家族がとある男に殺された。一人ずつ、色んな方法で。その犯人は特定出来たものの、結局捕まえることが出来なくなって、時効が成立してしまった」


 「そうなんですか・・・・・・」


 「でも、俺は諦めない。たとえ、犯人を捕まえることが出来なくても、この手で真相を掴んでやる」


 楠谷が拳を握りしめる。すると、鴻ノ池が楠谷の背中を叩く。


 「楠谷さんはそうこなくっちゃ」


 鴻ノ池が口角を上げて言うと、楠谷は黙って頷く。


 二人は立ち上がり、証拠を捜し始める。二人が今いる部屋はリビングのようであり、特に変わったものは置いていなかった。その後、二人は二階に上がって例の小部屋に移動する。そこでやはり目にしたのは、壁に掛かっているアルファベット表とその近くに置いてある祭壇だった。楠谷が本棚を漁るのを見つつ、鴻ノ池は部屋の壁を見る。そこには、新聞記事が飾っており、どれも一見関係がなさそうに見える記事ばかりだった。しかし、どの記事も事細かく書かれており、一般の人が知り得ない情報までもが書き記されていた。


 「楠谷さん、壁に飾られている記事を見てください」


 「何だ?」


 「一見普通の記事に思えたのですが、どの記事も一般の人が知り得ない情報までもが載せられています」


 「確かにな、これだけ事細かく書かれていると誰かが情報を漏らしているかもな」


 「そうですね。それと」


 「それと?」


 「どの記事も同じ新聞社なのが気になります」


 「確かに。じゃあ、そのことについて調べて貰えないか?」


 「分かりました」


 そう言うと、鴻ノ池は外へ出た。


 楠谷は引き続き部屋を捜索していると、何か無色透明の液体が入った茶色の瓶が出てくる。彼は不思議に思いながら、先ほどの瓶を棚の上に置いて棚を漁る。だがめぼしい物は出てこなかったので、棚の上に置いた瓶を見る。


 彼は首を捻って考えていると、鴻ノ池が「戻ってきました」と部屋に入ってくる。


 「何ですか、それ?」


 「分からん。一応鑑識に回した方が良いんじゃないか?」


 「そうですね」


 楠谷は瓶をデカめのビニール袋に入れ、家を後にした。


 


 「結果はどうだった?」


 楠谷は鑑識の大庫に言う。隣には鴻ノ池がいた。


 二人は鑑識の大庫に結果の報告がしたいと呼ばれ、鑑識の部屋へ来ていた。


 「あの瓶の入っていた液体は薬物でした。ホルマリンです」


 「ホルマリン?」


 二人は首を捻る。


 「はい。ホルマリンはホルムアルデヒドの水溶液のことで、無色透明、刺激臭がある医薬用外劇物に指定されている液体です。普通は生物の組織標本作製の為の固定、防腐処理に広く用いられています」


 「そのホルマリンは普通に売っているものですか?」


 鴻ノ池が言うと、大庫は首を横に振る。


 「いいえ。毒物劇物取扱責任者がいる薬局でしか買えないはずです」


 「ということは、彼はその人から買ったと言うわけか」


 「そういうことになります」


 「よし、鴻ノ池、その薬物の入手経路について明らかにするぞ」


 楠谷がそう言うと、二人は部屋を出る。


 


 「どういうことだ!」


 楠谷の怒鳴り声が廊下に響き渡る。


 鑑識の部屋から出た二人は、ホルマリンの購入経路について調べたものの、購入先が未だ掴めず、結局棒に振る結果になった。だが、髙岩浩介の住んでいた実家の情報を聞きつけ、二人はそこへ寄り、髙岩浩介がどのような人物だったかを母親から話を聞いていた。


