第9話 母娘

「ねぇ、いい加減やめてよ」

 涙ながらに尚美が叫ぶ。正面にいるのは、元交際相手の茂樹だった。

 茂樹が居座っているのは尚美の自宅だった。半年前、尚美と別れたものの彼自身は納得がいっていないためか、ストーカー化していた。別れた原因は茂樹のギャンブル癖。最初の頃は、尚美は耐えていたが、次第に耐えきれなくなって別れたという。今夜も、茂樹に金を貸してくれてせがまれていた。

 「あぁ?金を貸してくれればこっから出てやるよ。だから、早く金を貸せよ」

 茂樹は手のひらを上にして促す。

 尚美は渋々財布から一万円札を取り出して、茂樹に渡す。

 「おぉ、サンキューな」

 彼が出て行こうとした瞬間、彼は和室の襖に目がとまる。

 「なぁ。会わせてくれよ」

 彼は尚美に言う。

 「嫌よ。あの子、あなたのことなんか会いたくないと思っているし」

 「それは本人に聞けば良いだろ!」

 茂樹は勢いよく襖を開ける。そこに現われたのは、尚美の娘である茉優だった。茂樹は痩せ細っている茉優に近づき、胸元を掴む。

 「よお、会いたかったか?」

 茂樹は茉優に顔を近づける。茉優は奥歯を噛み締める。

 「ちっ、何だよ。せっかく、父が会いに来てやったのによぉ」

 茂樹が窓を覗いているその時、茉優は彼の腰にあったナイフを奪い、そのまま彼の首を切りつける。茂樹は呻き声を出したまま、倒れる。茉優はそのまま硬直し、その場に座り込んでしまう。

 「ねぇ・・・・・・どうしよう」

 茉優はゆっくりと母に顔を向ける。

 尚美は茉優の背中を摩る。

 「私、刑務所に行っちゃうよね。ろくに勉強をしていないし、学校行っていないし」

 「だ、大丈夫・・・・・・。全て、こいつのせいよ」

 尚美は首から血を流して死んだ茂樹を見る。

 その時、電話が鳴る。

 尚美は受話器を取って耳に当てる。

 「もしもし?」

 『すいません、隣の者ですけど』

 良かった、警察じゃなくて。

 内心安堵していると、『もしもし?』という声に反応する。

 「何か、あったんですか?」

 『いや、特には。ただ、少し騒がしいなあって思ったんですよ』

 「ああ、あの時、ゴキブリが出てしまったんでそれで騒がしくなったんだと思います」

 『そうですか。では』

 隣人からの電話が切れる。

 尚美がその場に座り込んで、茂樹を横目で見る。

 「どうしよう・・・・・・」

 心配そうな目つきで、茉優が尚美を見る。

 その時、尚美の頭に何かが発火するようなことが起こる。

 唾を飲み込み、茂樹を見る。

 「どうしたの・・・・・・?お母さん」

 「茉優・・・・・・あなたは何もやっていない。私が、お母さんがこの男を殺したことにする」

 「え・・・・・・?」

 思わず呆けた声を茉優は出す。

 尚美は、茉優に向かって首を上下に振る。そして、包丁を持って茂樹の方へ向かう。


 「見つかったのは、白骨化した遺体でした。発見者によると、森林でゴミ拾いを行っていたら白骨化していた人の骨があったそうだと。身元は分かっておらず、現在被害者の身元を調べているとのことです」

 現場で鴻ノ池の報告を受けつつ、楠谷は周囲を見渡す。周囲は森林で生い茂っており、道端は舗装されていなかった。一つ古民家があるが、そこには誰も住んでおらず、誰も人が居なさそうな雰囲気が醸し出ていた。

 二人は現場で手を合わせ、遺体があった場所を観察する。

 「特に、異常はなさそうですね」

 「そうだな。道が舗装されていないし、この辺り誰も住んでいなさそうだから、署に戻るか」

 「そうですね」

 二人は立ち上がる。その時、楠谷は奥の方で人影が見えた。彼は規制線をくぐり抜け、その人影にそっと近寄る。やがてその人影が目視出来るようになると、その正体は長い白髪の老婆だった。

 「この辺の方ですか?」

 楠谷が老婆に質問をする。

 「ええ、そうよ。この山の守護神を祀っている神主よ」

 「神主?」

 「ええ。もっと、知りたければ私について行きなさい」

 そう言うと、老婆は奥の方へ消えようとする。隣にいた鴻ノ池は、老婆の後を追う。髪を摩った楠谷は渋々とついていく。


 「ここが、あなたの神社なんですね・・・・・・」

 鴻ノ池が森林に包まれた神社を見上げる。

 二人は老婆に連れられること、三十分経ってこの神社に連れられた。老婆の説明によれば、現場となっている山には山の神が存在しており、その山の神を崇める為にはこの神社が必要不可欠だという。そのため、幾度か開発工事のために立ち退きを依頼してきた方々は、全て出て行かれたという。

 本当なのか、その話?