 そして、二人は警視庁に戻り廊下を歩いていた。


 「まあまあ、楠谷さん、落ち着いて」


 「ああ、落ち着くさ。でも、彼の動機については分かったな」


 「そうですね」


 二人は交互に頷き合い、その彼がいる取調室に入る。その部屋にいた刑事二人と交代し、再び楠谷は髙岩と向かい合わせに座り、鴻ノ池は彼の隣に立つ。


 「どうでしたか、俺を起訴出来ますか?」


 男は不敵な笑みを浮かべる。


 「証拠は見つかったが、販売経路までは特定出来なかった」


 「そうですか」


 男は不自然な笑みを浮かべたまま、笑う。


 「だけど、お前の母親に会ってきたぞ」


 「母親?」


 髙岩は目を細める。


 「ああそうだ。お前、父親から虐待を受けていたんだったな。その時に腕に十字架の印がつけられた。何回もだ。母親が何度か止めようとしたが、母親まで腕に印をつけられたんだってな」


 楠谷が腕を組む。髙岩は頭を抱えて「やめろ、やめろ・・・・・・」と藻掻く。


 「だから、お前は腕に包帯を巻いているのか。最初は怪我をしているのかと思ったが、そういうわけか」


 楠谷は一旦言葉を切り、ポケットをまさぐり始める。そこから出てきたのは、スマホだった。


 「これは母親の腕だ。お前もこんな風にされたのか?全く、かわいそうな奴だぜ」


 楠谷がそこまで言うと、髙岩が突然頭を強く机に叩き付ける。


 そして、男がゆっくりと顔を上げる。


 「ああ、そうだよ。俺はかわいそうな奴だよ。あいつから暴言を吐かれ、腕を傷つけられ、心を傷つけられ・・・・・・」


 男は静かになる。


 「だけどな、あいつが病気で亡くなった時はぁって思ったよ。何であいつが誰にも殺されず、ただ病気で死ぬんだよってな。心底苛ついたよ、あいつのことを。それからかな、俺は絶望の闇に沈んだのは」


 男は笑みを浮かべる。


 「勝手に絶望するな!」


 鴻ノ池が机を叩く。そのせいか、楠谷が驚く。


 「確かに、あんたの父親は許される物ではない。だけど、勝手に絶望してその鬱憤を晴らすために、夢や希望を持つ女性を殺すな!」


 鴻ノ池が声を張り上げる。


 髙岩は何も言わず、ただ上を見上げる。


 「ああ、お前よ。お前のせいで、俺はこんな風になってしまった。どうしたらよ・・・・・・」


 「無視をするな!」


 鴻ノ池が再び机を叩く。


 「勝手に父親のせいにするな!お前のせいで、二十四人も亡くなっているのよ!」


 「ふっ」


 髙岩は鼻を鳴らす。


 「たかが二十四人、されど二十四人・・・・・・」


 「はぁ・・・・・・?」


 二人が呆けた声を出す。


 「そうだよ、俺が二十四人殺したんだよ。だけど、良かったよなぁ・・・・・・。俺がそれ以上殺さなくて」


 髙岩はそう言うと、大笑いを始めた。


 


 後日。二人は地下の食堂で昼食を摂っていた。楠谷は中華ラーメン、鴻ノ池はカツ丼を食べていた。


 「髙岩、どうなったんですかね」


 鴻ノ池が箸を止める。


 「精神鑑定されることになったらしい」


 「そうなんですか」


 「まあ、髙岩の供述によれば、父親のせいで俺はこうなった、父親がいなければ俺はこんなことにならなかっただの言っているから、精神鑑定されるのは当然だろう。それと、彼には共犯者がいたらしい。その人はジャーナリストで、あの家で見つけた新聞社に記事を送っていたとのことだった。まあ、鴻ノ池の勘が当たったとも言えるな」


 楠谷が中華ラーメンを食べ終え、箸を置く。


 「ところでさ、鴻ノ池の刑事になりたかった理由ってそれだけか?」


 「え?何の事ですか?」


 鴻ノ池が口に卵をつけたまま、楠谷を見る。


 「いや、何でもない」


 そう言うと、彼はそそくさと食器を片付け、出入り口付近に向かう。すると、思いとどまったことがあったのか、そこで一度立ち止まる。


 「そうだ」


 「何ですか?」


 「俺みたいな先輩刑事と昼食を共にするときは、口をしっかりと拭いておいた方がいいぞ」


 楠谷は食堂を出る。


鴻ノ池は慌てて口周りを手で触れると、卵がついていた。


その卵を見つつ、彼女は微笑む。

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