 楠谷は眉間に皺を寄せていると、鴻ノ池が質問をする。

 「ところで、おばあちゃん、この山でここ最近異変とかは無かったの?」

 「うぅ~ん。確か、山の神が泣いていたのぉ・・・・・・」

 「泣いていた?」

 「あぁそうじゃ。誰かがゴミを捨ててきたから、それで悲しんでおるのじゃ」

 楠谷は顎に手を添える。

 すると、ポケットから携帯が鳴り響いたので携帯を取り出し、電話に出る。

 そこで舞い込んできたのは、遺体の身元情報だった。

 「鴻ノ池、署に戻るぞ」

 二人はその場を後にした。


 「失礼します」

 楠谷はそう言い中に入る。続けて鴻ノ池も入る。

 「ご遺体の身元が分かったそうですね」

 「ああ」

 管理官の木下が言う。彼は立ち上がり、ホワイトボードの前に立つ。

 「被害者は大林武ともう一人、山口尚美だ。二人の関係は調べている途中だが、大林の方は何者かにバラバラにされた可能性が高い」

 「なるほど、もう一人の方は?」

 「山口尚美に関してはバラバラにされていなかったそうだ。ただ、一つだけ気になったことがあった」

 「それは?」

 「右脚の骨が骨折していた」

 木下から伝えられる身元の情報を二人がメモをして、記憶していく。すると、二人の関係を調べていた捜査員から新たな情報が入ってくる。その情報とは、二人は昔交際関係にあったことだった。だが、その交際関係は長くは続かず、大林武のギャンブル癖が原因で別れたと近所の人からの情報だった。

 「それに、娘さんがいます」

 「娘?」

 木下が聞き返すと、捜査員の野谷が言う。

 「現在娘さんは二十二歳で、都内の中小工場で働いているとか。今娘さんは家にいるので、聞き込みが出来ます」

 「よし、楠谷と鴻ノ池が行ってこい」

 「分かりました」

 二人は木下に一礼をして、足早に向かって行った。


 二人がやってきたのは、娘がいる家だった。

 楠谷がドアベルを鳴らす。ドアを開けてきたのは、貧相な体つきをした女性だった。二人は身元を明かし、家の中へ入らせてもらう。女性の家の中は貧相で、あまり豪勢な暮らしをしているとは思えなかった。

 二人はテーブルの前に座り、女性は二人に向かって座る。

 「警察が、何の用でしょう」

 「すいません、突然押しかけてしまって。実は、あなたの母親とその元交際相手の遺体が森林で見つかったんです」

 女性の目が少し揺らぐ。

 「・・・・・・そうですか」

 「あなたのお名前は?」

 鴻ノ池が言う。

 「山口茉優です」

 茉優は俯いて言う。

 「では、いくつか質問をさせて頂きたいと思います。あなたの母親には、何か揉め事とかはありましたでしょうか?」

 鴻ノ池が言うと、茉優は首を横に振る。

 「それじゃあ、元交際相手の方は?」

 茉優は首を横に振る。

 「なるほどね。それじゃあ、あなた自身で何か起こったことはない?」

 これも、茉優は首を横に振る。

 「ありがとうね。それじゃ、ここまで質問は終わりにします」

 そう言って、二人は立ち上がろうとした瞬間、茉優は「ちょっと待って」と声を掛ける。

 「どうしましたか?茉優さん」

 楠谷がそう言うと、手袋を嵌めた茉優はゴミ袋から何かを取り出す。そして、そこから出てきたのは、血まみれの包丁だった。


 「そうか。ご苦労だった」

 楠谷が木下に報告をする。

 あの後、二人は娘の茉優に説明をして貰った。その説明によると、母の尚美が元交際相手である武と揉み合いになり、そのまま尚美が武を刺殺したそう。茉優はその光景を目の当たりにしてしまい、二人はパニックに陥ったらしいが、尚美は娘にあなたは何も関わらないで、と言われ、茉優は自分の部屋に戻っていったそう。その後は何が起こったのか分からないそう。茉優が母に呼ばれ部屋から出ると、そこに血まみれの母が台所に立っていたそうだった。そして、母は血まみれのゴミ袋を持って、その場を去ったとのことだった。

 「ここからは、私の推測でしかないのですが」

 「話せ」

 木下は顎をしゃくる。

 「あの家を去った母尚美は、バラバラになった武を森の中に運び遺棄したと思います。ただ、そこで右脚を骨折し、更に持病か何かが急激に悪化してその場に倒れ込んでしまった、と私は思います」

 「そうか・・・・・・」

 木下が腕を組んでいると、本部のドアが開く。そこに立っていたのは、二人が先ほどまで訊ねていた、娘の茉優だった。

 「どうしたんだ?」

 近寄ってきた楠谷が訊ねる。

 茉優はポケットから紙切れを取り出し、二人に見せる。

 「私を、逮捕してください」

 弱そうな声で、茉優は手首を二人に差し出す。

 二人は茉優に渡された紙切れを見ると、「あぁ・・・・・・」と楠谷が声を出してしまう。

 そう、そこには母尚美から娘の茉優に向けて書かれた、警察の対応だった。二人にとって、それは尚美に全て動かされていたことだった。

 鴻ノ池は「ごめんなさい」とその場を離れる。楠谷は涙を堪え、そっと娘の茉優に目線を添える。

 「ごめん。逮捕、出来ないや」

 楠谷が茉優の手首を触れる。

 「・・・・・・どうして?」

 「証拠が無いと、逮捕出来ないんだ」

 「でも、逮捕してよ」

 それでも手首を差し出す茉優に、楠谷はその手首を引っ込めさせ、手の中に紙切れを差し出す。

 「この紙切れを見てしまったら、君のことを逮捕なんか出来ないよ・・・・・・」

 楠谷が声を振り絞って言う。

 その言葉に、茉優は力一杯泣く。

 茉優の泣き声が、捜査本部に響いた。

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